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近代日本に西洋の制度・概念を広めた和仏法律学校の初代校長箕作麟祥

イメージ『泰西勧善訓蒙』は後に、「修身」科目の教科書としても用いられた

イメージ『仏蘭西法律書 憲法』(法政大学ボアソナード記念現代法研究所所蔵)

イメージ1890年に竣工した和仏法律学校の九段上校舎
(写真提供:北浜法律事務所 佐伯照道氏)

イメージ箕作は日本で最初に法学博士号を授与された5人の1人

明治維新により時代が大きく変化する中で、翻訳を通じて近代国家の建設を支えた人物がいました。「日本近代法学の祖」と呼ばれ、本学の前身「和仏法律学校」の初代校長を務めた箕作(みつくり)麟祥(りんしょう/あきよし)です。

箕作の祖父・箕作阮甫(げんぽ)は津山藩(現岡山県津山市)出身の、幕末に活躍した洋学者です。麟祥は、阮甫が首席教授を務めていた蕃書調所(ばんしょしらべしょ、東京大学の前身の一つ)で蘭学を学び、米国から帰国した中浜(ジョン)万次郎から英学を学びます。
21歳の時、徳川慶喜の名代として弟の徳川昭武がパリ万国博覧会に赴くことが決まると、フランス語を独学して随行を願い出ました。約1年間のヨーロッパ滞在中に、日本では大政奉還が行われ、箕作が帰国したのは戊辰戦争のさなかでした。

その後、明治政府の命により、ナポレオン1世の時代に制定されたフランス近代法典の翻訳に携わります。辞書も解説書もない状況下で、箕作は刑法を皮切りに民法、憲法、訴訟法、商法、治罪法(刑事訴訟法)の翻訳に精力的に取り組みます。これら全40冊の『仏蘭西法律書』を通じて、法典の全文が日本に初めて紹介されました。

当時の日本にはない概念や制度も多く、「動産」「不動産」「義務相殺」「未必条件」など箕作が新たに考案した言葉や、「権利」「義務」など漢語を引用したものは、法律用語として定着しています。「憲法」も、現在の意味で用いたのは箕作が最初だといわれています。

また、ボンヌの道徳書『泰西勧善訓蒙』(前編)の翻訳を手掛け、学術結社・明六社に参加し、『明六雑誌』でモンテスキューの『法の精神』の抄訳を発表するなど、啓蒙活動にも努めました。

箕作のもう一つの大きな功績が、民法編さんへの尽力です。箕作は、フランスから法律顧問として招へいされたボアソナードとの共同作業により、民法草案を作成しました。ボアソナードは「和仏法律学校」の前身「東京法学校」から教頭を務めており、箕作が校長に就任した背景には、2人の信頼関係がうかがえます。

この民法(旧民法)は、公布はされたものの、いくつかの点を巡って論争が起こり、施行が延期されました。修正を経て民法の全編が施行されたのは、ボアソナードの帰国後、箕作の没後のことです。
それでも、旧民法を踏襲した条文も多数あり、箕作らの尽力は今の民法に生かされています。

取材協力:法政大学史センター
参考文献:津山洋学資料館『日本近代法学の祖 箕作麟祥』2016年、山室信一「箕作麟祥と河津祐之」『法律学の夜明けと法政大学』法政大学出版局 1993年

(初出:広報誌『法政』2018年5月号)