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時間を忘れて打ち込めるくらい
夢中になれることを見つけてほしい

山舩 晃太郎さん山舩 晃太郎さん

法政大学でたまたま面白いことに出会ってしまった

田中 本日は卒業生で水中考古学者の山舩晃太郎さんをお迎えしました。私は水中考古学の専門家からお話を伺うのは初めてですのでワクワクしています。在籍された法政大学文学部史学科には水中考古学にあたる専門はありませんよね。

山舩 僕は後藤篤子先生の西洋古代史のゼミに在籍していました。大学時代は体育会硬式野球部の練習が忙しかったのですが、2年生の冬あたりに卒論のテーマを選ぶため、いろいろな本を読むなかでたまたま水中考古学を知り、夢中になりました。

田中 では、卒論は水中考古学について書いたのですか。

山舩 いえ、本当は書きたかったのですが、日本では参考資料が少な過ぎると先生からアドバイスを受けて断念。古代ギリシャの三段櫂船(トラムリム)の徴兵制について調べました。

田中 野球部に所属しながらそうした分野に関心を持ち続けたのはすごいことですよ。

山舩 ありがとうございます。僕も他の野球部員と同様、小学校時代からプロ野球選手をめざしていましたので、勉強に熱心なタイプではありませんでした。ただ、いつかは本格的に勉強してみたいという憧れはありました。特に考古学や歴史に関しては、映画のインディージョーンズシリーズや司馬遼太郎さんの本の影響もあってずっと興味を持っていました。もしもプロ野球選手になれなかったら、高校で歴史を教えながら高校野球に関わっていけたらいいなと思い、史学科に進学しました。

田中 もしかしたら歴史の先生になっていたかもしれないのですね。でも卒業された後は、海外に行かれました。

山舩 たまたま、フロリダ州の泉(水中洞窟)に10000年以上前の人間の脳の組織をそのまま残した頭蓋骨が見つかったことを知ったんです。水中は酸素がないので保存状態がいい。さらに砂の下には有機物さえも何千年も残っている。陸上ではあり得ないことですよね。「面白いことを見つけてしまった!」と、どうしてもこの勉強がしたいという思いが強くなり、野球部引退後に研究することを決意。後藤篤子先生と博物館学の金山喜昭先生に相談したところ、「海外に行ってきなさい」とアドバイスいただきました。僕は成績も決して良くなかったですし、英語も苦手でしたので、その反応に驚きました。後々聞いてみると、「君だったら失敗しても何かを学ぶことがあるだろうし、へこたれない性格だから大丈夫だと思った」とのことでした。

田中 背中の押し方がすごい。さすがです。

山舩 幸い、両親も賛成してくれて、船舶考古学の研究が可能なアメリカのテキサス農工大学大学院に進学しました。

野球部で鍛えた集中力と体力が生きている

田中 アメリカの大学院は大変でしたか。

山舩 まずは、入学に必要なTOEFLとGREの成績をクリアするための勉強が、今思い出すだけでも吐いてしまうほど大変でした。しかし、本当に大変だったのは、入学後でした。なんとか日常会話はできるようになって意気揚々と初日の授業に出たところ、先生が何を話しているのかさっぱりわからず、頭が真っ白になりました。思案の末、授業にレコーダーを持ち込ませてもらい、先生が示した写真をひたすらスケッチしました。授業後の記憶が鮮明なうちに図書館に直行し、同じ写真が載っている本を必死で探し、録音した音声を聞きながらノートを作りました。1時間半の授業のノートを作るのに15時間費やしましたが、それでも最初の1〜2年はAも取れませんでした。なんとか良い成績を取れるようになるまで5〜6年かかりました。

田中 博士号を取るまで、それをやり抜いたところが本当にすごい。

山舩 大変でしたが、楽しかったんです。

田中 その気持ち、私にもとてもよくわかります。私も大学時代に江戸文学に出会ったものの、古典がなかなか読めない。なんとか読めるように努力する一方、英語も苦手でしたからフランス語で大学院受験ができるように勉強しました。好きなことに打ち込んでいるので、勉強している感じはなかった。

山舩 僕も「よくそんなに勉強できるね」と言われるんですが、僕にとっての水中考古学は鉄道マニアにおける時刻表と一緒(笑)。何十時間でも読んでいられます。

田中 その集中力と体力は野球で鍛えたものですね。

山舩 本当にそうなんです。20人くらいの人と一つ屋根の下で生活をする発掘調査においては、野球部時代に叩き込まれた「言われる前にやる」という教えが生きています。これは日本独自の文化らしく、「言わない方が悪い」というのが海外の文化だと気づきました。だからこそ、先を考えて行動ができると賢い人間と評価されるんです。そうするとまた発掘に呼ばれるようになり、さらに経験が積める。また、僕の場合はたくさん失敗したこともよかったと思っています。失敗すれば失敗した理由を考え、繰り返さないことで成長できる。死なない限り成長できるんです。これも野球を通じて学んだことです。

田中 失敗を恐れないことは、今の学生にも大事なメッセージだと思います。その経験が自分を作り上げていくのですから。海外の方との共同調査では学ぶことも多いでしょうね。

山舩 水中考古学は国際色豊かな領域で、先日はウルグアイでイギリス船の発掘し、その後はコスタリカでデンマーク船の発掘をしたという具合です。僕の専門の船舶考古学では、船はそもそも移動するものなので国境はない。学際的でもあり調査チームの中にはロボット工学の人もいれば昆虫学者の方もいます。

田中 専門の船舶考古学の魅力は何ですか。

山舩 古代エジプトの時代からの造船技術の発展史を研究しているのですが、例えば、現代のコンビニが海に沈んで3000年後の世界にそのまま発見されることをイメージしてください。それを見れば、その時代の生活がわかりますよね。昔の船は現代であればスペースシャトルのようなもので、時代の最新鋭の技術で作られている。当時の人類の技術や暮らしが明らかになる重要な学問です。

