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群れないことは、多様性を認めること
幻冬舎 取締役兼専務執行役員/編集・出版本部 本部長 石原正康

石原正康さん石原正康さん

法政の自由な空気の中で得たもの

田中 石原さんは1981年に経済学部に入学されましたが、当時の法政はどんな大学でしたか。

石原 皆、どことなくギラギラしていましたね。とにかく自由というか、学園祭の夜など、羽目を外してコイの泳いでいる池に飛び込んでも叱られなかった(笑)。

田中 当時はそういう時代でしたね。今でも自由ですが、ちょっと過保護になっていて、そういうのは怪我するので叱ると思います(笑)。石原さんは今、日本の出版界を率いる編集者のおひとりですが、大学ではどういう授業を面白いと思っていらしたのかしら。

石原 粟津則雄先生の詩人ボードレールの授業や、田中先生の連句の授業が特に好きでした。

田中 それはありがとうございます。経済学部だったわけですが、文学少年?

石原 小説を書いていました。書き始めたきっかけは、高校のときフラれた本好きの彼女を見返してやりたいという思いからです。

田中 きわめて純粋な動機ですね(笑)。その想いをずっと維持されたわけですよね。

石原 正直、あまり授業にも出ないで、引きこもって書いていました。でも、打ち込めるものがあったことはよかったと思っています。自分がエネルギーを注げるものがあって、それをひたすらやっていくと、ほかのエネルギーを持った人間が近寄ってきました。
僕の場合、角川書店の新人文学賞に応募して、最終選考で落ちました。その時に受賞したのが画家の草間弥生さん。勝てるわけないですよね。で、そのとき現・幻冬舎社長の見城と出会いました。それで、4年生のときには編集者の端くれとしてアルバイトをさせてもらって、そのまま角川書店には就職までお世話になりました。

田中 私も引きこもって本ばかり読んでいましたが、幸い学業には直結していました(笑)。ゼミでは何をテーマに学ばれたのですか?

石原 「シュタイナー教育」に興味があったので、尾形憲先生の教育経済論を学びました。

田中 いまとは違う意味で、教育とは何かを根本的に問い直された先生ですよね。興味深い授業だったと思います。

石原 「モグリ」歓迎で、オジイチャンみたいな聴講生もいましたよ(笑)。夜間中学をたずねるなど、教室の外で教わることが多かったかな。おかげで、経済より教育に関心が傾いて、ミリオンセラーとなった村上龍の『13歳のハローワーク』を作ることになったのも、その結果です。

石原正康 田中優子

多様な能力を開花させて生きる時代

田中 斜陽産業ともいわれる出版業界にあって、石原さんは見城さんとともに大手の角川書店を飛び出し、幻冬舎を創られました。こういう新しい考え方の出版社が出現すること自体に、私は希望を感じています。

石原 出版はまだ頂に登りつめてはおらず、やれることはたくさんあると思っています。
とはいえ、業界全体の売上は一時の半分に落ちているのも事実です。電子書籍脅威論もありますが、これはまだ音楽業界でレコードがCDで買い直されたような、ただの「変換」にすぎないところがあります。それよりやはり、スマホなどに時間をとられていることのほうが出版会の状況をきびしくしています。まだスマホの普及率は40%にも届いていない現状で、より、ニーズのある書籍を作っていかなければならない。

田中 本がどんどん読まれなくなっているのは各種調査からも明らかです。それでも幻冬舎の本は売れています。また、映像化されることも多いですよね。

石原 実は、映画化されやすいタイトルをつけろと言われるんです(笑)。出版の後、ネットを含めたさまざまなメディアミックス戦略を考えています。

石原正康 田中優子

田中 江戸文化の場合「超多様展開」というんですが、ひとつ事件が起こると、それを浄瑠璃にも歌舞伎にも読み物にも浮世絵にもした。その伝統が続いているわけですね。

石原 最近僕は、地方紙に連載小説の企画を売り込むために、半年おきくらいに日本中を回ります。話がまとまれば、原稿料は新聞社に出していただいて、うちは連載終了後に本にできる。これも一種のメディアミックスかなと考えています。連載として作品名が毎日毎日新聞に載るということは告知効果としてもすごいことです。連載した作品には6月にNHKで連続ドラマになる「55歳からのハローライフ」や、渡辺淳一さんの遺作となった「愛ふたたび」など話題作が続いています。

