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「自由と進歩」の体現者〜三木清と戸坂潤〜

昭和初期、本学の教員であった三木清と戸坂潤は、日本を代表する哲学者で、学問の自由や人々の権利が失われつつあった時代に、講義や著書を通じて理想を掲げ続けることの大切さを世に示しました。

イメージ写真左:三木清の肖像写真(1944年頃)
写真右:戸坂潤の肖像写真(1936年頃)

三木は、1897(明治30)年に兵庫県揖保郡平井村(現在のたつの市)に生まれました。西田幾多郎を慕って進学した京都帝国大学(現在の京都大学)在学中には、『語られざる哲学』に自らの目指す哲学についてしたためています。市ケ谷図書館1階には、その一節を三木独特の字体で刻んだ銅板の哲学碑が掲げられています。

欧州留学でハイデガー、レーヴィットらの教えを受けた三木は、帰国後、和辻哲郎の後任として本学文学部哲学科の教授となりました。1930年、治安維持法違反を理由に拘留され、教員を免職となって以降は、著述活動に励みます。その一つが、三木の代表作である『人生論ノート』です。日中戦争が泥沼化し、学問の自由や大学の自治が脅かされる中で、三木は幸福や死、希望といったテーマで世にメッセージを発信し続けました。

ところが1945年3月、治安維持法違反の容疑者をかくまったとして再び拘留され、終戦後も釈放されないまま、独房で病死している三木が発見されました。電報でその知らせを受け、刑務所へ駆けつけたのは、桝田啓三郎、布川角左衛門といった本学における教え子たちでした。桝田は、本学で教べんをとる傍ら、『三木清著作集』全16巻の編さんに注力し、その功績を後世に残しています。

イメージ三木の死を知らせる桝田宛ての電報

イメージ創立70周年を機に催された「三木・戸坂両教授追悼会」終了後の記念撮影。 写真中央にある二人の肖像画は本学図書館に所蔵されている。(『桝田啓三郎文庫目録』より)

一方、科学論、イデオロギー論の著作で知られる戸坂潤(1900年、東京神田生まれ)も京都帝大出身で、三木の後任として本学に赴任しますが、思想不穏を理由に辞職に追い込まれ、1944年に治安維持法違反で投獄されて、終戦の6日前に獄死しました。

戦時下も抵抗の水脈を保った2人の存在は、本学学生に「三木・戸坂の伝統」として語り継がれ、1949年秋には学生自治会主催の「三木・戸坂両教授追悼会」が催されました。檀上に飾られた三木と戸坂の肖像画は、本学図書館に保管されています。

戦争という時代に非業の死を遂げたものの、三木と戸坂は「自由と進歩」の体現者として本学の学風の中に生き残っており、その著書を通じて今も私たちに大いなる示唆を与えてくれます。

取材協力:法政大学史センター

(初出:広報誌『法政』2019年6・7月号)