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93歳、現役法大生
学びが人生を豊かにする
通信教育部 文学部日本文学科 多田幸江(ただゆきえ) さん

イメージ パソコン操作もお手の物。自ら学校の登録作業などを行う

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イメージ趣味は多彩。写真上は自ら生けた花とともに。写真下の水彩画は地域施設で講師を務めるほどの腕前だ

イメージ横浜平沼高等学校(通信制)卒業式にて。学生当時は小学校6年・高等学校5年の学制だったため、同高校へ1年間通い、本学入学に際し必要とされる高校卒業資格を取得した

「今は幸せな時代ですね。思う存分に学べますから」と語るのは、本学最高齢・93歳(2015年8月末現在)の学生、多田幸江さん。通信教育部 文学部 日本文学科で純文学を中心とした日本文学を学んでいます。

専門的な学びに教養は必須。体系的に学ぶために大学へ

「履修科目の単位をすべて取得いたしましたので、これからの1年は卒業論文に専念して取り組んでいきたいと思っております。題材は夏目漱石先生の『こころ』です。夏目先生は私が生きてきた時代の日本人の心情をよく表した作品を数多く残した国民的作家。特に『こころ』は、似た体験を持つ友人がいることから感慨深さを感じている作品でございます。愛する男性と心が通じ合っているにも関わらず、その友人である男性にもなぜ魅かれてしまうのか。私なりに考えていく予定でございます」

これまでの過程を「やっとここまで辿り着けました」と振り返る多田さん。今回の入学は再入学なのだといいます。1986年(64歳)に入学しましたが体調を崩し、数単位と卒業論文のみを残すところで退学。2010年、88歳で再び入学を果たしました。「水は時によどんだり、流れが急になったりしながらも川を流れ、やがては海に辿り着きます。諦めずにコツコツ学べば、末は明るいところへ辿り着けると確信し、再入学を決意いたしました」

90歳を超えても、横浜の自宅からバス、電車と乗り継ぎ、市ケ谷駅から上りこう配の道を歩いて来校。

「通信教育は自宅で学べる便利さがございますが、他の学生と皆で授業を受けられるスクーリングはやはり一番楽しいですね。全国各地から来る年齢も経歴もさまざまな方たちと各出身地域のことなど色々な話もいたしました。学習面におきましては、直接先生方に質問できたのが助けになりました。特に中国文芸史の遠藤星希先生には難しい内容のこともわかりやすく丁寧に教えていただけました。

専門的な学びは、社会や歴史、語学など教養を培った上に成り立ちます。法政大学の通信教育部は各分野に強く明るい教授陣が豊富。日本一だと感じてございます」

卒論後の目標は2020年東京オリンピックにて

学びにおいて強い意志を示す多田さんの契機は、70年前に遡ります。

「高等女学校を卒業し、タイプライター女学校を経て、陸軍省の情報部門にタイピストとして就きました。そこで、幼い頃に母の影響で目を通した菊池寛先生の作品を読み直したことが本格的に書籍に興味を抱いたきっかけでございます。純文学が中心でしたが、菊池先生の作風の広がりとともに大衆文学も読むようになりましたね。陸軍省の情報部門では戦時下、検閲のためにさまざまな書籍、新聞、雑誌がおかれていたのです。菊池先生とは検閲に関わるお仕事のために情報部門へ頻繁に出入りされていたため、お目にかかったこともございました」

その後、第二次世界大戦の戦火を逃れ、戦後復興を自身も世の担い手として経験。社会が成熟し始めた1986年、当時はまだ夜間に開講されていた本学通信教育部に入学しました。

「これまで随分と時間がかかってしまいました。しかし、法政大学とのご縁が、その後の生きがいを感じられる道を開いてくれました。学びは人生を豊かにしてくれます。卒業論文ができましたら、次は英語を勉強し、2020年の東京オリンピックに訪れる外国の方々へ、日本文学の良さを直接お伝えすることが、次の私の夢でございます」


通信教育部 文学部日本文学科 多田幸江(ただゆきえ)

1921年11月15日生まれ。93歳。東京都渋谷区に生まれ育ち、戦後、神奈川県横浜市に居を移す。タイピストや事務員としてさまざまな企業で戦後復興に貢献。1986年10月、64歳の時に法政大学通信教育部入学、1997年10月に退学。2010年4月、88歳で再入学し、現在に至る。


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