新しい歴史学の構築を目指して
〜日本の中の異文化の解明〜
文学部史学科 小口 雅史 教授
小口 雅史教授
日本の中の異文化
私の専門領域は多岐にわたり、史料学の革新(世界中に散らばった敦煌吐魯番〝トルファン〞文書の断片の接合復原)や明治以後、大量に欧州に流出した日本仏教美術作品の悉皆(しっかい)調査によるデータベースの構築などは過去に触れたことがあります。そこで今回は、「日本の中の異文化」について触れてみようと思います。
かつては日本を、他の国々とは異なり、「日本人」という単一民族による均一的な国家だと考える人が多かったと思います。あるいは今でも当たり前にそう考えている学生たちに学内で出会うところをみると、こうした観念はいまだ主流なのかもしれません。
しかし少なくとも日本史学界では、だいぶ前から日本列島の北と南、すなわち北日本と沖縄に、私たちが高校日本史で普通に学ぶような、中央日本とは異なる文化が存在していることが主張されていました。近年こうした研究成果が、ようやく高校日本史の教科書にも少しずつ反映されるようになってきています。とはいえ、まだまだ一般の常識を覆すには至っていません。
文化は同心円状に広がっていくという一般的傾向を踏まえると、日本列島の南北の一番端に、中央日本とは異なる文化が残ることは理屈としては理解してもらえると思います。そうした日本列島の北と南の歴史は、日本の歴史を考えるときに、従来知られていなかった新しい日本像を提供してくれる可能性を十分秘めています。中央の歴史を素っ飛ばして、北と南を比較するのも、とても興味深いテーマですが、ここではまず未知の北方世界の歴史から、一つのトピックを取り上げてみましょう。
知られざる防御性集落の時代
高校教科書に記述がないためほとんど知られていないと思いますが、実は10世紀半ばから11世紀にかけて、北緯40 度以北の世界では、集落を厳重な壕(ほり)で囲む特殊な遺跡がたくさん出現しています。青森市の高屋敷館遺跡のように、幅8メートル、深さ4メートル近い巨大な濠で囲まれた集落すらあります。壕を掘った土で壕の外側に積み重ねられた土塁に上って壕をのぞき込むと、とてつもない恐怖感に襲われること間違いなしです。このような特殊な遺跡が北日本世界に現れたなどは、中央に残された当時の歴史書には一言も書かれていません。これまた不思議なことです。
集落を壕で囲む、これは外敵に対する防御のためだと考えられます。ということは、この時代が「戦争の時代」であった可能性があります。しかしそうであるならば、そうした戦争が歴史書に書かれていないのはなぜでしょう。これは当時の中央貴族の地方への関心の低さを示していると考えられます。
都ではすでに藤原北家嫡流による覇権が確立されており、都での出世を諦めた中下級貴族が地方に下り、出世の代わりに実利ばかりを求めるようになります。中央の貴族はそうした地方からの所定の「あがり」が維持されれば、それを実際にどのようにして地方民から搾取しているのかについては全くの無関心です。中央への貢納額との差額は全て地方官の懐に入ります。こうした状況下では、地方政治が乱れるのは明らかでしょう。さらに問題なのは、特に北方世界には、都の貴族の羨望(せんぼう)の的である珍奇な品々がたくさんあったことです。例えば糠部駿馬(ぬかのぶのしゅんめ)といわれた名馬、ラッコ、アシカ、アザラシなど海獣の毛皮、寒い冬の京都で必需品とされた織物「けふの狭布(せばぬの)」など、北方世界でしか入手できないものなど。これらを都に持っていけば莫大な利益が発生すること間違いなしです。こうしたことに起因する北方世界の混乱が、防御性集落を生み出したのではないでしょうか。
写真1 山本遺跡の航空写真
写真2 山本遺跡の航空レーザー計測結果
航空レーザー測量法による遺跡の発見
ただこうした遺跡は、北日本の未開発地域に立地しているので、森や林に覆われていて、まだ誰にも気付かれていないものがたくさん埋もれている可能性があります。しかし遺跡の発掘には膨大な費用と労働力が必要です。そこで新しい試みとして、空中からのレーザー照射によって遺構を確認する方法を取ってみました。右記の写真と分析結果を比べてみてください。これは青森県外ヶ浜町にある山本遺跡です。地元では中世の城館遺構があるのではないかといわれてきました。
写真1が通常の航空写真です。森林に覆われた山が見えるだけです。この山にレーザー光線を当てて、その反射の様子の違いから、森林の下の地上の起伏具合を描き出したのが写真2です。見事な三重の壕が浮かび上がりました。実は防御性集落については、壕を防御施設とは見ない学説もあります。権威の象徴であるとか、区画施設・宗教的結界であるとか。しかしこうした三重掘りという、しつこいまでに集落を囲んだ壕に、防御以外の目的があるでしょうか。山本遺跡の発見は防御性集落問題に一つの区切りを付けたのだと思います。
「日の本」世界の展開
こうした北日本の特異な歴史は、太閤秀吉が全国統一を果たすまで、その命脈を保ち続けました。中世になると北方世界は「日の本(ひのもと)」と呼ばれる「もう一つの日本」を形成していきました。その特徴は、防御性集落の時代と同じく交易と交流です。北日本には、中央日本と同じような、米を中心とする普通の日本的世界がなかったことになります。この地を支配したのが津軽安藤一族で、その首領は天皇家から「日の本将軍」と呼ばれていました。
このように日本の北方には、中央の歴史とは全く異なる世界が展開していたのです。その解明は、日本列島の歴史の正しい理解に必須のものです。この地域には確かな文献史料が極めて少なく研究は困難を極めますが、その分、無限の可能性を秘めています。
北海道や東北の大学ならともかく、関東圏で本格的な北方史を学べる大学は国際日本学研究所を擁する本学しかありません。しかも本学には、南方世界を研究対象とする沖縄文化研究所もあります。ゆくゆくは本学が日本の中の異文化研究の中心となることを目指しています。
(初出:広報誌『法政』2018年度3月号)
- 文学部史学科 小口 雅史
Masashi Oguchi
1956年生まれ。日本古代中世史、日本北方史、日中比較法制史、敦煌吐魯番学、電子史料学国際日本学など。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了、弘前大学人文学部助教授を経て1996年本学教授着任。2014年から国際日本学研究所所長。2006年から2012年まで、ベルリン・フンボルト大学客員教授。著書・編著には『デジタル古文書集 日本古代土地経営関係史料集成』(同成社)、『北の環日本海世界』(山川出版社)、『海峡と古代蝦夷』(高志書院)、『北方世界と秋田城』(六一書房)、『古代国家と北方世界』(同成社)他多数。
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