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法政大学図書館所蔵資料

江戸狂歌掛け軸『大原女(おはらめ)』ほか

イメージ『大原女』は鳥文斎栄之ら5人の画、南畝ら5人の狂歌による合作(左)
『朝顔』は窪俊満の画、南畝ら6人の狂歌による合作(右)

2015年7月、本学市ケ谷図書館に大田南畝(おおたなんぽ)らをはじめとする江戸の一流の狂歌師、浮世絵師たちの真筆計16点が寄贈されました。

いずれも寛政から文化・文政期(18世紀末~19世紀初頭)のもので、客前で揮毫(きごう)した書画を希望者に販売する書画会(今でいうサイン・即売会)での合作が中心となっています。これまで知られていなかった南畝の狂歌が含まれるほか、当時の文人たちの交友関係をうかがい知ることができる点でも貴重な資料です。

狂歌とは、五七五七七の和歌の形式に洒落や滑稽な発想を盛り込んだ短詩系文学で、天明期(1780年代)に大流行して社会現象になりました。その中心的存在だったのが「狂歌三大家」の一人である四方赤良(よものあから)で、これは蜀山人(しょくさんじん)の名でも知られる大田南畝の狂名(狂歌作者としての名)です。

合作の中で目を引くのは『大原女』です。これは、南畝とその「四方」姓の後継者で同じく狂歌の大家である鹿都部真顔(しかつべのまがお)、宿屋飯盛(やどやのめしもり)ほか計5人の狂歌師と、当時喜多川歌麿と人気を二分した浮世絵師の鳥文斎栄之(ちょうぶんさいえいし)ほか計5人の画師による合作です。3人以上の画師による合作は珍しく、各人が大原女、柳、燕、地面、子どもという要素を一つずつ描いています。南畝はこれに、柳を女性にえた狂歌を添えています。

イメージ鹿都部真顔が「三本毛が足りなくても、子を思う気持ちは人と同じ」と詠んだ『猿』

江戸の夏の風物詩、朝顔を題材とした合作では、浮世絵師で狂歌入りの「摺物(すりもの)」(今でいう年賀・挨拶状)を多数手がけた窪俊満(くぼしゅんまん)が、南畝が狂歌に詠んだ瑠璃紺の朝顔を描いています。ほかに、鹿都部真顔が猿の絵と狂歌の両方をしたためた作品もあります。

南畝は寛政の改革の余波を受けて狂歌の世界から身を引き、その後狂歌自体も大衆化していきます。幕府の御家人であった南畝が暮らしていた牛込中御徒町と、漢学と歌学の師匠であった内山賀邸(うちやまがてい)が居を構えていた牛込加賀町は、ちょうど本学と外濠を挟んだ位置に当たります。南畝が江戸城への行き帰りに通っていた地に、200年余の歳月を経て作品が戻ってきたことを思うと、感慨深いものがあります。

取材協力:文学部教授 小林ふみ子
出典:「HOSEI MUSEUM Vol.85」