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"大義ある逆境"に挑戦し
一度しかない人生を生きる

鈴木 直道さん鈴木 直道さん

財政再建と地域再生の両立をめざす

田中 鈴木さんは夕張市長として、独自の発想で社会を再構築することに挑戦していらっしゃいますが、どんな風に取り組んでいますか。

鈴木 夕張市は財政破綻してちょうど10年が経ちました。行財政改革の成果もあり、116億円の借金を計画通り返済する一方で、緊縮財政により市民サービスは低下し、人口の3割以上が流出した現実もあります。現在の夕張市の65歳以上の人口は全体の約50%です。破綻時が36.7%であったことを考えると、現役世代の流出が急増したことがわかります。高齢者への政策は、ある意味国全体でやっていくものが多いですが、子どもたちや子育て世代への政策となると、各自治体の財政状況によってかなりの格差が生じています。そのため、予算の限られた夕張市では現役世代の流出により、さらに高齢化が進んだととらえています。

田中 かなり難しい状況だったのですね。

鈴木 財政再建一辺倒だと地域社会の崩壊にもつながりかねない懸念があることから、2017年3月に財政再建と地域再生の両立をめざす計画を打ち出したところです。大学の先生や有識者による第三者委員会をつくり、180人の市民とも話し合っていただきました。その際、最初に手を挙げた高齢者の方が、なんと「職員の給料を上げてください」と発言されました。10年前は全くそのような発言はなかったのです。この10年の間、全国の中で一番低い給与で休みなく働く職員や、この状況にどうしても耐えられずに退職していった職員を見て、このままでは街のサービスが支えられないということを現実としてとらえた発言だと思います。また、多くの高齢者の方々が「私たちのことをなんとかしてください」と言うのではなく、「私たちのことよりも、将来の若い世代や子どもたちのために未来をつくる事業へ投資してください」と言われたと聞き、胸が熱くなりました。

課題を解決し、経験を発信する教育を

田中 教育政策にも積極的に取り組んでいらっしゃると聞いています。

鈴木 夕張市内にある小学校・中学校・高校の12年間でグローバル人材を育成するという北海道では初の取り組みに挑戦しています。こうした教育にはお金がかかりますが、企業から5000万円ご寄附いただいたほか、全国の夕張ファンのみなさんからも約2100万円が集まりました。
法政大学の憲章に「実践知」という言葉があります。まさに夕張市も課題だらけの場所で課題解決を実践し、そこで得た経験や感じたことを世界に発信する教育を行っていきます。例えば先日、高校生に「廃線後の公共交通を考える」という課題に取り組んでもらいました。実際に鉄道を利用している高校生たちが、JRの赤字が年間1億8000万円、バスへの補助金も年間3000万円という厳しい現実と向き合い、車両の適正化や利用の有無を可視化するアプリを導入することで、事業者も利用者も役所もみんなが協力して得をする方法を一緒に考えてくれました。そして、市役所に提案してもらい予算化され、現在は実行の段階に入っています。

田中 それは素晴らしい実践ですね。法政大学にも是非そうした高校生に来ていただきたいです。

鈴木 子どもたちが「どこの出身なの?」と聞かれて「夕張です」と言うと、「それは大変だね」と言われるのではなく、「じゃあ、英語もできるし、多くの課題に向き合って解決してきたんだね。是非うちに来て欲しい」と、大学や企業から言ってもらえる人材に育ってほしい。私は、夕張という土地だからこそ、実際に厳しい課題に直面しながら人に寄り添うことを自然に学んだ人材が育成されていると思っています。就職は必ずしも夕張市内でしなくてもいい。18歳まで夕張でかわいがって育ててもらったと、社会に出てから思ってくれることが大切です。

田中 学校数はどのくらいですか。

鈴木 夕張市は東京23区を合わせた面積よりも広いのですが、統廃合の結果、小学校、中学校、高校も各1校だけになってしまいました。しかし、それを逆手にとって連続性と特色を持たせ、一人一人の教育予算を確保していきます。

田中 追いつめられたことを前向きにとらえ直していくのですね。今回の選挙では教育の無償化も争点になりましたが、夕張市ではどうされていますか。

鈴木 保育園の無償化をやっている自治体はたくさんあります。実は、夕張市もやっているんですよ。あの夕張市でさえも無償化しているなら、道も国もやらないといけないと思ったのではないでしょうか。

田中 法政大学にも経済的に余裕のない学生がたくさんいます。そういう学生にも教育の中でまなざしを向けなくてはいけないと思っています。そこで、給付型の奨学金を複数種類作っていますし、卒業生たちが次々と冠(かんむり)奨学金を設定してくれています。これまで日本はそういうことに目を背けてきたのかもしれません。

