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高校におけるスポーツ教育を通じて
自分で考え、判断し、修正する力を育てたい

山田 耕介さん山田 耕介さん

監督である自分自身がまず本気で臨む

田中 全国高校サッカー選手権大会での初優勝おめでとうございます。私もインターネット上でハイライトを見ました。何度も相手校の選手にブロックされながら、それでも最後まで粘っての決勝点は素晴らしかったです。

山田 ありがとうございます。これまで準決勝まで行って負けたのが7回。ここ4年は3回決勝で負けていました。特に今年の3年生は昨年、決勝で0対5で敗れました。悔しくて、何かあったら「決勝で敗れたことを思い出せ」という思いで頑張ってきました。今年度のテーマは「リベンジ 埼スタ(埼玉スタジアム)」。決勝までの道のりも大変でしたが、「ここまで来たら絶対に優勝する」という強い気持ちがありました。

田中 優勝された後は、県内でも知名度がますます上がったでしょうし、波及効果はすごかったでしょうね。

山田 高校サッカーでは群馬県で初めての日本一になったので、県民の皆さんもとても喜んでくださいました。前橋市内で行ったパレードには3万人もの方々が集まってくださり、前橋にこんなに多くの人がいたのかと驚いたほどです。前橋育英は野球が5年前に甲子園で優勝しています。野球でもサッカーでも日本一になった学校は戦後3校しかなかったそうで、その点でもすごく喜んでもらえました。そして、知名度が上がると同時に、だんだんと生徒の学力も上がってきました。

田中 学校に対する誇りが出てくると学生は変わります。その意味で私も法政大学の価値を高めることが教育としても重要だと実感しています。
ここに至る道のりは大変だったかと思います。監督になられて何年目ですか。

山田 法政大学を卒業して、23歳の時から監督をやっており、現在58歳になりますから、36年目です。

田中 これまで、ずっと監督をされていたんですか。

山田 そうです。昔はもっとやんちゃな感じの高校で、最初に赴任した瞬間、「大失敗した」と思いましたね。学校全体が昔の不良ドラマのような世界で、サッカー部はその巣窟でした。喧嘩して練習をボイコットされたこともあります。でも、彼らとつきあっていくうちに、絶対に仲間を裏切らない、弱い者いじめをしないなど、だんだん良いところが見えて、かわいくなってきました。だめなところは本気で叱り、ちゃんと走らない時は僕も一緒に走り、僕と勝負して負けたらさらに3周グラウンドを走るなど指導方法を工夫していくうちに、こちらの思いが伝わるようになってきました。

田中 そんな先生の姿を見ていて、生徒も先生の人物像に興味を持ち、「この人の言うことなら聞いてもいい」となったんでしょうね。

山田 そうなればいいなと思いながらやっていました。「自分も本気でやるから、みんなも本気でやれ」と。こっちが本気でやらないと生徒に見破られますから、それはもう真剣に向き合ってきました。
赴任4年目に、後のフランスワールドカップの日本代表となった山口素弘選手が入学し、初めて全国大会に出場しました。全校をあげて応援をしてから、学校もチームの雰囲気もガラッと変わりました。彼は日本代表のキャプテンを務めたくらいですから人間性も素晴らしく、チームを引っ張ることができる。その影響で周りも一気に伸びていきました。部員数も増え、選手は競争に勝ち抜いてピッチに出るようになりますから、自然と責任感も生まれていきましたね。

一人一人と向き合い、それぞれの能力を育てる

田中 現在部員は何人ですか。

山田 約170人です。ここまで多くなってくると、1対1でじっくり話をしないと深く理解できません。そこで、僕は昼休みや放課後に、順番に部員を呼び出して話をしてきました。

田中 それはたいへんなことだと思いますが、一人一人と向き合い、それぞれの能力を育てる濃密なコミュニケーションを大切にされている。

山田 進化させる、成長させるにはどうしたらいいのかを考えると、やっぱり一人一人と向き合うことなんです。そして、生徒にも自分自身と向き合ってもらう。自分に何が足りなくて何ができているのか明確にしなくてはいけません。

田中 生徒も最初は先生から言ってもらわないと気づかないかもしれませんが、最終的に自分で気付くことができる力を獲得すれば自分自身で成長できる。

山田 自立というのは最終的にはそういうことです。自分で考えて自分で判断して自分で修正していく。

田中 なかなか大学となると一人一人と向き合う教育が難しくなるので、中学や高校でそういう能力を身に付けてくれると、大学でもさらに成長できると思います。ところで、部員は小さい頃からサッカーを始めた子が多いのですか。

山田 そうですね。今はサッカー部の知名度も高くなり、ある程度技術を持った子が入学してきます。でも、スポーツは技術だけではない。僕はよく「技術+will」、つまり強い意志も必要だと言っています。結局、意志力がないと上手い選手にはなれても「良い選手」にはなれない。

田中 「良い選手」とはどんな選手ですか?

