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一学徒兵の戦争体験とその後の思い
〜第14代総長・阿利莫二の手記〜

イメージ雑誌『法政』1983年10月号に掲載された手記

イメージ手記にある阿利のスケッチ「マラリヤ研究所」

イメージ1989年度の卒業証書授与の報道(東京新聞1990年3月24日付夕刊)

イメージ1988年12月から1995年3月まで総長を務めた阿利莫二

本誌の前身である雑誌『法政』の1983年10月号に、「学徒出陣40周年ルソン島『死の谷』の終戦」と題する手記が掲載されました。著者は、法学部の阿利莫二(ありばくじ)教授(当時)です。

1943(昭和18)年12月、東京帝国大学(現・東京大学)の学生だった阿利は、学徒出陣組として陸軍に入隊し、前橋陸軍予備士官学校を経て、「事実上、陸の特攻隊として」フィリピンのルソン島へ送られました。

手記には、凄惨(せいさん)な戦闘が続いたフィリピン戦線において、栄養失調や膝のけが、マラリアの脳症に苦しみ、8月15日の終戦後も、9月に降伏するまで多くの仲間が餓死していく中で、九死に一生を得た阿利の壮絶な体験がつづられています。

戦後30年を過ぎた頃、「鳴り物入りで送り出されたまま、未だに人知れぬ異国の地に眠っている」同僚の学徒兵とその家族のために記録を残すことが、「生還者に課せられた義務である」と思い立ち、手記の執筆に着手したといいます。手記を読んだ法学部の石母田正(いしもだただし)教授や藤田省三教授の勧めにより、大幅に加筆されたものが1987年に『ルソン戦--死の谷』(岩波新書)として出版されました。

阿利は1988年に本学総長に就任後、手記にしたためた「休学のまま還らぬ人となった彼らに、せめて供養の卒業資格でも」という思いを、戦没者遺族への卒業証書の授与というかたちで実現させます。1989年度と1990年度の学位授与式で、学徒出陣当時の小山松吉総長名の卒業証書が計44人に授与されました(郵送分を含む)。

学徒出陣50周年に当たる1993年には全国272校の私立大学の総長・学長が、かつての大学が出陣学徒を歓呼の声で送り出したことについて反省する共同声明を発表します。阿利総長は、13人の呼び掛け人の中心的な役割を果たしました。

こうした阿利総長の取り組みを原点とし、2012~2017年度に「法政大学と出陣学徒」事業が実施されました。現在の田中優子総長も、本学の使命である「持続可能な地球社会の構築」とは平和の構築に他ならないと述べるなど、戦争に向き合う姿勢を積み上げています。

取材協力:法政大学史センター

(初出:広報誌『法政』2018年8・9月号)