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孤立を恐れず、
時代を支配する考え方を相対化せよ。

渡辺 京二さん©芥川仁渡辺 京二さん©芥川仁

生活費を削って本を買い、療養を経て卒業生総代に

田中 渡辺さんは法政大学社会学部のご卒業ですが、どのような経緯で法政大学にいらしたのですか?

渡辺 旧制第五高等学校(現・熊本大学)に入学して、初めての夏休みに喀血(かっけつ)し、結核療養所で四年半療養しましたから、出所した時は同級生はみな大学を出てしまっておりました。もう仲間と『新日本文学』系の文学運動をやっていましたし、今更大学に行く気などなかったのですが、婚約者の親が「大学だけは出てくれ」というんです。と言われても、まだ結核が完治せぬ状態だったので、通信教育課程に入りました。法政を選んだのは、当時小田切秀雄さんがいらっしゃって、同じ『新日本文学』系という親近感があったからでしょうね。

田中 私は1970年入学ですが、実は私も小田切秀雄先生から近代文学を学びたくて法政大学に入学しました。在学当時の思い出をお聞かせいただけますか。

渡辺 二年間通信教育を受けましたが、まわりがやはり学部に行きなさいと言うので、もう妻子もあったのですが、三年になって単身上京、社会学部の学生になりました。1958年のことです。大学(55・58年館)は建てられたばかりでホテルみたいにピカピカで、親父からゆずられたダブルの背広で通学していたので、学生は先生と間違えてお辞儀しましたね。大学生とはいえ僕は既に20代後半で、指導研究の北川隆吉先生はひとつ歳上でした。
僕は当時、熊本で仲間と一緒に雑誌を出していたので、編集方針の相談や何かでしょっちゅう手紙のやりとりをしていたし、家族も熊本にいたため、心は熊本にありました。また、同級生とは8つも歳が違うので、なかなか友達付き合いもできなかったけど、みんなおっとりとして人柄が良い子ばかりでした。自分に適した大学に入って、「俺は俺だよ」という感じで大学生活を過ごしていました。

田中 卒業生の総代を務められたそうですね。

渡辺 それはそうなんですけれど、大したことじゃありません。四年生になった5月の健康診断の時に「こんな状態で通学はできない」と言われてしまった。というのも、東京での無理がたたって結核が再発。たぶん栄養失調だったんだと思います。大学からちょっと歩けば神田の古本屋街があり、生活費をギリギリまで削って本ばかり買っていたからです。仕方なく休学して熊本に帰って入院。そして、まだ癒えていなかったので、翌年二度目の四年生は科目登録だけしてあとは熊本で過ごし、翌年卒業試験を受けたら、総代になっちゃった。大学からは、総代だから卒業式に出てくださいと連絡をもらいましたが、わざわざ卒業式に東京まで行けませんと言ったら、次席の女子学生が妊娠してしまったので、ぜひ出てこいと言うのです。仕方なく行きましたよ。結局、僕は三年生のとき一年間通学しただけで、法政を「卒業」してしまったのです。法政大学には僕みたいな者を受け入れていただいて、感謝感謝です。

田中 こちらこそ。渡辺さんのような卒業生がいらっしゃることは法政にとって大変な誇りです。

人から必要とされる以上の生き甲斐はない

©芥川仁

田中 卒業後はどのように過ごされたのですか。

渡辺 病気のこともあったので、どうにか知り合いの伝手で日本読書新聞のアルバイトとして週末だけ印刷所に通いました。そこで手伝いをしているうちに、編集者のポストが空いたので採用してもらいました。

田中 その後、多くの著作を発表されました。私にとっては、『逝きし世の面影』、『黒船前夜~ロシア・アイヌ・日本の三国志』、『バテレンの世紀』の三作で江戸時代を全部お書きになったことは重要な意味を持っています。たしか『バテレンの世紀』を書かれる際に、和辻哲郎の『鎖国』を書き直したいとおっしゃっていたことが印象に残っています。

渡辺 和辻さんには著書を通じ教えられたから、恩返しです。それと、戦後進歩したキリシタン学の研究をきちんと押さえておきたかった。

田中 『バテレンの世紀』は本当にスリリングで、特に島原・天草一揆の描写は本当に詳細にわたって書かれていますね。あれは石牟礼道子さんの『春の城』にだいぶ影響をお与えになられたとか。

渡辺 「原城」についての資料は、全て僕が教えました。ところで、今年彼女が亡くなってから、僕は失業したような変な気持ちでいます。喪失感といいますか何と言えばいいのか、とにかく変なのです。これまで療養中の彼女の作家生活をみんなで支えてきたのですが、今はすることがなくなってしまった。口幅ったい言い方をすれば、彼女は僕を必要としてくれた。必要とされることが生き甲斐だった。人が生きていく上で、これ以上の生き甲斐はない。だから今は1日が長くてしかたがない。でもそんなことも言っていられないので、彼女の残した日記をまとめた闘病記を出しました。また、彼女の作品でこれまで論じてなかった『春の城』と『十六夜橋』に関する論文を書いて年内に出版する予定です。これで彼女の供養が済んだという思いです。

