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海外の仲間との交流で気づいた
日本酒の魅力を徹底追求、世界をめざす!

フォト加登 仙一さん

留学では“どのような時間を過ごすか”が大事

田中 本日は若くして佐渡の天領盃(てんりょうはい)酒造の蔵元になられた加登仙一さんをお迎えしました。加登さんは国際文化学部の卒業生ですが、どんな学生時代でしたか。

加登 ストリートダンスのサークルに入り、授業の合間や放課後は毎日のように練習していました。

田中 ストリートダンス? でも国際文化学部をめざしたのは、勉強の面で理由があったのでは?

加登 土地柄、日常的に外国語が飛び交う成田市で育ったこともあり、小さい頃から海外に住んでみたいという気持ちを持っていました。大学選びの時に、全員が留学必須という法政の国際文化学部の特色に強くひかれて受験をしました。

田中 国際文化学部はスタディ・アブロードプログラムで、全員がいろいろな国に留学するんですよね。法政では初の試みでしたので、当初先生方は緊張のしっぱなしでしたが、今では軌道に乗りとても良い体制ができています。加登さんはどちらに留学されたのですか。

加登 スイスのサンクトガレン大学です。第二外国語で学んだドイツ語圏を希望しました。現地でもダンスを続けたいと思い、現地に着いてから夜の街を歩き回り、練習できる場所を探しました。ストリートダンスは街中でやるものなので、割とすぐにダンスを練習しているグループに出会うことができました。

田中 スイスでも、学校の中ではなくストリートダンスね(笑)。自分から声をかけたんですか。

加登 はい。がんばってドイツ語で話しかけみたら仲間に入れてもらえました。

田中 すごいですね。ドイツ語の準備をある程度して行ったのですか。

加登 最初は全く通じませんでしたが、大学の授業が始まる前に1カ月間語学学校に通い、一番下のクラスから徐々にレベルを上げていきました。大学の授業が始まってしばらくすると、ある時からすっとドイツ語が耳に入ってくるようになったんです。これは、勉強の成果というよりもダンスの仲間と交流できたことが大きいと自分では思っています。

田中 きっとそうでしょう。それにしてもよく仲間に加えてもらえましたね。

加登 本当にそう思います。最初はいきなり声をかけたので驚かれましたが、ちゃんと受け入れてもらえて、一緒に遠征まで行きました。後から分かったのですが、実は彼らはスイス代表として世界大会にも出るほどのダンスチームだったんです。

田中 それはすごい。お話を聞いていて、留学は単に学校へ行くだけではなく、そこでどのような時間を過ごすかが大事であることが非常によくわかります。異なる文化の人たちと交流できたのは素晴らしい経験ですね。

加登 まさに、彼らとの出会いがなければ今の自分はなかったと思っています。ある時、飲み会で各国のお国自慢になったことがありました。「日本には何がある?」と聞かれ、僕は「寿司、サムライ、マンガ、ラーメン、酒…」と思いつくままに答えたところ、一番彼らが興味を持ってくれたのが酒でした。みんなアルコール類が大好きなので一番盛り上がるんです。テキーラやウオッカなど、みんな自分の国のお酒が一番おいしいと自慢しているなか、僕は安い居酒屋の日本酒しか飲んだことがなかったため、「日本酒はあるけど、あまり美味しいと思ったことはない」と正直に答えたら、「自分の国のものに何で誇りを持たないんだ」と指摘され、悔しい気持ちになった。そこで初めて、僕は日本酒をはじめ日本の文化についてほとんど知らず、語ることもできないことに気づかされました。

