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自分が心惹かれることに従い、自分の人生を生きよう

飯嶋 和一さん飯嶋 和一さん

「書きたいもの」を書くためにやっている

田中 私は飯嶋さんの小説を20年近く愛読していますので、今日はお会いできてとてもうれしいです。実は私と同時期に法政大学文学部日本文学科に在籍されていたのですよね。

飯嶋 山形の高校を出て日本文学科に入学し、沖縄文学研究をされていた外間守善(ほかましゅぜん)先生のゼミで学びました。小説を書き始めてからも、笠原淳さんをはじめ藤沢周さんや川村湊さんなど法政出身の方とはご縁があり、お会いすることもできて、法政で学べてよかったなと思っています。

田中 最初は公募で新人賞を受賞されたのですよね。

飯嶋 コネもないし、公募でやるしかなかった。30歳を過ぎた頃にある小説誌の新人賞を受賞したのですが、どうも出版社の方針と合わない。法政出身の芥川賞作家である笠原淳さんも同じ新人賞を受賞したけれど、新潮新人賞を取り直していたと知って、それを励みに5年後に『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞を受賞することができました。

田中 小説家以外のお仕事はされていたのですか。

飯嶋 卒業後2年間、法政の通信教育課程で教員免許を取得し、船橋で教師になりました。ところが、授業や部活で驚くほど忙しくてほとんど休みもない。「自分に戻る時間」がないことがつらかった。自分を取り戻すにはどうすればいいか考えた結果、朝起きたら何でもいいから文章を書くという生活を続けてきました。ただ、最初は文章を書いていただけで、小説ではありませんでした。

田中 最初から職業作家になろうという考えはなかったのですか。

飯嶋 そこに価値を感じていませんでした。学校を辞めてからも、54歳まで塾や予備校で働きながら執筆していました。

田中 つまり、好きだから書くということですね。そういえば、初期の作品は連載ではなく書き下ろしでした。

飯嶋 書き下ろしの方が出版社の意向に縛られずに済みます。基本的には書きたいものを書くためにやっているので、普通の仕事をしながら自分のペースで書いた方がいいという考えでした。今はもう10年以上前に予備校を辞めましたので、連載をやらせてもらっています。

「近代になって失われたもの」を描きたい

田中 私は江戸時代に空を飛んだ浮田幸吉をモデルにした『始祖鳥記』を読んでからの大ファンなのですが、江戸時代に注目された理由は。

飯嶋 私は時代というよりも、むしろ風土や独特の暮らしといったものへの関心の方が強いかもしれません。最初の小説の『プロミスト・ランド』はマタギを描いた小説で山形県の孤立した村が舞台です。こういう空間的に取り残された特殊な場所に惹かれるんです。ところが、取材で実際に訪ねてみたところ、車で簡単に行けるような場所になったせいか、独特の風土がなくなってしまい、なんとも言えない気持ちになりました。近代になって失われたものを描きたいという思いが私を小説に向かわせているのかもしれません。

田中 よくわかります。私が江戸時代を研究したいと思ったのもそういう思いからでした。飯嶋さんの小説には、時代のディティールが本当に生き生きと描かれています。例えば『星夜航行』の馬の描写なども、読んでいて、まるで手で触っているかのように感じます。

飯嶋 山形にいた頃、近所の鍛冶屋さんが飼っていた馬が生きものとして賢くきれいだったという感覚が残っています。我々はおそらく馬を日常的に見ていた最後の世代ですね。馬との暮らしはなくなりましたが、単になくなっただけではなく、もっと大事なものも一緒に失われたのではと思ってしまうんです。近代になって時代が進んだといわれるけれど、本当に進化しているのかということです。

田中 その通りです。飯嶋さんは私が書きたいものを書いてくれているという気がしてしかたありません。小説を書く際に、過去の歴史小説は参考にされていますか。

飯嶋 実はほとんど読んでいないのです。日本の小説で好きなのは島崎藤村の『夜明け前』です。ディティールが丁寧に描かれています。

田中 たしかに具体的で細かい描写ですよね。登場人物たちも時代の渦にのみこまれながらも、しっかりとした場所を持っていて、そこからあの時代に様々な場所で起こった多くのことを詳細に見ている。

飯嶋 いつの時代にも共通しますが、本気でやった人が馬鹿をみる悲しみが描かれています。明治維新に期待した青山半蔵が最後に精神を病んで菩提寺に火を放ちますが、近代ってこんな風だったのか、幕府が滅びて良い時代がくると思ったらむしろひどくなったという落胆が投影されている。