鈴木 今までは、成長を前提とした制度設計を時代ごとに若干の修正を加えながら運用し、なんとかやり過ごしてきたのだと思います。これから首長としてできることは、経済規模や人口が少なくなっても、市民が幸福感を持って地域で暮らしていける道を徹底的に模索することだと考えています。

田中 発想や価値観を変えていかなくてはいけない時期にきているなか、鈴木さんは規模を大きくするという発想ではなく、限られたなかで自分だけではなく周りの人も含めた社会をどのようにつくっていくかという発想でものごとに取り組んでいるのですね。

意欲さえあればどこまでも可能性が広がる

田中 今の自分に大きく影響を与えた経験はなんですか。

鈴木 やはり法政大学時代の経験が大きいと思います。高校生の時に父親がいなくなってしまい、母子家庭になりました。それまでは大学を卒業して就職することが当たり前だと思っていましたが、親がいることや大学に行くことは決して当たり前のことではないと気づいた。姉が大学をやめて働き始めたので、私も高校を中退して働こうとしたら、周りの人から「高校は出なさい」と言われました。今思えば奨学金制度などもあったでしょうが、当時はその日その日を乗り越えていくのに精いっぱいで、そんな考えに及ぶ余裕もありませんでした。たまたま手に取った本で、高卒で就職するなら公務員がいいと思い、国家公務員よりも給与の高い東京都庁に就職しました。それでも大学生活への憧れは捨てきれず、職場の人に相談したところ、職場からお金を借りられることを知りました。当時の課長も夜学を出ており、いろいろ教えてくれたんです。1年目から行くのではなく、貯金をして2年目から行きなさいというアドバイスをいただきました。
振り返ると、法政大学ではもう同じ生活は二度とできないくらい頑張りました。留年などもってのほかで、働きながら4年間で卒業するとなると、1日2コマ履修して単位は1つも落とせない。体育会ボクシング部にも入り、肉体的にも精神的にも大変でしたが、その日その日を一所懸命過ごしました。あの時の大変さを乗り越えたという自信が自分の原点になっています。法政の良いところは、意欲さえあればどこまでも可能性が広がる場所だというところ。志があれば支えてくれる人がいるし、自分の力を伸ばせる環境があったと思います。法政での大学生活は人生の宝物です。

田中 その経緯は『自由という広場』でも書かせていただきましたが、ボクシングまでやられていたことは、何度うかがっても驚きです。

鈴木 実は、私は怠け者ですぐにさぼる人間なんです。自分を逆境に置かないと駄目になるとわかっているので、都庁に入ってからも敢えて厳しい仕事に自分を追い込んでいました。ボクシング部に入ったきっかけも、出席すれば体育の単位がもらえるという軽い気持ちからで、もちろんボクシングは未経験です。しかし、入ってみたら練習場がオリンピック強化施設で驚きました。入部当初は、仕事で昼間の練習には出られない分、授業が終わって毎晩9時から11時までひたすら掃除や洗濯担当。残ったわずかな時間で練習に励みました。単位を落としたくない一心で毎日のように通っていたら、出席率が一番高いということで主将に推薦されました。東京都代表として国体や全日本に出る目標を掲げて頑張りましたが、決勝で敗退。挫折も含め、とてもいい経験になりました。

田中 鈴木さんは、必ずそのときそのときの目標を持って生きていらしたのですね。

鈴木 一度しかない人生を一所懸命生きたいんです。人がやりたがらないことに大義があることがある。大義ある逆境に挑戦することが自分の人生のテーマです。よく言われるのですが、周りの人たちが「絶対に無理」と思っていることに、何度も挑戦したくなってしまうのです(笑)

田中 鈴木さんが道を示していくというのは後に続く人に大きな影響を残していくと思います。特に、日本の自治体と日本そのものがこれからどうなるのか、その観点から、鈴木さんの挑戦にずっと注目していきます。


夕張市長 鈴木 直道(すずき なおみち)

1981年3月14日埼玉県三郷市生まれ。1999年東京都職員となる。2004年法政大学法学部法律学科を卒業(都庁に勤めながら4年間で卒業)。2008年より2年余り夕張市派遣。2010年より内閣府地域主権戦略室へ出向(夕張市行政参与に就任)。2010年11月末、東京都を退職。2010年12月より再び夕張市へ転入。2011年4月30歳1ヶ月で(当時全国最年少)夕張市長に就任。2013年ダボス会議を開いている世界経済フォーラムが選ぶ「ヤング・グローバル・リーダーズ(YGL)」に選出。2015年夕張市長に再選。