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土地の水没と住民移転
人間環境学部人間環境学科 藤倉 良 教授

藤倉 良教授藤倉 良教授

インドネシアのダム訴訟から住民移転の研究に

私が住民移転の研究を手掛けるきっかけになったのは、インドネシアのスマトラ島に建設されたダムによる住民の立ちのきです。

1991年から1993年にかけて、私は環境庁(現在の環境省)職員として海外経済協力基金(現在の国際協力機構の一部)に出向していました。海外経済協力基金は、日本のODA(政府開発援助)の一形態である円借款を担当していました。円貨を低利・長期で開発途上国に貸し付け、それでインフラを建設してもらうのです。当時、スマトラ島のコトパンジャンダムの建設費用に円借款を充てる契約がまとまり、建設工事が始まっていました。

開発途上国にとってダムは重要なインフラです。農業用水を確保しなければならないからです。水力発電は慢性的な電力不足を緩和します。しかし、ダムは広範囲の土地を水没させます。水没地に住んでいる人は、立ち退かなければなりません。当然、立ち退きに対する補償は支払われます。代わりの土地が提供される場合もあります。

コトパンジャンダムの場合、インドネシア政府は通常より手厚い補償を行い、補償金に加えて移転先に土地と家屋まで用意するという約束をしていました。しかし、住民が実際に移転してみると農地や道路などは未整備のままで、住民は生活再建に大変な苦労を強いられました。後に政府は遅ればせながら約束を果たし、今ではほとんどの住民が移転して良かったと考えるまでになりました。

より良い移転とは


(図1)調査対象ダムの位置。コトパンジャン(Koto Panjang)ダムは、インドネシアのスマトラ島(左端) 中央部に位置する

私はその人たちの生活再建調査に関わったことで、住民移転に関心を持ちました。建設プロジェクトでは普通、完成後5年後くらいで事後評価を行います。しかし、ダムの場合、それだけでは十分とは言えません。移転した人たちは、その後もずっと住み続けるからです。移転住民の子どもたちは今の生活をどう考えているでしょうか。それらを明らかにするためには、移転から20年以上経過した後に状況を調査する長期的評価も必要です。

私は共同研究者と、アジアのダム建設によって移転した人たちの生活再建を研究することにしました。対象にしたダムは、日本やインドネシアに加え、ベトナム、ラオス、スリランカ、トルコの6カ国になりました(図1)。これらの国では、外国人が住民調査を行うことは原則、認められていません。逮捕される可能性もあります。そこで、現地の大学の研究者に協力してもらい、現地の言葉で移転住民のアンケート調査を行いました。

その結果、移転の補償はこれまで現金より土地が望ましいと考えられてきましたが、実際には必ずしもそうでもないことや、子どもの教育支援を手厚くしたり、移転先で副業を営む機会が提供できたりすれば、移転の満足度は高まることなどが分かり、成果を1冊の英文書に取りまとめることができました。

海面上昇と住民移転


高潮で石棺が流されてしまった、マーシャル諸島の首都・マジュロ市の墓地

私が次に関心を持ったのは、地球温暖化による海面上昇で土地が水没してしまう島国です。

太平洋の赤道近くにマーシャル諸島共和国があります。人口約6万人という小さな国です。この国はサンゴからできた環礁だけで成り立っています。平均海抜は2メートルしかありません。

地球の平均気温が2度上昇すれば、海面が約1メートル上昇すると予測されています。これだけ上昇すると、国土の完全水没にまでは至らなくても、生活は難しくなります。地下水に海水が浸入すれば井戸が使えなくなりますし、高潮の被害も大きくなります。気候変動の兆候はすでに現れています。雨水が重要な生活用水ですが、降水量が減少して水不足が頻発しています。写真は高潮で石棺がさらわれてしまった墓地です。

マーシャル諸島と米国

マーシャル諸島共和国の国籍を持つ人は国外にも5万人ほどいます。米国が最も多く、3万人が住んでいます。この国は米国と特別な関係にあり、マーシャル人はビザなしで自由に米国に住み、働くことができます。でも、なかなか米国社会に溶け込めないのが現状です。同国人同士で一つの地域に固まって住み、低賃金の工場労働で収入を得ている人が多いのです。英語に不自由する人も多く、大学進学は難しく、良い職に就くこともできません。差別を受ける人も少なくありません。

マーシャル諸島の人たちが、どのような動機で国を離れるのか。また、どうしたら、米国での生活を向上させることができるのか。これが今の私のテーマで、米国やマーシャル諸島の研究者と共同研究を行っています。残念なことに新型コロナウイルスの感染拡大で現地訪問ができなくなり、協力者とはオンラインの相談で研究を進めています。感染拡大が収まり、共同研究者たちと現地調査を再開できる日を待っています。

(初出:広報誌『法政』2022年8・9月号)


人間環境学部人間環境学科 藤倉 良

Fujikura Ryo
1955年生まれ。東京大学理学部化学科卒業。同大学院修士課程修了。インスブルック大学博士課程修了(理学博士)。環境庁職員、九州大学工学部助教授、立命館大学教授を経て、現職。公益社団法人環境科学会副会長。専門は環境システム科学、国際環境協力。著書に『文系のための環境科学入門』(新版、有斐閣、2016年、共著)、『エコ論争の真贋』(新潮新書、2011年、単著)、『環境問題の杞憂』(新潮新書、2006年、単著)など。