一人の視点でとらえることが具体性につながる

田中 勝者や出世を描く歴史小説も多いですが、飯嶋さんの小説には、たとえ弱い立場であっても自分の立ち位置からものを見て行動する人たちが必ず登場します。権力に統制される側でありながら、一貫して自分の人生を生きる人物が大変魅力的です。

飯嶋 私自身が庶民ですから、どうしたって庶民の視点になる。権力者が強かった時代に、鋭敏な感受性を持っている人間はある意味でつらい立場となってしまう。でも、「なんでこんな目に遭わなきゃならないんだ」と思いながらも、権力には屈しない人が主人公になるような気がするんです。

田中 そして、彼らが集団になると『出星前夜』で描かれた島原天草一揆、『狗賓(ぐひん)童子の島』における大塩平八郎の乱という大きな動きになっていく。島原天草一揆は事件としては有名ですが、『出星前夜』は一人の宣教師がいろいろな家を回って病気を治す場面から始まる。一人のまなざしから大事件をとらえることが具体性につながっています。

飯嶋 ありがとうございます。恐縮です。

田中 朝鮮侵略を描いた『星夜航行』の時代については、私はよく講演で話すんです。なぜかというと、江戸時代はなぜ出現したかを説明するために朝鮮侵略とその前の大航海時代が鍵になるからです。大航海時代にアメリカ大陸からアジアへの銀の流入が始まり、日本はグローバル化の波にのみこまれていく。その果てに朝鮮侵略の大失敗という究極を迎えてしまい、拡大主義から撤退して新しい時代に入らざるを得なくなった。単に家康が勝ったというだけでは説明できない価値観の転換があるんです。江戸時代になると鉄砲の生産や戦争をやめる、参勤交代制度を作る、朝鮮通信使や琉球使節を迎えるという政策の転換はすべてつながっている。こうした大きな転換の時代を『星夜航行』は非常にリアルにとらえている。朝鮮だけではなくマニラ、琉球へも、主人公に移動をさせて様々な周辺状況をお書きになりましたよね。ラストも感動的です。主人公の沢瀬甚五郎が朝鮮使節の一員としてその中にいるところで終わります。

飯嶋 それは森鴎外も書いていますが、本当のところはよく判らないらしいです。

田中 描きたい人物はどうやって探すんですか。

飯嶋 暇になると徳富蘇峰の『近世日本国民史』を読みます。古本屋で50冊セットじゃないと売らないと言われ、まとめて買わざるをえなかったので、読まないともったいない(笑)。今ではほとんど読まれなくなっていますが、松本清張も好きだったらしいですし、意外に真実が書かれているんじゃないかと思います。もちろん、学術書や地図や地方史なども読みます。例えば天明の大飢饉について調べていて、浅間山の噴火や冷夏が原因というのが定説ですが、それだけでこんなにも人が死ぬのかと疑問に感じる。もしかしたら、同時期の買米制度や大豆などの商品作物を作った結果かもしれないと考え、それを決めたシステムはなんだろうとさらに突き詰めます。私は学術書に納得いかないときは、こうかもしれないよと小説という形で書くことができます。

田中 それが非常にうらやましい。私が本を書くと「ただの仮説でしょ」と言われる。想像力をどこかでおさえなくてはいけないんです。

飯嶋 逆に研究者の方々は大変だと思います。

田中 最後に、現代を生きる学生に向けたメッセージをお願いいたします。

飯嶋 昔は私みたいにふらふらしていても周囲は寛容でしたが、今はいろいろな意味で余裕がないので、若い人は大変でしょうね。でも、死ぬ時に「自分の人生を生きなかった」という思いだけはしてほしくない。誰かのための人生はもったいないですから。人と比較しないで、自分が心惹かれることに従いながら自分の人生を生きてほしい。そのためにも、一冊でもいいので良い本との出会いがあるといいなと思っています。

田中 情報がたくさんある時代だからこそ、一冊の本との出会いは大切ですね。今日はありがとうございました。


小説家 飯嶋 和一(いいじま かずいち)

1952年山形県生まれ。1977年法政大学文学部卒業。中学校教諭、予備校講師などを経て執筆活動に専念。1983年『プロミスト・ランド』で小説現代新人賞、1988年『汝ふたたび故郷へ帰れず』で文藝賞、2000年『始祖鳥記』で中山義秀文学賞、2008年『出星前夜』で大佛次郎賞、2016年『狗賓童子の島』で司馬遼太郎賞を受賞。最新刊の2018年『星夜航行』(新潮社)で舟橋聖一文学賞を受賞。著書はほかに『雷電本紀』『神無き月十番目の夜』『黄金旅風』がある。「飯嶋和一にハズレ作なし」と言われ、いずれの著書も高い評価を受け、熱い支持を集めている。