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水辺は都市の財産!
その歴史と風景の集積を生かす!!
デザイン工学部建築学科 高村 雅彦 教授

高村 雅彦教授高村 雅彦教授

いま、東京の水辺が面白い

東京都江東区の清澄白河(きよすみしらかわ)では、いまさまざまな方法を使ってまちを活性化させています。小名木川(おなぎがわ)や仙台堀川(せんだいぼりがわ)の一帯では、かつての工場や倉庫、町家の建物をカフェやレストランにコンバージョンし、これまでほとんど見かけなかった若者が集まっています。オブジェや音響、映像などを使って空間を変化させ、住民自らが現代アートを表現しているところもあります。震災や戦災を通して、東京の住宅地は西の郊外へと広がり、どちらかといえばこの東側は開発から取り残された地区でした。だからこそ、多彩で歴史のある建築や空間のストックを生かし再生することができたのです。現代の東京にあって、まさに「1周遅れのトップランナー」と言うにふさわしい存在です。

品川荏原神社の海中渡御 神輿(みこし)をお台場まで船で運び、海中に担ぎ入れる。こうした水辺の行為から、アジアに特徴的な水の精神性と身体性が見えてくる
品川荏原神社の海中渡御
神輿(みこし)をお台場まで船で運び、海中に担ぎ入れる。こうした水辺の行為から、アジアに特徴的な水の精神性と身体性が見えてくる

水の都市の理想像を求めて

1980年代の日本の都市は、まさにウオーターフロントブームの中にありました。東京を筆頭に、函館や福岡などでさまざまな再生活用の動きが水辺に展開していた時期でした。しかし、当時、学部で建築を学んでいた私は、その多くが米国など欧米の事例を参考にしたものばかりであることを知ります。もっと日本らしい、あるいはアジア的な水辺の在り方はないものだろうか。工学の世界で無意識的にまん延する欧米を中心とした枠組みから脱皮し、それとは異なるモデルをアジアに求める旅はこうして始まります。

大学院生のとき、1989年から中国・上海に2年間留学し、水の都で有名な蘇州や周辺の小さな水のまちを徹底的に実測、聞き取り調査し、文献史料を読み込んで研究に没頭しました。それから今日まで、シンガポールの海峡都市、タイ・チャオプラヤー川沿いの都市群、ベトナム・メコンデルタの都市と集落、インド・バラーナシの水辺の聖地、そして日本の城下町の領域と聖地との関係など、日本を含めたアジアの水と都市の理想像を探る研究は、30年近く続いています。

東日本大震災の経験

人々が川や海の水辺に寄り添い快適に暮らす都市と建築の在り方を追い求めていたころ、時には水そのものが大きな災いのもとにもなることを痛烈に思い知らされます。2011年、津波で死者、行方不明者約2万人を出した東日本大震災です。他のアジア都市でも洪水などの水害が頻発しています。2012年の世界銀行の発表では、世界の総水害件数の約4割をアジアが占め、そのリスクにさらされている人々のうち9割以上がアジアで暮らしているという報告もあります。

近代的な土地造成や防波堤建設などによってコントロールできていたはずの水が、人間の予想や科学技術の域をはるかに超えて、一瞬で多くを破壊し人命を奪う。これら災害の経験から、私たちは近代の論理を乗り越えて、本来人類がいかに地球の自然と共生しながら生きていくべきなのか、それを根底から考え直さなければならない時期に来ているのだと、頭をガツンと殴られた感じでした。人は水なしでは生きられません。加えて、アジアでは、何よりも水が人間にとっての信仰の対象そのものであり、水自体が神聖なものとして人々の精神のよりどころとなってきました。水に恐怖を感じ、その一方で畏敬の念をもって接する気持ちが生まれたために、むしろ水のそばに住まうことが求められたのです。力ずくで災害に対抗するのではなく、ましてや舟運や用水といった機能面だけを重視したのでもない、人々が水に寄り添って暮らすことの意義の方がはるかに大きい。そうした歴史がアジアには長く存在します。

都市と建築の新たな歴史研究へ

東日本大震災では、町や建築が津波で破壊される中、高台の神社は被害を免れたということを知りました。とすれば、水の聖地と都市領域、そして都市が成立する以前の古代や中世の自然地形や環境といった基層構造との間に、実はもっと重要な関係があるのではないかと気付かされたのです。自然の地形や地質を根底に、それと結び付く人文的な文化の基層がその上に形成され、それらが後の都市と地域のコンテクストや仕組みのベースをなして人々の営みが展開する。都市をそう捉えることで、水の都市をより正しく理解できるのではないかと思ったわけです。

こうして、新たな研究に取り組み始めるとすぐに、大坂や江戸のような城下町では、地形や地質と強く結び付きながら、その場所を意味付けしつつ都市の領域を設定し、そこに水の聖地を置いて人々の安寧を願ったケースが実に多いことが分かってきました。日本の都市創造において、中心から周縁までをも含む全体的な枠組みの中で都市の環境空間を読み込み、中央の都市領域を設定しながら全体の計画を行ってきたその論理が、水の聖地を通して浮かび上がってきたのです。

江戸東京研究センターのミッション

2017年度末、本学は文部科学省「私立大学研究ブランディング事業」支援対象校に選定され、学内に「江戸東京研究センター」を設立しました。水の脅威を感じながらも、その空間が本来持っている多義性を十分に享受した時代から、次に水を積極的に利用して工業化を推し進めた近代を経て、いったん水から離れた後にその空間の豊かさを取り戻すための試みが蓄積されつつある現在。環境の時代といわれる21世紀に、自然の恵みとよりよい共生の関係をいかに保ちながら多彩に付き合うことができるか。

本学には、田中総長をはじめ、多くの江戸研究者が在籍しています。一方で、本学には、江戸東京を対象とはしていなくても、自由な発想で研究を進める教員が数多くいます。単なる比較論ではなく、自身の方法を江戸東京にスライドさせたときに何が見えてくるのか。従来のアカデミックとは少し違って、新規性のある切り口でチャレンジ性に満ちた新しい江戸東京研究を目指しています。

(初出:広報誌『法政』2018年度10月号)


デザイン工学部建築学科 高村 雅彦

Masahiko Takamura
専門はアジア都市史・建築史。1964年生まれ。法政大学大学院博士課程修了。博士(工学)。1989年から2年間、中国政府給費留学生として上海同済大学建築与城市計画学院に留学。2013年には再び上海同済大学に戻り客員教授を務めた。前田工学賞、建築史学会賞を受賞。2008年より現職。法政大学江戸東京研究センター水都プロジェクトリーダー。主な編著書に『水都学Ⅰ~Ⅴ』(法政大学出版局 2013 ~ 2016)、『タイの水辺都市−天使の都を中心に−』(法政大学出版局 2011)、『中国江南の都市とくらし 水のまちの環境形成』『中国の都市空間を読む』(ともに山川出版社 2000)などがある。