新たなる企業家像を求めて
現代福祉学部福祉コミュニティ学科 土肥 将敦(どいまさあつ) 教授
土肥 将敦教授
私の専門分野は、企業を対象とする経営学の中でも特に企業と社会の関係を幅広い視点から見る「企業社会論(Business and Society)」というものです。今回取り上げる 社会的企業家とは、社会的課題の解決にビジネスとして取り組みながら社会的・経済的成果を達成しようとする志の高い人々のことですが、彼らは企業と社会の狭間で、これまでにない新しい関係性を構築しようとしています。
「福祉の常識は、経営(ビジネス)の非常識だ」
この言葉は、経営の神様とも呼ばれたヤマト運輸の二代目社長の小倉昌男氏が、企業経営の第一線を退いた後、さまざまな社会福祉施設を見学した際に言い放ったものです。小倉氏といえば、同社の危機的な状況の中で宅急便事業を創出した中興の祖であり、戦後最大の物流イノベーションを成し遂げた人物です。
当時、企業と社会の関係性を学んでいた私にとってこの言葉は大変興味深いものでした。感覚的には、「福祉」と「経営(ビジネス)」という二つの領域の間に、深い溝が存在していることは認識していました。しかし、小倉氏が第二の人生として、自らの経営の知識やスキルを生かして、これまでにない福祉財団活動を行おうとした際にぶつかったさまざまな壁の中で、最も大きく立ちはだかったものが目に見えない「常識」や「非常識」であったことに関心を持ちました。小倉氏は誰もが不可能と考えていた民間事業者による小口荷物配送を、日本で初めて宅急便というビジネスとして完成させ、国を相手取りけんかまでして、運送業の「常識」をガラリと変えてしまったイノベーター(変革者)でした。そのイノベーターが今度は福祉業界の変革に挑もうとしているその正義感と使命感に、私は強烈に引き付けられたのです。
社会的企業家の台頭
私が大学院に入学した1990年代の後半から2000年代ごろ、福祉や環境、教育などの社会的課題が山積する分野において、ビジネスの手法を用いて解決に導こうとする人々のことを社会的企業家または社会的起業家と呼ぶ動きが広がっていました。世界を見わたせば、さまざまな分野・領域で、いろいろな社会的企業家がまさに課題の解決策を「企」て、起業家として新しい事業を「起」こそうとしていました。中でも、ムハマド・ユヌス氏は世界的に最も著名な社会的企業家の一人として知られています。彼は、バングラデシュにおいて貧困者のためのグラミン銀行を設立し、マイクロクレジット(無担保少額融資)という手法を世界中に広め、2006年にはノーベル平和賞を受賞しました。世の中に存在する無数の社会的課題に対して、ボランタリーな関わり方、市民運動的な関わり方、政治的な関わり方などさまざまなものがありますが、「ビジネス」を通して関わっていくという社会的企業家のアプローチはこれまでにない大変斬新なものでした。
つまり、社会的企業家たちは、「ビジネス=金もうけ」、という紋切り型の理解を打ち壊し、「ビジネスの目的は何か」「ビジネスの成功とはどのように定義すべきか」という根本的な問いをわれわれに投げかけたのです。また彼らは、これまでのNPO/NGOセクターの非効率だった部分と近視眼的な資本主義との間の矛盾を解決する方策を提案してくれたとも言えるかもしれません。さらに重要なことは、彼らは、ますます深刻化・複雑化する社会的課題の解決には、従来のやり方ではない全く新しいアプローチ=ソーシャル・イノベーションが必要であるということも教えてくれました。
しかし、福祉とビジネスのように、これまで水と油のように相いれないものとして理解されてきたものを革新的な方法で結び付けることは容易ではありません。「福祉で金もうけしようとは何事か!」という批判は、(声高に叫ぶ人こそ少なくなっていますが)今でもなお、福祉に関わる人々の中には潜在的には残っているように思います。経済学者ヨセフ・シュムペーターの言葉を借りるならば、こうした「イノベーションの難しさ」とは「慣行の領域の外に出ることは常に『困難』が伴っているのであり、それは社会環境の新しい事柄への『抵抗』に由来する」というわけです。
社会的企業家研究から見えてくるもの
その後、小倉氏が立ち上げたヤマト福祉財団に関わる研究を進めていくにつれてさまざまなものが見えてきました。これまでに存在しなかったような革新的な事業においては、カリスマ的な人物にどうしても注目が集まりがちですが、個人の能力や偉業と同等かそれ以上に、そうした人物の周囲の協力や協働こそが成功の鍵を握っているということです。近年イノベーション研究の領域ではオープン・イノベーションの議論が注目を集めていますが、ソーシャル・イノベーションもまた多様なプレーヤーの専門知識や資源を用いる必要があるという点で、オープン・イノベーションの一形態といえます。また、社会的企業家の活動が成果を挙げるためには、相当な時間を要する場合が多く、そこには単に「社会的課題を解決する」というだけでなく、新しい一つの「文化」や「制度」をつくっていくという側面もあります。彼らは見方を変えれば「文化の企業家」であり、「制度の企業家」なのです。そして、大企業のCSR※活動は国内外で活発化していますが、社会的企業家と協働しながら本格的に社会的課題に取り組むことで、政府やNPO/NGOが成し得ないような大きな成果が得られるということも重要です。
Well-beingを求めて
法政大学現代福祉学部の理念に、Well-beingの追求というものがあります。つまり、社会を構成する全ての人々の健康で幸福な暮らしの実現を追求するということを表しています。私がこの学部に着任し、この言葉を初めて聞いたとき、Well-beingの追求とは、多くの社会的企業家たちが思い描くゴールに他ならないと思いました。
もしかすると、Well-beingの理念や社会的企業家が想い描く社会は、偽善的で理想主義的なものとして映るかもしれません。実際に、社会的企業家の事業活動も、研究を重ねるたびに課題が見えてくるのですが、それでも彼らは「ひとりで衆に先んじて進み、不確定なことや抵抗のあることを反対理由と感じず、非常識を常識に転換する能力」を持ち合わせている魅力的な人々です。こうした少し不思議で魅力ある企業家の研究を深めるとともに、Well-beingなビジネスマインドを持った学生たちを育てていくことこそが、私の生涯の目標となっています。
※Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任のこと
- 現代福祉学部福祉コミュニティ学科 土肥 将敦(どいまさあつ)
Masaatsu Doi
一橋大学経済学部卒業後、同大学院商学研究科博士後期課程単位取得退学、商学博士。研究分野は企業社会論(CSRなど)、社会的企業家論(ソーシャル・イノベーションなど)。高崎経済大学地域政策学部専任講師、同准教授を経て、2016年より法政大学大学院人間社会研究科/現代福祉学部教授。共著に『CSR経営—企業の社会的責任とステイクホルダー』(中央経済社)、『ソーシャル・エンタプライズ論』(有斐閣)、『ソーシャル・イノベーションの創出と普及』(NTT出版)などがある。詳しくは研究室ウェブサイト、 www.doimasaatsu.comまで。
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2020.8.11 公開
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