外交文書から考える日本外交と民主主義
法学部国際政治学科 高橋 和宏 教授
高橋 和宏教授
天安門事件時の日本の対応
2020年末、1989年の天安門事件を巡る日本の外交文書が公開され、ちょっとしたニュースになりました。中国への非難を強めるフランスなどに対して、日本政府は中国を国際的な孤立に追いやることを懸念し、事件直後に開催された先進国首脳会議(サミット)では各国を説得して対中批判のトーンを和らげた、というものです。
現在の中国情勢から見て、30年前の日本政府の対応が正しかったのかどうか、議論の分かれるところでしょう。ただ、当時の日本政府が何を考え、どういう情報を入手し、いかなる交渉をしていたのか、そうした外交のプロセスが「歴史」として国民に伝えられることは、民主国家として大切なことです。
外交と民主主義
交渉には秘密が伴うことがあります。特に外交交渉は、国の安全保障や経済的利益、あるいは国民の生命財産に直結するものが多く、すぐには公表できない情報が存在します。外交交渉に関する情報を無配慮に公開すると、相手国との信頼関係が崩れてしまうことも懸念されます。外交上の秘密は十分慎重に扱わなければなりません。
しかし、そうだとしても、「国益」を理由に外交交渉の経過をいつまでもブラックボックスにしておくことは認められません。政府活動の一部である外交がどのようなものであったのかは、一定の時間がかかるにせよ、いずれ国民に還元されるべきものだからです。十分な情報を開示せず、政府が一方的に発信する歴史観を国民に押し付けるのは、権威主義的な国家の特徴です。ちなみに、中国は冷戦後、欧米や日本にならって戦後期の外交文書を公開したことがありますが、政府に都合の悪い文書の存在が報じられた結果、すでに公開していた分を含め、外交文書へのアクセスを大幅に制限してしまいました。
つまり、外交機密と民主主義との間にはある種の緊張関係があるのですが、そのバランスを取るために、一定の期間が経過した外交文書を公開するという制度があります。多くの国ではその年限が30年なので、一般に「30年ルール」と呼ばれています。外交文書の公開は、秘密を伴う外交活動を国民の統制下に置くことを制度的に担保するものということができるでしょう。
日本では戦後30年を節目として、1976年に戦後期の外交文書公開が始まりました。現在では外交文書は「国民共有の知的資源」として、港区麻布台にある外交史料館で公開されており、誰もが閲覧できます。また、外交文書のオンラインでの公開も進められ、上述した天安門事件での対応の文書などは外交史料館のウェブサイトでも公開されています。
外交史研究の道
私の専門分野である日本外交史研究は、この外交文書を一次史料として、日本外交の歩みを「歴史」として叙述する学問です。特に関心のあるテーマは冷戦期の日米関係で、日米両政府が政権内部でどのような検討を行い、それがいかなる相互作用を経て帰結に至ったのかという外交過程を両国の外交文書を読み解きながら考えています。当時の政策担当者も把握できなかったような外交交渉の全体像を立体的に再現し、自分なりの解釈を見いだすことを課題としています。
卒業論文の執筆のために外交史料館を訪れ、初めて外交文書に触れたのは今から四半世紀ほど前のことでした。それ以来、どういう機縁か、私の研究人生は外交文書と共にあったような気がします。
私が研究を始めた1990年代は、外交文書がいつ公開されるのかも、どのような外交案件が公開文書に含まれるかも、利用者にはまったく分からない状況でした。そこで、大学院では2001年に施行されたばかりの情報公開法を活用して外務省の文書を入手し、博士論文を書き上げました。情報公開法を利用すると、自分の関心のあるテーマを指定して期間内に文書を入手することができたので(期日は延長されることがしばしばでしたが)、外交史研究者にとっては大きな「武器」になりました。
大学院修了後、たまたま縁あって外交史料館に採用され、今度は外交文書を公開する側に身を置くことになりました。大学院生の頃は「日本は外交文書の公開が遅れている」などと文句を言っていたのですが、その批判がブーメランのように自分の身に降りかかってくることになったのです。
私が入省したのは、ちょうど外務省内でも政府全体でも、歴史的に価値のある公文書の公開が政策課題として位置付けられていく時期でした。外務省内では、2010年に核持ち込みに関するいわゆる「密約」問題に関する調査が行われ、関連文書が大量に公開されるとともに、外交文書公開制度も刷新されました。また、2011年に施行された公文書管理法では、外交史料館や国立公文書館などでの歴史公文書の保存・公開が定められました。
そんな突風にあおられながら、外交史料館在職中は、外交記録公開制度の改正や公文書管理法の制定・施行の対応に没頭しました。研究者として感じていた制度的な問題点の改善に行政官の一人として携わることができたのは、多忙ながらも充実した経験でした。その後、研究職を得て外交文書を利用する側に戻りました。大学での教育・研究に加えて、人事院の研修の講師として採用直後の国家公務員に公文書を残すことの意義を伝える授業も担当しています。
外交史研究と国際政治
現在、米中両国は「新冷戦」とも呼ばれるほど対立を深めています。「冷戦」というアナロジーが適切なのか、議論のあるところです。しかし、歴史はまったく同じ形で繰り返すことはないにせよ、核を持つ二つの大国が自国の政治・経済・社会体制の優位を巡って対峙した米ソ冷戦の歴史から学び得ることは少なくないはずです。
かつて吉田茂は、外交的なセンスのない国民は必ず凋落すると述べたことがあります。日本が敗戦へと転落していくのを外交官として目の当たりにした吉田の言葉は、今も重く響きます。そうした外交的なセンスを養うために、歴史を学ぶことは一助となるでしょう。外交史の研究は、現代の国際政治に「正解」を与えるものではありませんが、複雑な事象を長い時間軸に位置付けて冷静に俯瞰する「視座」を提供することはできるかもしれません。そういう願いを持って、大学で授業に取り組んでいるところです。
(初出:広報誌『法政』2021年5月号)
- 法学部国際政治学科 高橋 和宏
Takahashi Kazuhiro
1975年生まれ。専門分野は日本外交史。筑波大学第三学群国際関係学類卒業。同大学大学院国際政治経済学研究科修了。博士(国際政治経済学)。外務省外交史料館(2004 ~ 2011年)、防衛大学校(2011 ~ 2019年)を経て、現職。『ドル防衛と日米関係 高度成長期日本の経済外交1959 ~ 1969年』( 千倉書房、2018年)で第31回アジア・太平洋賞特別賞を受賞。
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