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母校を愛する先輩の言葉と行動が在学生の誇りを育てる

福田 明安さん福田 明安さん

振り返れば「雑草」のように強く生きてきた

田中 ご寄付をもとに創設させていただいた「福田明安奨学金」は、ご家族の事情や災害・事故などで家計が急変したときに利用できる、返還不要の給付型奨学金として、昨年度から募集・活用が始まっております。学生数4万人を超える大所帯、いつだれに何がふりかかるかわかりませんから、とても助かる学生が出てくると思います。あらためまして、本当にありがとうございました。

福田 私自身、大学後半の2年間、日本育英会の奨学金のお世話になりましたし、実はもうひとつ、法政大学の当時の独特なシステムに助けられたことへの恩返しの意味もあります。あの頃、私の知る限り法政だけが、授業料を前期・後期ではなく、月納を許していて、それは私が法政を選んだ大きな理由のひとつでした。
経済的に困難な事情を抱えた学生にもできるかぎり学業の道を開く、そういう心意気が法政の伝統の中にあるのだとしたら、私もそれを引き継いで伝えていく一助になればと、僭越ながら考えていました。

田中 私も奨学金のおかげで法政で勉強させていただきましたから、そのありがたみは十分承知しているのですが、福田さんにはそれ以上の思いがおありだったんですね。
そしてなにより、福田さんのように法政を卒業して成功され、いまなおこの大学とそこに通う自分たちを気にかけてくださる先輩がいらっしゃること自体が、学生にとって大きな誇りや励みになると思います。
むろん私にとっても頼もしい大先輩で、私の知らない法政をご存知でいらっしゃいます。経済学部へのご入学は1953年、戦後復興が道半ばのまだまだ大変な時代ですよね。

福田 鮮明に覚えているのは、入学式の日、羽織袴に学帽・襷掛けの学生が校歌を歌って出迎えてくれたこと、それと大内兵衛総長の訓示です。「君たち、雑草たれ」----当時は、なんで雑草なんだという疑問もわいたのですが、振り返れば「苦難に遭っても、踏まれても強く生きよ」というその教えは60年以上私の中に生きて、支えとなっていました。周りの同窓の仲間をみても、やはり強くたくましく生きてきたなという感じがします。

田中 たしかに法政の卒業生は、順風に乗って成功するより、困難を乗り越えて頭角を現すタイプが多いように、私も感じます。ところで、別の記事で拝見したのですが、講義を一度も欠席されなかったとか。

福田 それはちょっと大げさでした。その心づもりでいたと申し上げました。勉学は好きなほうでしたから、教科書や参考書を買い込んで、雲の上の存在のような教授たちの講義を聞けるのがとても楽しみでした。

田中 昼間はどんなお仕事を?

福田 国家公務員試験にパスしたので、東京国税局に勤めていました。大手町の勤務先から大学まで歩いて通えたのも幸運でした。

田中 そうはいっても、両立は大変だったのではありませんか。

福田 家は埼玉の大宮でしたから、朝早く出勤して、大学から夜遅く帰るのは正直大変でした。いまでいうキャンパスライフ、遊びの時間はまったくありませんでした。でも、素晴らしい教授、書物、そして仲間たちとの出会いがあって、法政ではとてもいい時間を過ごさせてもらったと感謝しています。

寄付を考えたきっかけは、人のつながりと母校愛と先祖の血

田中 法政で学ばれた結果として、税理士の資格をおとりになった。でもそれで、国税局の安定したお仕事を辞めて独立なさるというのは、大変なご決断だったのではないですか。

福田 実は、プールとテニスコートのある家に住みたいという子供のころからの夢がありまして、これは公務員では無理だなと(笑)。とはいえ当然のことながら、これで生活していけるのかというおそれからのスタートでした。
ところが、たいへん幸運な人とのめぐり合わせがあって、それは戦時中、生徒を連れて東京から疎開してこられた小学校の校長先生がうちの2階に住まわれていたのですが、この方がとても豊かな人脈を持っておられて、事務所を開いた私は、お知り合いを通じて国際弁護士にたどりつきました。

田中 当時はまず出会えないご職業ですね。

福田 そして彼が、ヨーロッパの銀行、画商、さらにはアメリカの2つの州政府まで含めて、20数社をクライアントとして紹介してくださったんです。日本の、それも外資系の大手監査法人ならともかく、個人事務所がそうした業務を受任するなどということは、当時ありえない奇跡でした。

田中 もちろん、そのお仕事をこなしてしまう実力をお持ちだったからこそのこと。それにしても、すごいめぐり合わせでしたね。

福田 何より世界の一流の監査法人と同じ職種で業務をする機会をいただいた。これは本当に大きな財産になりました。でも、このときの一番大きな学びは、人とのご縁とつながりの大切さです。たまたまわが家に一時期間借りされた校長先生が、周りの方たちととてもよい関係を築いていらして、そこに私をつなげてくださった。そのおかげでいまの私があるわけですから。

