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何かをつかみたい意志さえあれば
一冊の本から世界を広げていける

森岡 督行さん森岡 督行さん

本をめぐる"場"を大切にする

田中 本日は、銀座で一冊の本に関する作品を展示しながら、その本を売る「森岡書店銀座店」に来ています。素敵な空間ですね。店主は、本学卒業生の森岡督行さんです。今日の展示のなかでは、かつて法政大学の総長も務められた谷川徹三さんの北軽井沢の別荘の写真が印象的です。

森岡 かつて谷川徹三さんや野上弥生子さん、田辺元さんといった多くの法政関係者が北軽井沢に別荘を建て、「大学村」と呼ばれていました。1974年には谷川徹三さんの息子さんである谷川俊太郎さんも山荘を建てられ、その建築を担当した篠原一男さんをはじめとする、その時代を代表する建築家が手がけた住宅を収めた写真集『建築のことばを探す 多木浩二の建築写真』を「今週の一冊」として紹介しています。

田中 多木浩二さんという方の写真だったのですね。私も大学村に行ってみたくなりました。

森岡 是非訪ねてみてください。法政のHのイニシャルが入った昔の駅舎もあり何だか嬉しい気持ちになります。

田中 「一冊の本だけを売る」と聞いた時はどういうことかと思いましたが、訪れてみて「ひとりの人間がそこにいる」という風に考えればいいのだとわかりました。人も本も様々な側面を持っている。その一冊が持ついろいろな面を知ってもらおうということですね。

森岡 その通りです。田中先生は『江戸百夢』で木村蒹葭堂(きむら けんかどう)について書かれていますが、まさにあんな風に変わった人達が集まっていて何かを生み出していくイメージです。先生は画から想像を紡ぎ出していかれましたが、私も本をコミュニケーションの手段として、お客様にはいろいろな体験込みで楽しんでいただきながら、他の仕事にも広げています。

田中 以前は神保町の老舗古書店、一誠堂書店にいらしたそうですね。

森岡 はい。一誠堂書店の求人広告見て「どうしても入社したい」と、落ちた時のために出す嘆願書まで用意して面接に臨みました。幸いにも採用してもらい、定年まで勤めたいと思うほど気に入った職場でしたが、茅場町の建物との出会いもあって独立することになりました。
一誠堂ではお客様と話すことはほとんどありませんでしたが、今は対話を大切にしています。気づきがあり、自分の知らない世界を知るきっかけになります。

田中 茅場町から、この銀座に引っ越されたのですね。

森岡 2015年に茅場町から銀座へ引越しました。来てみたらすごく面白い。この本屋がある建物も運命的な出会いがありました。昭和4年に建ったビルで、現在東京都の歴史的建造物として選定されています。ここには戦中、日本の対外宣伝誌を編集する『日本工房』という会社が入っていて、日本を代表するそうそうたるクリエイターたちが出入りしていました。
最近ですが、資生堂の『花椿』から銀座に関する連載のお話もいただきました。

田中 『花椿』の「現代銀座考」を読ませていただきました。素晴らしかったです。ある時代の銀座を「説明」するのではなく、その場で生きていることがどういうことなのかを五感を総動員して、その時代の銀座を歩いているように表現されている。森岡さんが"場"というものを大切にしていることがわかり、書店を営んでいることと繋がりました。街の空気感だったり、歩いている距離感だったり、そういうものと一緒に本を読むことが大事だと大変明確に伝えています。
私は電子書籍でも本を読みますし、どこで読むのかにもこだわりませんが、果たしてそれでいいのかという思いもどこかにあります。江戸時代の本は手にしてみると、感触が独特でびっくりするほど軽いんです。また当時、行灯の薄暗い光で本は読まれていましたが、本当に読めるのか実験したことがあります。すると、現代の紙とインクの本は読むのが困難なのに、和紙に墨という組み合わせだと実際に読めたんです。その時に"モノ"としての本と読む"場"は大事だと実感しました。