田中 いい経験をされましたね。そういうことは、違った文化の人たちと交流したい、と熱望する体験を通して自覚的に勉強しない限り、決して語れるようにはなりません。

「興味を持ったもの以外はやりたくない」を貫く

田中 留学から帰られてから変わりましたか。

加登 留学後は、意識して日本文化や歴史を勉強するようになりました。そこで一番興味を持ったのが、やはり日本酒の世界でした。酵母と麹が同時に発酵する世界に類を見ない技術だと分かり、これだったらスイスの仲間にも自慢できると思いました。それからおいしい日本酒を探していろいろなところに飲みにいき、一気にはまっていきました。若者からは美味しくないと敬遠されて需要が下がっている日本酒のイメージをどうにか覆せないかと思い始め、卒業後は日本酒に関わる仕事をしたい、そしてゆくゆくは自分で作りたいと考えるようになりました。

田中 最初から独立を考えていたんですね。

加登 ところが、調べてみると今はほとんど日本酒の製造免許が下りないことがわかりました。そのことを知って間もなく就活の時期が来てしまいましたが、将来独立するなら財務を勉強しておこうと金融系一本にしぼり、なかでも財務と営業を学べるうえ、経営者の方と直接話す機会が多い証券会社に就職しました。入社後、営業で出会う方々に自分の目標を話していくなかで、ある社長さんから「新規で免許はおりなくても、M&Aがあるだろう」とアドバイスをいただき、その手があったのかと気づきました。早速売りに出ている酒蔵を十件ほど紹介していただき、自分で調べた中で佐渡の天領盃酒造を買いたいと考えました。

田中 天領盃酒造のどこに魅力を感じたのですか。

加登 設備が良かったことに加え、財務諸表を見ると、経費さえ抑えれば十分黒字化できると思ったからです。

田中 証券会社での経験が役立ちましたね。

加登 とても役に立ちました。また、日本酒全体の消費量は下がっていますが、純米吟醸、大吟醸の消費量は年々上がっており、若い人にも人気が出ています。天領盃ではこれまで普通酒と大吟醸のみの商品展開でしたが、ラインアップを見直し、人気のお酒を東京と大阪に販路を作って売ればうまくいくという確信がありました。そこで一昨年の9月、24歳でM&Aに向けて動き出しました。

田中 入社して2年もたっていない頃ですね。

加登 証券会社の仕事をしながら、休日に当時の天領盃酒造のオーナーのところにも何度も通い、十年分の事業計画書を何度も書き直しながら作成し、日本政策金融公庫と地元の銀行の共同融資という形で資金を集めてM&Aが成立しました。

田中 好きなことと仕事がここまで結びつくのも素晴らしい。

加登 それは、興味を持ったもの以外はやりたくないという僕の性格かもしれません。小学校からテニスを始め、中学3年間もある大学の付属校でテニス一色の生活を送っていましたが、肘を悪くしてやめざるをえなくなった。目的がなくなり高校では遊んでばかりいたところ、修学旅行から帰ってきた翌日に担任から「そのまま(エスカレーター式で)大学には進学できない」と宣告されたんです。ある人から「大学生活は人生の夏休み」と聞かされていたので(笑)、あらためて大学を受験しようと一念発起。正直、英語はbe動詞もわからないレベルでしたが、中学から遡って勉強するうちに、わかるようになったら楽しくなっていきました。

田中 短い受験勉強期間のなか、よく国際文化学部に合格しましたね。

加登 興味を持つと、どんどんのめりこむタイプなんです。大学進学もダンスも経営者になったのも、そんな経験ばかりです。

田中 働くことと好きなことを分離することはできない。そうなりますよね。今までの話を聞いて、よくわかりました。

日本の良さを凝縮したお酒を作りたい

田中 今はどんな日本酒をめざしていますか。

加登 4月中旬に「雅楽代(うたしろ)」という新ブランドを出す予定です。その名前は、鎌倉時代に順徳天皇が佐渡に流されていた頃、和歌を詠んで天皇に気に入られると土地をもらえたらしく、その土地の人が自分たちの栄えた時代を誇って「歌の代わりの土地」という意味で、名字として「雅楽代」と名乗ったことに由来しています。
さらに、「雅楽代~たまゆら~」と「雅楽代~あたらよ~」という新しいお酒も準備中です。「たまゆら」はほんの少しの時間という意味、「あたらよ」は明けるのが惜しいくらいの夜という意味で、現在と過去の視点を表現した大和言葉です。

