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法政の「自由」から出発し
「今」を生き続ける

井原慶子さん井原慶子さん

自由の伝統の中で得たものが生き抜く力に

田中 法政時代はモーグルスキーをされていたそうですね。

井原 当時の法政には、体育会のスキー部より強い、全国トップレベルのサークルがあって、学校に集まっては各地のスキー場に遠征や練習に出かける日々でした。その費用を効率よく稼ぐために、モデルのアルバイトもしていました。
生まれて初めて自由を味わった感じでした。正直、1・2年生のうちはあまり授業には出られませんでしたが、でもその2年間が、社会に出てから生き抜く力に一番影響しているような気がします。
一気に出会いが広がって、自分とある程度同じレベルの、でも興味・関心がまるで違う人たちと話して刺激を受けた。それは、自由であればどこでも同じというわけではなく、伝統の土台がある法政だからこそ体験できたことだと思うんです。

田中 私が法政で得た自由は、思い切り、ものが書けるということ。自分でテーマを決めて、本を読んで調べて、それに向かって突進していきました。
その中で、自由には自らの責任が伴うということも、自然に学んだ。そこが法政ならではの空気なんでしょうね。

井原 そのことは、3年になってゼミに真面目に通い出してから気づいたかもしれません。
先生から押し付けられるのではなく、自分たちで課題をつくり、目標を決め、議論し、アイデアをまとめプレゼンをする。そういう勉強が新鮮で、はまっていったんです。

田中 法政は先生のサポートの仕方が独特で、細かく口を出さずに、でもやっていることは見ていて必要な軌道修正をしてくれる。

井原 教わったというより、育ててもらったという言葉がぴったりですね。

田中 私も今、自身が体験したその法政の大切な部分を、総長として引き継ごうと努力しているところです。それをまた現在の学生が体験し、さらに歴史をつないでくれたらと願っています。

体力・知力を総動員するスポーツ

田中 レーサーを目指そうと思われたきっかけは?

井原 それも法政時代、レースクイーンのアルバイトで行ったサーキットで、レースの迫力はもちろん、わずかなミスで人が死ぬという極限状況でのスタッフの仕事ぶりを目のあたりにした時です。それで、人間の頭と身体の限界で仕事をしてみたいと感じました。目標も見えずダラダラ生きてきた中で、やっとやりたいことが見つかった瞬間でした。
卒業後、就職先を1日で辞め、100人中99人に笑われながら、4年間訓練を受けつつアルバイトで資金を貯めて、25歳という遅いデビューになんとかこぎつけました。

田中 挑戦してそれを実現する。学生には模範にしてほしいですね。
最近は24時間走る耐久レースの分野でご活躍、女性ドライバーとして世界の頂点に立たれた。そもそも、女性で活躍している方は少ないでしょう。

井原 実は、カーレースは最も体力を必要とするスポーツの一つです。たとえば、2時間の運転はマラソン2回分くらいにあたる。当然女性は不利です。

田中 その中で、井原さんがずっと第一線にいられるわけは?

井原 コミュニケーション能力もありますが、重要なのは開発能力だと思います。さまざまな設定や条件で車を走らせてチェックしていくのですが、私は男性が思いつかないような設定を試すことで貢献できるのです。
レースはそれ自体が実験と開発の場。ドライバーは300キロで走りながらマシンの状態を判断、エンジニアと情報交換して、1周1周最適なセッティングに変えていく。同じ情報がチームの本拠地・ドバイにも飛び、次のレースのためのマシン開発が進んでいるんです。

田中 体力・知力ともに全開、すごい世界ですね。
私たちはつい日本人女性として応援しますが、ご本人に自分が何人かという感覚はなくなるんじゃないですか。

井原 私のチームのスタッフも、30カ国近くから集まっていますからね。何が常識かなどと言っていられず、あらゆる価値観を受け入れられるよう鍛えられますよ。

田中 目標が同じだから、違いはどうでもよくなるんでしょうね。

井原慶子 田中優子

女性にチャンスを与え続ける環境が大切

田中 井原さんのおかげで、日本でもレーサーを目指す女性は増えているのでは?

井原 それで今、カーメーカーと組んで「人づくり」のプログラムを始めています。
まずは裾野を広げるべき時期だという考えから、レーサーに限らず、自動車にかかわる仕事をしたい女性を年齢制限なく募集したところ、18歳から68歳まで、何百人もの応募がありました。

田中 「リケジョ」という言葉は流行っても、工学部に入ってくる女性は少ない。やはり興味がないのかと思ったら、潜在的にはそれだけ志望者がいるのに、活躍できる場がないということですね。

井原 日本はとくに少ないと感じます。入口ではじかれるだけではなく、入ってからも活躍させてもらえない。
わかりやすい例でいうと、先ほどの女性向けプログラムでは参加者全員が実技訓練もするのですが、そこで誰かがスピンしたとします。今までだと、男性陣が飛んでいってドライバーを助け出して、危ないからと、二度とやらせない。

田中 これは女性にはできない、女性の仕事じゃないと排除してしまう意識が、おそらく女性自身も含めて社会全体に蔓延しているんでしょう。

井原 だから私は、どこが悪かったのかを分析して伝えて、成功するまでトライさせる。ここ10年、15年は、そうやって失敗してもチャンスを与え続けることが大切だと思います。

田中 法政でも、ダイバーシティ化委員会を設けて、女性に門戸を開放する取り組みを進めています。でも、実は制度を整えるだけでは不十分だということですね。

井原 女性が活躍できる制度が整ってきた今だからこそ、制度の先の現場の環境を整えるところに切り込む「挑戦」をし、「実行」するのが私の役目だと考えています。

田中 お話を伺うと、職業とか立場の前にまず自分というものがあって、今はこれだと考えることをやられている。

井原 毎回生死がかかるレースというものを経験したおかげで、時間の大切さを人一倍感じるようになりましたから。

田中 今しかないという生き方ですね。今日はありがとうございました。

井原慶子 田中優子


国際レーシングドライバー 井原慶子(いはらけいこ)

1973年、東京都生まれ。1997年法政大学経済学部卒業。モデルからレーサーに転身。1999年にレースデビュー以来世界70か国を転戦。2014年にはカーレースの世界最高峰・WEC世界耐久選手権の表彰台に女性初で上り、ル・マンシリーズでは総合優勝。ドライバーズランキングで女性として世界最高位を獲得して名実ともに世界最速女性ドライバーとなった。レース転戦のかたわら、地域の子どもたちへ英語を教える活動や慶應義塾大学特別招聘准教授として教育活動にも携わる。また、自動車産業や自治体と共に環境車のインフラ整備や女性が活躍しやすい環境作りにも力を注いでいる。