森岡 それは大変興味深いお話ですね。去年、NHKのラジオで村山由佳さんと「紙媒体はこれからどうなっていくか」という話をしたところ、紙から得た情報や知識は気持ちに残るという話になりました。脳科学でも紙とデジタルでは脳の認識する部位が異なるそうです。そこで、定着や出力も違い、紙に優位性があると考えたい。放送作家の方も透過光、反射光では認識の仕方が全く違うのは当たり前だとおっしゃっていました。行灯の光で和紙から得る知識はさらに違ったでしょうね。

場数や修羅場を踏む経験が実践知として蓄積

田中 森岡さんの"場"というものへの関心はどこからきているのでしょうか。

森岡 近代建築や江戸の建物への関心があり、その空間に行くと時間をトリップできることに魅力を感じていました。東京だけど東京でないとか、昭和初期の近代建築だけど外国の一部屋に紛れ込んだ感じといったように、空間と時間が揺さぶられるような感覚に興味があるんです。幼い頃、故郷の山形で祖母から聞いた話が影響しているのかもしれません。祖母は昭和5年に生まれ19年に東京に勤労女学生として航空機の部品作りに動員されました。その後、電話交換手として銀座や京橋に出向いていた頃の話をよく聞かせてくれました。

田中 空間の中で別の時間を味わう、まさにタイムトリップですね。そして、大学は東京の法政に進学されました。

森岡 祖母から聞いた東京のイメージが強く、その街に興味がありました。東京に来た際、青山のNTTの建物などを見上げて「この場所に祖母がいたのか」と思ったりしました。山形にいたころは、近所の書店が私のカルチャーへの窓口のような存在で、マガジンハウスなどの雑誌を読みながらアート、デザイン、ファッション、映画への関心を高めていきました。

田中 雑誌やビジュアルから本の世界に入ったんですね。連載に載っている絵も素敵でした。

森岡 ありがとうございます。私にとって最近先生が書かれた『江戸とアバター』の考え方は目から鱗でした。私も本屋、執筆、プロデュース、イラストを描くといったたくさんのことをして生活しています。本屋を営みながらも原稿を書いている自分がいたり、最近はコロナの影響で本屋を開けられませんでしたが、本屋とは異なる分野でプロデュ―スの仕事をしている自分がいたり、自分が何人かいるんじゃないかと考えると面白いです。

田中 江戸時代の文化人は皆そうだったんです。近代になって一人の中に閉じ込めてしまった。今の人も堂々と自分の道をいって、もっとアバターを増やししたらいいのにと思っています。

森岡 これまでを振りかえると、事あるごとに「この仕事どうですか?」と言ってくれた人の存在が大きかったと思います。場当たり的であっても、真剣にやってみたら楽しい。場数や修羅場を踏む経験が実践知として蓄積されていると感じています。法政大学憲章でも「自由を生き抜く実践知」を掲げていますが、こういうことかもしれないと思います。

田中 その「とりあえずやってみよう!」という気持ちは本当に大事です。修羅場をくぐらないと、なかなかアバターも増えません。

森岡 失敗したとしても、次につながる経験になります。常に真剣を抜いて歩いている感覚とでもいいますでしょうか。

田中 それは研ぎすまされますね。

"わかること"の感動がわかった

田中 法政時代はどんな学生でしたか。

森岡 法政では本当に自由に学ばせてもらい、あの空間に身を置けたのは財産だと思っています。何よりも「わかること」の感動のようなものがわかった。市ケ谷駅の前で、授業でもなかなか理解できなかった難解な「ジョルジュ・バタイユ」の本を読んでいた時、突然「わかった」という感覚になった経験をしました。言葉の意味はわからなかったけれど、初めて「二元の世界観が共通したテーマになっているのでは!」と。

田中 その感覚、私もよくわかります。私の場合には日本文学科に在籍していた頃、神田の古本屋で全集を購入した石川淳のエッセイを読んだ時に、江戸時代の精神構造が仕組みごと入ってきてしまった。「わかった」のです。その時は自分が何をわかったのかわからなかったのですが、「自分がわかってしまったものを知らなくてはいけない」と思い、必死で勉強しました。それ以降は何でもいいから知識を増やすのではなく、「納得」という核があった上でそれを証明する知識をつけていくという方向に学び方も変わっていきました。

