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『大造じいさんとガン』の作者椋鳩十と法政大学

イメージ伊那谷を望む椋鳩十の胸像(喬木村立椋鳩十記念館提供)

イメージ椋鳩十の詩集『駿馬』(自費出版、1926年)とご令孫・久保田里花氏執筆の伝記『椋鳩十 生きるすばらしさを動物物語に』(あかね書房、2019年)

イメージ卒業式の集合写真。2列目右から5人目の蝶ネクタイ姿が椋鳩十(1930年)

小学校の国語の教科書に掲載されている『大造じいさんとガン』を書いた児童文学作家・椋鳩十 むくはとじゅう(本名・久保田彦穂)は、本学文学部の卒業生です。

椋は1905(明治38)年、長野県下伊那郡喬木村の牧場主の家に生まれました。父に同行して山へ入り、いろり端で祖母から昔話を聞き、ヨハンナ・シュピリの児童文学作品『アルプスの少女ハイジ』に感動する多感な少年でした。椋は『ハイジ』を「運命の書」と呼んでいたといいます。南アルプスと中央アルプスに挟まれた伊那谷の大自然に囲まれた環境が、作家となる素地をつくったのでしょう。

椋が法政大学に入学したのは1924年。大学が現在の市ケ谷の地に移って3年目、かつての法律学校から総合大学へ飛躍し、「進取の気象」の雰囲気がみなぎる時代でした。椋は、特に仏文学者の豊島与志雄と英文学者の森田草平にかわいがられ、国文科の学生でありながら、「仏文科や英文科の講義ばかり聞いていた」ようです。

充実した大学生活を送る中で、椋は詩の世界に心を奪われ、詩人の佐藤惣之助に師事します。本名を1字だけ変えた「久保田彦保」の名で、在学中に第1詩集『駿馬』を自費出版。感覚的、直観的に自然を捉え、次第に「純粋の美とは何か」を考えるようになった椋は、作品発表の場として『リアン』という同人誌も刊行しました。

大学卒業後は姉がいる鹿児島へ移り住み、教員の傍ら、動物が登場する児童文学作品を発表します。「大造じいさんとガン」は『少年倶楽部』1941年11月号に掲載されました。勇ましい物語が多くなる戦時下の風潮に抵抗するため、椋は狩人の大造じいさんと利口な鳥であるガンの知恵くらべを通して、命の尊さを表現したといいます。

戦後は鹿児島県立図書館館長を務め、「母と子の20分間読書」運動を提唱して、全国に広めました。82歳で逝去するまで創作活動も展開し、いくつもの文学賞を受賞。外国語に翻訳された作品もあれば、『マヤの一生』のようにアニメ化された作品もあります。

2012年度から国際文化学部で主に留学生を対象に実施している「スタディ・ジャパン国内研修」では、椋の原点・伊那谷が訪問先となっています。大先輩の歩みを振り返ることは、視野を広げ、考えを広める契機となることでしょう。

取材協力:喬木村立椋鳩十記念館 久保田里花氏 国際文化学部 髙栁俊男教授 HOSEIミュージアム事務室

(初出:広報誌『法政』2023年3月号)