見えないものでも見えるようにする生物学
生命科学部応用植物科学科 佐野 俊夫 教授
佐野 俊夫教授
目では見えないDNAからコケの進化を議論
生物学を面白いと思ったのは高校の生物実験の時でした。その実験は、池に生息する藻類が行う光合成の量を、溶存する酸素量を化学的に定量することで計算する、というものでした。池に生息する藻類は何となく目で見えますが、目では直接見えない酸素や、酸素を発生する光合成という植物の現象を、化学反応を用いて可視化して評価できるようにします。生物学は面白いものだと思いました。大学では植物学科に進学しました。それは特に植物が好きだったからではなく、カエルを切り刻むのに心が痛んだからです。卒業研究ではコケ植物の系統分類を、DNAの塩基配列を比較することで行いました。コケのDNAをサーマルサイクラーと呼ばれる装置で増幅し、シーケンサーという機械で解読して、アデニン(A)、チミン(T)、シトシン(C)、グアニン(G)というDNAを構成する塩基の並び方を可視化します。そして、パソコン上で系統樹を作成してコケの進化を議論します。しかし、当時は先生からコケのDNAを渡されただけで、元の材料となったコケ植物自体を見る機会はありませんでした。本来は、コケ植物の形態的な違いも含めて進化を議論するべきですが、透明なチューブに入っている、水に溶けて目では見えないDNAだけでもコケの進化をある程度議論できます。生物学は面白いものだと思いました。
蛍光抗体染色技術で25ナノメートルの構造を可視化
光学顕微鏡で観察したオオカナダモの葉の様子。緑色の葉緑体は観察できるが、その他の細胞内構造を見つけるのは難しい。
大学院に進学してからは、植物細胞の構造を顕微鏡で観察するようになりました。植物は緑色の葉緑素を持つことから、顕微鏡で植物細胞を観察すると、葉緑素を包む緑色の葉緑体を判別することができます。しかし、染色体や液胞など、その他の細胞内構造は透明であるために、そのまま通常の光学顕微鏡観察で見つけるのは困難です。ちょうど研究室では、蛍光抗体染色法と呼ばれる抗体と蛍光色素とを使う方法で、細胞内の微小管という繊維状の構造を観察していました。微小管は染色体を分離する紡錘(すい)体と呼ばれる構造や、細胞表層の骨格を形成し、細胞内構造物の動きや細胞の形態形成に関与する細胞骨格の一つです。しかし、その直径は25ナノメートル(1ミリメートルの4万分の1)程度とされ、肉眼でも通常の光学顕微鏡でも見えません。肉眼で判別できる物体の大きさはせいぜい100マイクロメートル(1ミリメートルの10分の1)。これは髪の毛の太さとだいたい同じです。また、光学顕微鏡を使っても判別できるのは200ナノメートル程度(1ミリメートルの5000分の1)とされています。そこで抗体を使って、微小管を構成する チューブリンというタンパク質を認識させ、抗体に蛍光色素をくっつけることで、25ナノメートルという本来は目では見えないはずの構造を可視化します。生物学は面白いものだと思いました。
「パラパラ漫画」で生きた細胞の構造の動きを捉える
蛍光タンパク質を使って、植物細胞内の微小管(緑色)と染色体(赤色)を可視化し、その構造変化を追跡した様子。微小管で構成された紡錘体の動きにより、染色体が分離され、細胞が分裂する。
しかし、この方法には一つ不満な点がありました。それは細胞が動かないことです。この方法では微小管構造を壊さないようにするために、あらかじめホルマリンで細胞を処理する必要があります。その結果、細胞内の構造は保持されますが、同時に細胞を殺してしまい、細胞はもはや動かなくなります。動いたらもっと面白いのに、と思いました。ちょうどそのころ、オワンクラゲという光るクラゲが持っている光るタンパク質を使うと、生きたままの細胞内構造の動きが見られる、という話が出てきました。このタンパク質は後に緑色蛍光タンパク質(GFP)と呼ばれるようになります。そんなにうまく動きが見られるのだろうかと、植物細胞に緑色蛍光タンパク質の遺伝子を組み込む実験を始めました。そうしたらしばらくして、緑色に光る細胞ができました。蛍光顕微鏡という蛍光を検出する顕微鏡を使って観察すると、緑色に光る微小管繊維が見えました。しかし、微小管は動きが遅いからか、顕微鏡で見ていても動いているようには見えませんでした。そこで、数分置きに写真を撮ってパラパラ漫画のように画像をつなげると、細胞内の微小管構造が動いて見えるようになりました。やっと面白いものを見つけることができました。この方法は、今では当たり前の技術となり、微小管以外の細胞内構造もどんどん可視化され、その動きが捉えられています。学会発表でも、きれいな動画のデータが増え、細胞内構造の動きが議論されています。しかし、この方法では遺伝子組み換えにより細胞内の構造を人工的に光らせていることから、当初は本当に正しいものが見えているのかと、論文の査読者からたたかれました。今でも、絶対に生の状態と同じ、という保証はありませんが、他の研究者がデータを蓄積するにつれて、批判も少なくなりました。私は、植物学の分野でかなり初期にこの方法に取り組んだために論文が評価され、この世界で生き残れるようになりました。この方法を使ってGFPを発見した下村脩(おさむ)先生は2008年にノーベル化学賞を受賞されました。下村先生の科学の進歩への貢献はもちろん、私のような研究者を救ってくれたこともノーベル賞に値するのだと思います。私も下村先生に救われた一人です。最近は昔ほど実験に手を動かせなくなりました。しかし、毎朝、研究室のドアを開けると、卒業研究の時に使っていたのと同じ、DNAの増幅装置と蛍光顕微鏡が私を迎えてくれます。次は何を見つけよう。大学は卒業しましたが、卒業研究はまだ続いています。
(初出:広報誌『法政』2019年4月号)
- 生命科学部応用植物科学科 佐野 俊夫
Toshio Sano
専門は植物生理学。東京大学大学院理学系研究科にて博士号(理学)を取得。ドイツ・ヴュルツブルク大学博士研究員、東京大学大学院新領域創成科学研究科助教を経て、2010年4月に法政大学生命科学部に着任。主な論文は、Sano, T., Hayashi, T., Kutsuna, N., Nagata, T. and Hasezawa, S.(2013) Role of actin microfilaments in phragmoplast guidance to the cortical division zone. Curr. Topic. Plant Biol. 13: 87-94.
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