田中 『春の城』では料理の話など、女性達の日常生活の細々としたことが生き生きと書かれています。城の中で自然に歌い踊るシーンがすごく良いです。

渡辺 彼女は『春の城』で、キリスト教徒の"愛の共同体"を描いた。天草の人々はキリスト教を「我が身のごとく隣人を愛せよ」ということだと理解し、慈悲深く実践する。まさに情の世界です。現実には愛の共同体は成立するのがなかなか難しいけれど、それをかろうじて成立させているのがキリスト教の教えということなんです。

田中 石牟礼さんが亡くなって、まだ半年なんですよね。

渡辺 亡くなってから作品を読み返して、改めて彼女は天才だと思いました。彼女は自分を小説家ではなく詩人と規定していました。古代の詩人は預言者、つまり言葉を預かる人でもあったことを考えると、彼女は文字通り天の言葉を預かった人だった。

田中 彼女に代わる人はいません。亡くなられてから日本の文化に穴があきました。詩人歌人には古代からずっと、自然の言葉を託され、それを人々に伝える魂がある。それを石牟礼さんが受け継いでいたのだと思います。その部分が文化の中から抜けてしまった。

日本の近代化は「緊急避難」だった

©芥川仁

田中 私は渡辺さんには、"共同体"的なものについてもっと書いてほしいと思っています。渡辺さんは"コミューン"という言葉を使って、石牟礼さんとは違った意味での共同体を書いていらっしゃる。日本の近代社会は、渡辺さんの「神風連の乱」についての著作、西郷隆盛論、北一輝論などの核になっているもの、つまり農村的なものを含めたコミューンの考えや思想、ありよう、憧れのようなものが、抜け落ちた社会になってしまいました。

渡辺 その傾向は日本だけではないですね。ヨーロッパでもしばらくは「自分は自分のために」という考え方は、むしろ異様な論理としてとらえられていましたが、近代化によって「俺が儲けて俺の金を動かして何が悪い」となってしまった。

田中 西郷隆盛や北一輝、あるいは島崎藤村の『夜明け前』の主人公は、なぜあのように死ななくてはいけなかったのか。近代化に失望した人がものすごくたくさんいました。

渡辺 日本の近代化は要するに「緊急避難」だったのです。明治維新というのは、人々の生活をもう少し合理的なものにしたい、もう少し豊かなものにしたいと思ってやったものではなかった。明治の指導者からすると西洋から学びたかったのは軍事力と産業力、中央集権型の国家構造だけ。その後、文明開化があって明治20年頃に「明治維新は国民生活を改善するためにあった」と錯覚させたんです。でもまあ、西郷さんが天下をとっていたら、今の日本はアジアの三流国家になっていたでしょうね。それはそれでいいのだろうけれど。

田中 軍事力、工業力、中央集権、植民地主義で一流になることに意味はあったのか、という問いは大切にすべきだろうと思います。「地方創生」を言わねばならない今の日本はその結果だからです。まだまだその話は伺いたいのですが、最後に現在の学生に向けたメッセージをお願い致します。

渡辺 今の学生はボランティアに積極的なことには感心します。さらに、本を読めば申し分ないのですけれどね。若い時には何が正義であるかということを含めて、自分の時代を支配している考え方というものを相対化しないといけない。ポストモダンであれほど相対主義をやったのに、残念ながら全然できていない。

田中 「考え方の相対化」の必要性については、法政大学の教員たちは懸命に伝えているはずです。しかしやはり本を読んだり自分の言葉で書いたりしなければ、自分自身の思想にはなりません。

渡辺 あとは、孤立することを恐れるなと言いたい。自分一人だけ毛並みが違ってしまうことを恐れては、付和雷同のようなことになる。以前、河合塾で教えていた頃、授業で気に入った子に当てると、後から「先生、僕にあてないでよ、目立つもん」と言われた。びっくりしましたね。
あとは何より、僕みたいな人間でも、「ちゃんと生きてこれたから、大丈夫」と伝えたい。

田中 「孤立を恐れるな」というメッセージはとても大事ですね。独自にものを考えるためには必須です。本日はありがとうございました。

©芥川仁


日本近代思想史家 渡辺 京二(わたなべ きょうじ)

昭和5年、京都生まれ。大連一中、旧制第五高等学校(現・熊本大学)を経て法政大学社会学部を卒業。
河合文化研究所主任研究員。同人誌の編集や塾講師の傍ら、独自の視点で日本の近代史や思想史を研究する。再刊された「逝きし世の面影」(平凡社ライブラリー)が注目を浴び、和辻哲郎文化賞を受賞。近著に「原発とジャングル」(晶文社)、「バテレンの世紀」(新潮社)など


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