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校舎の地下が定位置だった学生食堂

イメージ昭和初期の六角校舎地下の学生食堂

本学の学生食堂の歴史は、正式に大学となった大正時代までさかのぼります。1926年当時の富士見校地(現在の市ケ谷キャンパス)内に設置された学生食堂のメニューを見てみると、「ランチ50銭」「カツ35銭」「カレー25銭」など、現在とほとんど変わりません。1927年に完成の六角校舎の地下に置かれた食堂では、戦中から戦後にかけて、さまざまな業者が経営をしていました。

ただ、当時の「法政ボーイ」たちは、学食を利用せずに、彼らの「たまり場」であった神楽坂近辺の飲食店で食事をすることが多かったようです。そこで学生食堂の運営業者が、1933年春に黒い制服に白いエプロン姿の若いウエートレスを採用し、ポスターを貼って学生食堂を宣伝した、という記録も残っています。

イメージ当初の食券売場。「ハヤシ」や「シチウライス」「アンパン各種」「ドーナツ」などもあった

1955年に営業を開始した55年館の地下食堂は、「ハイカラな見本ケースやカウンター、まずデパートの食堂にもひけをとらないつくり」と新聞にも取り上げられました。ただし学生には「高くて、まずくて、少ない」と不評だったようです。そうした事情もあって、1958年にオープンする58年館の地下食堂は、法政大学生活協同組合が運営することになりました。1964年には、55年館の地下食堂の運営も同組合に移管されます。

その後も食堂の一部はテナントとして貸し出され、1980年代から1990年代にかけては、学生食堂には珍しい「寿司コーナー」や、ボリューム満点の「バクバクコーナー(人気メニュー「クリームチーズメンチ」は第一学生食堂が継承)」など、学生の人気を集めたコーナーやメニューが登場しました。

2015年には、朝食を抜きがちな学生に向けて「100円朝食」を提供するなど、学生の健康増進のための活動も展開しています。現在の3キャンパス計17の食堂に加えて、 2016年9月には市ケ谷キャンパスの新校舎「富士見ゲート」の3階に502席のカフェテリア「つどひ」がオープンします。これまで定番だった「地下にある食堂」から、外濠公園を臨める「見晴らしのよい食堂」となり、本学の学生食堂の歴史に新たなページが加わることになります。

(左)高い天井に蛍光灯、モダンな机や椅子で話題になった1955年オープン時の55年館地下食堂(右)その後は、第二学生食堂として学生と教職員の胃袋を満たし続け、今年7月末にその幕を閉じる

取材協力:法政大学史センター、事業室環境保全課

出典:「HOSEI MUSEUM Vol.91」