田中 編集だけでなく営業的なお仕事もされているのですね。私も、執筆型研究者から教員、学部長、そしていまや総長と、自分には無理だと思った仕事が、懸命に取り組んでいるあいだに、実際にできていた。しかもそれは、次第に能力が高まったわけではなく、それぞれ違う力を使っている、つまりもともと備えていたものなのでしょうね。だから就活生には、今やりたいこと、できることにあまりこだわるなと言っています。

石原 ましてや出版ならずとも厳しいこの時代、僕も昔はいやだった2枚目、3枚目の名刺を持つこともはじめました。農民を表す「百姓」という言葉は、元は百種類の仕事をこなせる人という意味だったんですよね。

田中 江戸時代には、都市にもそういう人がたくさんいました。再びそんな時代に入ってきたのかもしれませんね。

衰退も独りも肯定的にとらえる

田中 あらためて、ご自分を含めた法政卒業生で共通している部分はありますか?

石原 群れることが苦手で、一人でいることが平気ですね。

田中 菅義偉官房長官はじめ、皆さんそうおっしゃいます!(笑)

石原 若い後輩に会っても同じニオイを感じますから、ずっと変わっていないんだと思いますよ。一人で生きられるということは、多様性を認めて、異質なものを受け入れる度量を持っているということ。そこが僕らの強みじゃないでしょうか。

田中 なるほど。結束するということは、ある意味、違うものを排除するということでもありますね。今は「友達地獄」という言葉があるくらいで、人とつながっていないとおかしな人間と思われてしまうような風潮です。ぜひ現役法大生にこの言葉を伝えて、群れない自分を肯定的にとらえてほしいなと思います。

石原 ただ、自分の本質を知って、それに基づいて生きる人間になる必要があります。そのうえで、自分にはない本質に基いた技術を持つ人と手を組む必要がどんどん出てくる。

田中 一人だけれど孤立しているわけではなく、うまくつながりながら仕事をしていくということですね。

石原正康

石原 独居老人というと寂しいイメージですが、たとえば限界集落と呼ばれるところに行って、実際にお年寄りに会ってみると、自分で畑を耕して、独立独歩を楽しんでいる人も少なくありません。
グローバリズムも大切だとは思いますが、日本が衰退化することが必然なら、それをトレンドととらえて大切にし、その魅力をさがすほうが豊かになれるかもしれない。最近、そんなことを考えています。

田中 無理やりいままで通りの成長を追い求めると、かえって取り返しのつかないことになることもありますね。
たとえば障がい者を家族に持つなど、「弱さ」に直面してそれを受け入れた人の強さがありますよね。社会についても同じことがいえるかもしれません。

石原 アランの幸福論に「悲観は気分に属し、楽観は意志に属する」という言葉があります。世界にまれな高齢化社会の「強味」を発見し、楽観的に行動し、仕事をしていければいいですよね。

田中 群れない法政卒業生が、その先頭に立つ......。学生の励みにもなる素敵なお話をありがとうございました。


幻冬舎取締役兼専務執行役員/編集・出版本部本部長 石原正康(いしはらまさやす)

1962年、新潟県生まれ。1986年法政大学経済学部卒業。
在学中から角川書店でアルバイトし、卒業後入社。1993年、見城徹氏とともに幻冬舎を立ち上げる。五木寛之著「大河の一滴」、「人生の目的」、天童荒太著「永遠の仔」、村上龍の「13歳のハローワーク」「半島を出よ」などのミリオンセラーや多くのベストセラーを生み出す。編集者としてNHK「プロフェッショナル-仕事の流儀」でも取り上げられる。現在、BS朝日「ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~」でインタビュアーをつとめる。