田中 なめらかな感じで良いですね。土地のイメージや物語も一緒に味わえそうです。

加登 日本の良さを凝縮したお酒を作ることをめざしています。日本酒の場合は、麹菌が甘みを出してから酵母が甘みを食べるという発酵の過程での甘みの曲線がある。その曲線をどう描くかが大きなポイントとなってくる。
新しく作ろうとしているお酒は、よくある甘口や辛口ではなく、従来は雑味として敬遠されていた「酸味」を加えようとしています。同じく酸味のあるワインのように、和食だけでなく洋食や中華にもあう日本酒を目指しています。

田中 発酵のタイミングで、そのような味の調整ができるんですね。お話を聞いているだけで飲みたくなります。売り方も工夫されますか。

加登 既存の「天領盃」は今の味をベースに同じ方向で高めていき、流通は佐渡だけに限定します。「雅楽代」の方は積極的に県外に出していきます。「雅楽代」の販売は東京9店舗、新潟4店舗の13店舗からスタートする予定で、商品は佐渡に来てうちの酒蔵で実際にこだわりを見てくれる酒屋さんにしか卸さないと決めてやっています。

田中 ところで、私もゼミ合宿等で佐渡には何度も行っていますが、最大の特長は能や古浄瑠璃が盛んだった江戸時代の文化が、凝縮した形で残っているという点です。他の地域では滅びてしまったものが、今の佐渡にはある。江戸時代の工法がそのまま残っている金山の奉行所もあります。

フォト麹の選別作業をしている様子

加登 おっしゃる通り、日本の中のガラパゴスとも言えるくらい独自の文化を発展させていた面白い場所です。魚や果物などの食べ物も美味しい。ただ、宿泊施設が少なく、飲食店も21時にはほとんど閉まってしまうなど、来る人を迎え入れる体制を整えていくことが今の課題だと思います。

田中 東京の人が佐渡の美味しいお酒を飲んだ時に佐渡のイメージが一変する可能性も大きいと思います。ここにくるまでご苦労があったでしょうね。

加登 経営者として入って、組織を作っていく苦労はありました。まずは、朝と夕方にミーティングを行う、社員同士がコミュニケーションを取るといった当たり前を徹底するところから始めました。そして最初に自分の方針を示した上で、「新しく作っていくものを探せなければ、これからの時代に対応できない」と経営者として伝えるべきことははっきりと伝えました。必然的に付いて来られずに辞めていく人もいましたが、現在残っている社員の意識は向上しています。ちなみに天領盃酒造のホームページ(https://tenryohai.co.jp/)は、サークルの先輩に依頼して作成してもらいました。法政大学の繋がりも感じています。

田中 最後に、今後の夢を聞かせてください。

加登 国内での足場を固めた上で、いつか海外で展開したい。そして、スイスの仲間に僕が作ったお酒を飲んでもらいたいです。また経営が軌道に乗れば、自分のようなチャレンジする生き方を、小中学生や高校生にも伝えたいという夢があります。

田中 本日は素晴らしい話をありがとうございました。新しいお酒が飲めるのをとても楽しみにしています。


天領盃酒造株式会社 代表取締役 加登 仙一(かとう せんいち)
1993年6月生まれ。2016年法政大学国際文化学部卒業。在学中はスイスのサンクトガレン大学に留学。卒業後、証券会社に就職するも2年で退職。自身で資金を調達し、弱冠24歳で新潟県佐渡市の天領盃酒造株式会社の代表取締役となり、全国最年少の蔵元となる。現在は佐渡市に活動拠点を移し、清酒製造技術を学んでいる。 天領盃酒造株式会社 https://tenryohai.co.jp/

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