田中 そのあと、福田さんご自身が人との出会いとつながりを大切にしてこられた、その結果が現在のご成功ということですよね。

福田 でも、プールとテニスコートは結局実現しませんでした(笑)。

田中 実現しようと思えばできる財力はお持ちのはずですよ(笑)。ところが福田さんは、それをご自分のためではなく、たとえば本学へのご寄付のように、他の人たち、社会と分かち合ってこられた。

福田 それには母校愛以外に、もう一つきっかけがあるんです。曾祖父が明治5年、当時の熊谷県(現・埼玉県、群馬県)に、小学校建設資金として3円を寄付したことへの感謝状が、居間の額に飾ってありまして、これを子供ながらに、いいことをしたんだなと眺めていました。今でいえば数万円というところでしょうか、大した金額ではなかったのかもしれませんが。

田中 いえいえ、当時の一般の方にできることではありません。どのようなおうちだったのですか。

福田 実は15代たどれる家系図がわが家にありまして、江戸時代は名主だったと聞かされていました。

田中 名主ということは、現在の村長のようなリーダーでもあり、村民のために酒・醤油のような生活必需品を醸造するなど、たいへん大きな役割と責任を担っておられたわけですね。

福田 武士ではありませんでしたが、苗字・帯刀を許されていましたし、周囲を見渡すかぎり、福田家の田畑だったとか。ところが祖父と父がとんでもない人で、それを2代で「飲みつぶして」しまった。ですから、私が大学に行くころには土地も財産もまったくなくなりました。刀や書物などはいくらか残っていて、二番目の兄の家に移してあるのですが。

田中 もしかしたら貴重な文献もあるかもしれませんよ。機会があれば是非拝見したいです。でも、そうしたご経験もあって、ご自分がきちんと勉強して仕事をして、福田家を建て直したいというお気持ちが強かったんでしょうね。

母校愛を形にする機会と工夫を

田中 それにしても、日本には「寄付」という文化がまだ根付いていませんから、福田さんは間違いなく特別な存在ですよね。かくいう私も、国境なき医師団やユニセフ、アムネスティ・インターナショナルなどいくつかの団体に、ささやかながら寄付をしているのですが、そうすると、金額の多少に関係なく、相手の団体の活動を調べ、興味を持つことになり、そして自分の視野、世界が広がる。これはとても大きなことです。
たとえば人権問題を扱うアムネスティは、いまどこでどういう人が投獄されているか、といった情報も送ってくる。これは一般の報道ではなかなか知りえないことで、大事なことを考えるきっかけを与えてくれます。

福田 私も何カ所かに寄付をさせていただいて、それは感じますね。愛する法政大学にしても、その気持ちを寄付という形にしたからこそ、こうして総長対談に招いていただき、これ以上の喜びはありません。

田中 もちろん、寄付という形にこだわらず、校友の皆さんには大学に積極的にかかわる行動を起こしていただきたいんです。それによって、卒業生にはいま大学や学生が何を必要としているのか、現状がわかっていただけますし、反対に学生たちには、法政での学びを活かし、活躍している先輩がどれほどいるのかを知ってもらえる。

福田 入学式に卒業50周年のOBを呼ぶ、あれはいい企画ですね。私は今度、奨学金を受けた学生さんとの面談の機会をいただけるようなのですが、そのように卒業生と在学生が直接触れ合う場も、どんどん作っていただきたい。私と現役の学生さんの間には60年以上の時代の差があるわけですが、それでも直接お話しをすれば、同じ法政人同士わかりあえるものが必ずあると思います。
ご存じの通り菅官房長官と沖縄の翁長知事はともに法政OBですが、お二人が米軍基地問題で会談されたあとの握手のシーンをテレビで観たことがあります。おそらく激しく意見を戦わせたであろうお二人の間に、そのお立場・考え方の違いを越えた、法政の同窓生としての友情というか共感が見えた気がして、これこそわが自由の学府の卒業生の姿だと、胸があつくなりました......私の思い込みかもしれませんが。

田中 いいえ、思い込みではないと思いますよ。本日は本当に力づけていただきました。どうもありがとうございました。


元税理士 福田 明安(ふくだ あきやす)

1931年埼玉県生まれ。1957年経済学部経済学科を卒業。関東信越国税局直税部、東京国税局調査部を経て、福田会計事務所を新宿・銀座にて開業。ご自身も20年かけて奨学金を完済。在学生に対する温かな支援の気持ちと、母校法政大学に対する熱い期待から、ご寄付により2016年度に「福田明安奨学金」を創設。当奨学金は、学業成績が優れ修学の意思があるにもかかわらず、経済的理由により修学困難な学生を対象に、返還不要の給付型の奨学金として給付されている。


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