森岡 その江戸時代の精神構造とはどのようなものか、興味があります。

田中 一言で言うと「見立て」です。伝統に裏付けられた想像力です。まさに先ほどの話に繋がるのですが、目の前にいる人の背後にたくさんのアバターが見えてしまうという精神構造です。江戸時代はこの精神構造が核となっている。不思議ですよね。それが直感的にわかったけれど、歴史的事実としては説明できなかった。だから研究の世界に入りました。「わかりたい、表現したい」という意志があれば、一冊の本からでも世界を広げていくことができるのです。

森岡 まさにその通りだと思います。最近、コロナ時代にどんな本を読むべきかよく聞かれるのですが、「こうなったからには自分で考えた方がいい」と答えています。その方が血肉化されるからです。自分で意志を持って考えるということは、深く豊かな言葉を自ら身につけていくということです。それがないと想像力が生まれないし、世界を広げられない。
ただ、本来なら様々な学問の前に哲学があるはずなのですが、現在はその哲学の部分が見えにくいのではないかと感じています。自分の言葉を得るためには哲学が必要でしょう。でも、日本の教育現場では哲学に接する時間が短い。

田中 江戸時代の教育現場には哲学がしっかりとありました。まさに「人間はどう生きるか」を「四書五経」と議論を通じて学んでいたんです。学生が交替で講義をし、とにかく議論をすることが思考訓練となっていました。このように哲学という土台の上に自分で考えることを実践してきた人たちによって明治維新が成し遂げられたんです。そう考えると、確かにかつての日本には思想はあったけれど、今はそれが見えない。さらに社会情勢はますます混乱しています。だからこそ今は自分で何かをつかむ好機なのかもしれません。企業への就職にしても、安泰ではない時代にどういう仕事や働き方があるかを考える機会にもなります。

フォト

森岡 たしかに今は、これまでの知識やデータが通用しない無人島にきた感覚に近い。昨年、法政大学のキャリアデザイン学部で「仕事を考える」というテーマでお話しましたが、学生が熱心に質問してくれて嬉しかったです。学生の熱意や視点は圧倒的に面白いし、社会と真剣に向き合っている先生も多い。私も今でも先生方との関係は続いています。

田中 社会的な関心が高い先生が多いので、学生のまなざしとしては自然に外に向かう傾向にありますよね。

森岡 私も学生時代は自分なりに世の中の矛盾と向き合っていました。当時は良いことと悪いことあったら悪いことを解決しようというスタンスでしたが、独立してからは良いことを伸ばそうという風に変わっていきました。

田中 法政大学憲章をつくるときも、悪い部分を批判するのではなく、大学の良い部分を見直していくことにしました。良いことに言及する方が社会も人も変わりうる、と。

森岡 私も同じ意見です。新しい法政大学像とも重なる気がします。

田中 そう言われればそうかもしれません。自由に価値を置く大学の姿勢をもっと外に向かって見せていきたいと思います。

森岡 今年オープンしたHOSEIミュージアムは良いですね。

田中 予算がないのでデジタルしかないという発想でしたが、おかげさまで好評です。

森岡 私は場所がないお金がないなら、むしろラッキーと思いたい。制約がある中で突破口が見えた時に「これだ!」と嬉しくなります。

田中 やはり、何でも挑戦してみようという姿勢が大事ということですね。本日は森岡さんを通じて改めて法政の面白さに気づくことができたような気がします。ありがとうございました。

森岡 ありがとうございました。


森岡書店店主 森岡 督行(もりおか よしゆき)

1974年山形県生まれ。1997年法政大学法学部卒業。1998年に神田神保町の一誠堂書店に入社。2006年に「森岡書店」として独立。著書に『写真集 誰かに贈りたくなる108冊』(平凡社)、『BOOKS ON JAPAN 1931-1972 日本の対外宣伝グラフ誌』(ビー・エヌ・エヌ新社)、『荒野の古本屋』(晶文社)など。企画協力した展覧会に「そばにいる工芸」(資生堂ギャラリー)、「畏敬と工芸」(山形ビエンナーレ)などがある。近年は洋服などのプロデュースを手がけることも多い。株式会社森岡書店代表。『工芸青花』(新潮社)編集委員でもある。