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法政大学図書館所蔵資料法政野球部の東京六大学野球初優勝

法政野球部の東京六大学野球初優勝

東京六大学野球リーグ戦で、通算43回※のリーグ最多優勝回数を誇る法政大野球部。1915(大正4)年の創部以来、アマチュア・プロを問わず野球界に幾多の名選手を輩出している伝統ある大学野球部です。しかし、この野球部が1930(昭和5)年にリーグ戦で初優勝するまでには、創部から実に14年の歳月を要しました。
※2015年9月現在通算44回

東京六大学リーグ戦は、1925(大正14)年9月20日に行われた六大学連盟創設初試合、明治大対立教大第1回戦から始まります。
法政大野球部は創部の年から翌年にかけて、それまで三大学リーグ戦を行っていた早稲田大・慶應大・明治大に挑戦し、好勝負を繰り広げました。その結果リーグ加入が認められ、1917(大正6)年、三大学に法政大を加えた四大学リーグがスタートしました。さらに21年に立教大が加入、25年に東京帝国大学(現・東京大)が加わって、ここに東京六大学リーグが誕生したのです。翌年10月、明治神宮野球場が連盟の協力の下で完成し、法政大対明治大で神宮初試合が行われました。

イメージ

イメージ初優勝を果たした法政チーム。当時の新聞には、「雌伏実に十有四星霜 法政遂に覇権を握る」という見出しが躍った。

イメージ初優勝時の六大学野球リーグ戦の入場券。

当時は、早慶明が圧倒的な強さで、法政大は四大学リーグ初年の春のリーグ戦では、ただの1勝もできませんでした。六大学リーグとなってからも、なかなか早慶明の壁を崩すことができず、新参の立教大、東京大にも苦戦するほどでした。
この低迷期を脱し、初優勝を成し遂げることができたのは、1928(昭和3)年から1930(昭和5)年にかけて入学した、大滝信隆、苅田久徳、久保春吉、倉信雄、島秀之助、鈴木茂、武田一義、長沢安治、藤井繁、矢野信男、若林忠志といった選手たちの活躍、そして1929年春のシーズン途中から就任し、独自の野球理論でチームを統率した藤田信男監督の功績によるものです。
優勝を決めた1930年秋季リーグ戦、対東京帝大戦の決勝点は、4回の島選手による三塁線内野安打をきっかけにもぎ取った1点でした。
この夜、歓喜にわく3000人のちょうちん行列が神宮球場から四ツ谷、飯田橋、神楽坂、九段と練り歩きました。神楽坂の商店街では学生たちに飲み放題、食べ放題の大サービスが行われました。