田中 博士論文のテーマはどうされたんですか。

山舩 知識と現場で使える技術の両方が必要と考え、自ら開発した発掘調査の3Dモデルの活用法に関して書きました。

田中 会社も作られましたね。

山舩 本当は大学に残るよう言われたのですが、いろいろなところから3Dモデルの作成依頼が来てしまった。大学所属の外国籍の研究者という立場よりも、会社という形の方が依頼しやすいと言われ、自分でも3Dモデルに関わった方が研究者としての経験も多く積めると判断しました。遺跡は、いつかは風化してしまいますが、データとして残せば未来に伝えることができる。できれば考古学者すべてに自分の技術を使っていただきたいと思っています。

昔の人が生活した中に自分がいる感覚

田中 沈没船はどんな風に見つけられるのですか。

山舩 船は飛行機と一緒で出航後や帰還時に沈むので陸の近くに沈んでいるケースが多いのですが、簡単には見つかりません。たまたま漁師の網に引っかかるなどして大学や政府に連絡があったものを調べることがほとんどです。

田中 日本の船の研究もされていますか。

山舩 僕の専門は大航海時代のポルトガル、スペイン船です。将来日本の大学で教える機会があれば、日本史と西洋の造船史を合わせた授業をしたいと思っています。当時の日本は世界的に大変重要な場所で、マルコ・ポーロの「東方見聞録」にも中国の東にとてつもない文明があると書かれていました。宗教改革で地位が落ちたカトリック教会の威信を取り戻そうとしたイエズス会にとっては、世界の端の日本にキリスト教を伝えられたら世界中に広めたことになる。だからあれほど多くのポルトガル人が日本に来たわけです。

田中 「コロンブス航海記」にもジパングが出てきますよね。アカプルコからマニラにアメリカの銀を積んだガレー船が来た。それが日本に与えたインパクトは大きく、江戸時代ができた理由にもなっているんです。というのも、日本は銀の産出国で中国とかなり交易をしていたのですが、マニラに大量の銀が入ってしまうと日本銀の価値が下がる。それでどうにもならなくなって朝鮮に出兵して植民地を得ようとしましたが敗北し、その結果として江戸時代が誕生した。どん底から這い上がるための時代が江戸時代だったと私は位置づけています。大航海時代と江戸時代の関係は非常に深い。

山舩 日本の戦国時代と西洋の大航海時代は別々に考えられてしまうわけですが、実はものすごく関係しています。

田中 まだ未知のところも多く、将来性がある学問ですね。

山舩 考古学は500年以上の歴史がありますが、水中考古学は技術の関係もあってまだ60年です。ユネスコでは100年以上前の船が300万隻も海に沈んでいると発表しており、世界中で新しい発見が毎週のようにあります。問題なのは、予算と研究者の数が少ないことです。沈没船は、空気中に引き上げられた直後から何十年にも及ぶ保存処理を行うため、研究者と予算、そして保管する博物館までを決めておかないと引き上げられません。さらには、実際に作業をする方には潜水病のリスクがあり、30分の潜水を1日2回までと制限があります。そのため、予算が数億円必要なプロジェクトにもなります。まずは認知されないとなかなか予算もおりないため、水中考古学の魅力を子どもたちや学生に広めていく活動にも力を入れています。

田中 子どもたちは興味を持つでしょうね。

山舩 ジュラシックパークなどの影響もあって、恐竜の骨を発見する子どもが時々いますが、将来水中考古学が広まれば、その価値に気付いてもらえ、海に囲まれ川も多い日本では子どもたちからの大発見も期待できるのではないでしょうか。
僕は水中考古学の魅力を教える際には、トレジャーハンターとの違いも伝えるようにしています。水中考古学者は5〜10年勉強し、100〜200年後の研究にも役立つよう情報を正確に記録しています。それを元にした研究者の仮説は批判にさらされることで洗練し、博物館や教科書を経由して情報が伝わっていく。一方で、自らを水中考古学者と偽り、ダイナマイトで遺跡を壊し、金属探知機を使って金貨や銀貨を盗み、情報や記録を一切残さないトレジャーハンターがいる。陸上だったら盗掘となるが、水中だとロマンがあるみたいなことになっているのも問題です。

田中 お伺いした水中考古学のお話、想像をはるかに超えるほど面白かったです。

山舩 毎日文化祭をやっているような面白さです。海中から出てきたものを、ジグソーパズルのように自分の仮説や別の遺跡と合わせていき、うまく組み合った時に当時の最先端技術がわかる。昔の人が生活した中に自分がいる感覚を味わえます。

田中 そんなに夢中になれるものを見つけられて本当によかったですね。

山舩 僕の場合は野球から別の分野に行く時は勇気がいりましたが、ある程度の努力と投資をしないと本当に好きなものは見つからないですよね。研究でも同じです。学生に皆さんにも時間を忘れるくらい夢中になれるものとの出会いを経験してもらいたいです。

田中 今日のお話は学生たちに強いインパクトとなると思います。ありがとうございました。


水中考古学者 山舩 晃太郎(やまふね こうたろう)

1984年3月生まれ。2006年法政大学文学部卒業。テキサスA&M大学・大学院文化人類学科船舶考古学専攻(2012年修士、2016年博士号修得)船舶考古学博士。合同会社アパラティス代表社員。テキサス農工大沈没船復元再構築研究室研究員。東京海洋大学非常勤講師、エクスタナード・デ・コロンビア大学外国人特別客員教授、九州大学共同研究企業代表。


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