マルチ・ハザード時代を生き抜く
―持続可能な社会に向けて―
デザイン工学部都市環境デザイン工学科 道奥 康治 教授
道奥 康治教授
日本の国土と自然災害
ハザード(Hazard) と災害(Disaster)は混同されがちですが、ハザードが危険な自然現象である一方、災害は人が活動する地域にハザードが発生して生じる社会現象です。どれほど巨大なハザードが発生しても、無人地域に災害は起きず、単なる自然現象にとどまります。
全人口に対するハザードにさらされている人口の比率を調べると、日本は世界171カ国中の第4位で、OECD加盟国ではダントツの1位です。日本以外で上位に入っているのは、海面上昇によって国土が飲み込まれそうなバヌアツ、トンガなどの環礁島国、インフラ整備が行き届かないバングラデシュなどの発展途上国がほとんどです。海面すれすれの低い国土を持つオランダは、先進国の中で日本に次ぐ高リスク国ですが、それでも順位はグッと下がり第12位です。
一方で、有史時代から繰り返される自然災害は、日本の国土にディープ・インパクトを与え、生態系をリセットしアップデートを続けているため、日本が世界でも有数の生物多様性と豊かな自然環境を有していることも事実です。しかし、地球温暖化による気象ハザードの増加・増大と、人口減少、都市の過密化・地方の過疎化などの社会の弱体化が相乗的に作用し、自然災害の影響は年々深刻化の一途をたどっています。
持続可能性の再定義
全世界が目指す持続可能な社会とは、もともと環境項目だけを対象に「①自然共生型」「②循環型」「③低炭素型」社会であると定義されていました。しかし、これら三つの要件は、災害に対し打たれ強い社会である場合に初めて成立します。すなわち、自然災害に対して社会がレジリエント(≒強靱性+復元性が高い)でない限り、持続可能性は実現しません。このことは、国連の「持続可能な開発目標(SDGs)」にも組み込まれています。
マルチ・ハザード時代の到来
近年における自然災害には、単に規模・頻度の増大だけではなく、複数ハザードの同時発生という変容が見られます。「複合災害」という用語が昨今のマスコミでもてはやされているようですが、決して新しい概念ではありません。
例えば、天明3(1783)年の浅間山噴火によって降り積もった多量の火山灰は、利根川の川底を上昇させて度重なる洪水被害をもたらし、現在もなお首都圏に大きな後遺症を残しています。これは火山噴火と洪水の複合災害です。
沿岸域においては、台風来襲時に洪水(陸側ハザード)と高潮(海側ハザード)の水位上昇が同時に生起する危険性が1980年代当時から指摘されてきました。しかし、両者の同時発生を前提にすると、多数の鉄道・道路幹線が渡河する沿岸市街地においては都市大改造を伴う災害対策を余儀なくされることから、洪水・高潮は同時に発生しないと割り切らざるを得ませんでした。しかし、台風は大雨と強風・低気圧を伴うため、洪水と高潮の同時発生は「今そこにある危機」であり、2018年の台風第21号(関西国際空港連絡橋に船が衝突)は阪神間で浸水被害をもたらしました。
地震と洪水の発生原理は異なり、両者が同時に発生することはないと思われがちですが、1995年1月の阪神・淡路大震災では、淀川の堤防が液状化(地震動による地盤の弱体化)によって大きく沈下し、小さな洪水でも大阪全域が氾濫するという大ピンチにさらされました。国土交通省は驚異的なスピードで昼夜の復旧工事を敢行し、梅雨期直前に堤防修復を完了するという離れ業を成し遂げました。たとえ地震と洪水が同じ瞬間に発生しなくても、震災の影響は長引くのが一般的ですから、もし地震発生が3月以降にずれていれば、地震・洪水の複合災害が発生しても決しておかしくないというニアミス状態でした。
以上はマルチ・ハザードの事例ですが、2019年の水害のように、鉄工所からの油漏出に伴う河川・海域汚染と災害復旧の遅延(佐賀)、新幹線車両基地の浸水による全国経済への大打撃(長野)、多摩川沿いのタワーマンション浸水による全棟の機能喪失(東京・川崎)、などシングル・ハザードでも、二次・三次的な社会災害が複合的に発生するのが近年の特徴です。今年は熊本をはじめとする各地の水害において、洪水ハザードと新型コロナウイルスのバイオ・ハザードが重奏しています。マルチ・ハザードの影響は広域化・長期化し、国際社会にも過重の負担を与えます。
持続可能な社会を支える人材と社会
災害影響を少しでも緩和・最小化するために古来より粛々と進めてきた防災インフラ整備を緩めることは、絶対にできません。一方、巨大化するハザードを科学・技術や経済力だけでは克服できないことも、近年の多くの災害が物語っています。
マルチ・ハザード時代における持続可能な社会の実現は、人間の行動と社会の仕組みにかかっています。そのため、災害リスクを認知・共有して、これらを個人と社会の深層にまで浸透させる必要があり、国民の災害に対するリテラシーを高めるためのさまざまな教育・人材育成の取り組みが各地で始まっています。
新型コロナウイルスによるバイオ・ハザード
時代を生き抜くための建設技術
技術者人材の減少、働き方改革、現場の安全対策などを背景として、建設生産分野では、人工知能(AI)、情報伝達技術(ICT)、ビッグデータ科学(BDS)などの新技術を駆使し、設計・施工の省力化・無人化・自動化が加速されています。これらは、バイオ・ハザード時代においても「エッセンシャル・ワーカー」として社会インフラを担う建設技術者を守り、マルチ・ハザードと共存できる社会システムを構築するための技術を提供します。
下水疫学情報に基づく感染動向の把握、交通シミュレーションとビッグデータを用いたヒト・モノ・車両移動の最適制御による感染拡大の抑止、濃密感染源である廃棄物・下水処理施設の無人運転、有料道路のETCのような感染回避に資する次世代の鉄道・道路・都市システムなど、数々の研究開発がバイオ・ハザード時代に向けた新技術を創出し続けています。マルチ・ハザード時代を生き抜くための持続可能性の探求は、始まったばかりです。
(初出:広報誌『法政』2020年10月号)
- デザイン工学部都市環境デザイン工学科 道奥 康治
Michioku Kohji
1955年1月生まれ。専門分野は河川工学、環境水理学。1979年大阪大学大学院工学研究科土木工学専攻博士前期課程修了、1986年工学博士取得。神戸大学工学部土木工学科助教授、同大学工学部建設学科教授などを経て、2014年4月より現職。主な著書・論文に「石積み堰の透過・伏没・越流解析と流況分類」(土木学会論文集 B1(水工学),Vol.76, No.1)、K.Michioku, Y.Osawa and K.Kanda, "Performance of a groyne in controlling flow, sediment and morphology around a tributary confluence",Proc.9th Intnl. Conf. on Fluvial Hydraulics, RIVER FLOW 2018、「分取水工の三次元ポテンシャル流解析」(土木学会論文集 B1(水工学), Vol.73, No.3)。
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