山田 サッカーは状況判断。その場に応じた最高の判断ができるクリエイティブな選手が「良い選手」です。視野を広く持ち、全体を見ないと判断はできない。周りが見えなくて適当なプレイになってはいけない。サッカーに正解はありませんが、何でそのプレイを選択したかを自分で認識する必要があります。その小さな積み重ねがあって次のステージに行ける。これはサッカーに限ったことではなく、世の中に出てもそうですね。

田中 先生も教師として、生徒をいろいろな角度から見てこられました。

山田 世の中に完璧な人間はいません。真正面からは短所ばかり目につく子でも、角度を変えて見ると違った面も見えてくる。サッカーの指導でも同じことで、長所を発見してのばしていく。そうすると次第に短所は消えていくものです。

諦めずにやることに成長と進化がある

田中 長崎のご出身で法政大学ではサッカー部に所属されていました。

山田 島原商業高校のサッカー部時代に師匠である小嶺忠敏監督との出会いがありました。日本一を十数回達成した指導者で、僕は小嶺先生から大きな影響を受けました。高校3年の時に日本一となり、卒業後は法政大学に進学。当時の法政はU20の選手が各学年に7~8人いるなど、全国から優秀な選手が集まっていてレベルの高さに驚きました。
卒業後は長崎で教員になる予定でしたが、総理大臣杯の準決勝と長崎県の教員採用試験が重なってしまった。監督には前から採用試験を受けると言っていたので、前日荷物をまとめていると「サッカーと採用試験のどっちを選ぶんだ?」と聞かれ、思わず「サッカーです!」と答えてしまった......。結局、採用試験に行かず、準決勝では早稲田大学に敗退。この先どうしようかという時に、たまたま前橋育英高校からお話をいただいたんです。当初は国体までの2年間のつもりで赴任し、小嶺監督からは何度も「早く長崎に帰ってこい」と言われていたのですが、「すみません、指導した生徒が卒業したら帰ります」と毎回のように答えてしまう。しかし、毎年新しい生徒が入ってきますから、結局帰ることができずに今まで36年もいてしまいました。

田中 本当に先生になるために生まれてきたような方ですね。部員の方と寮で生活されているとか。

山田 生徒が全国から集まってきますので寮があり、僕もそこに住んでいます。毎朝6時過ぎに生徒と一緒に起き、体操をやって朝食を食べています。

田中 高校の教員は授業も部活もあって、場合によっては寮で一緒に生活してと、本当に忙しい。近年は部活動のあり方が問題になっています。前橋育英ではどのようにされていますか。

山田 基本的には学校内に顧問がいれば、安全性を確保したうえで、生徒達のみで活動することを許可しています。また、硬式野球、バスケット、サッカー、陸上、柔道、剣道などの強化部には専門のコーチ、監督がいます。強化部も週1日は必ず休むことを10年以上前から実践しています。しっかり休むということも大切なことです。

田中 校長の仕事も大変では。

山田 そうなんです。でも、4時からのサッカー部の練習に行ってもよいということで校長をやらせてもらっていますので、副校長と教頭に助けてもらいながらなんとかやっている状態です。

田中 以前はスポーツが強いと勉強はできないとか、勉強ができるとスポーツはできないという目で見られていましたが、最近ではそんなことは全くなくなってきましたね。

山田 頭が良くないとスポーツはできません。前橋育英で良い選手は本当に頭が良い。国立大学に進む子もいます。法政には毎年一番良い選手が入っていますよ。

田中 それはありがとうございます(笑)。最後に、大学教育に対して期待することを教えていただけますか。

山田 卒業生と会うと、高校時代に1回も試合に出られなくて、頑張ってチームをサポートして応援してきた子が、大学で大きく成長しているケースが数多くあります。そして、そのような子は社会に出ても大いに能力を発揮して活躍している。失敗や挫折があっても諦めずにやることに成長と進化があります。彼らからは「サッカー部時代は苦しかったけれども、自分の人生にとって非常に大事な3年間だった」と言われると、人を育てる仕事に改めてやりがいを感じます。今後とも、大学とともに人を育てる仕事を続けていきたいと思います。

田中 本日はありがとうございました。


前橋育英高等学校 校長・サッカー部監督 山田 耕介(やまだ こうすけ)

1959年長崎県生まれ。島原商業高校サッカー部でインターハイ優勝。1978年に法政大学法学部に入学、サッカー部で1980年に総理大臣杯優勝。1982年から前橋育英高等学校の社会科教員、サッカー部監督。2017年からは同校の校長を務める。今年1月の全国高校サッカー選手権で悲願の初優勝を果たす。