学問の領域を超えて
広がる植物への好奇心
生命科学部応用植物科学科 長田敏行(ながたとしゆき) 教授
長田敏行教授
大学の教養学部に入学した当初は、科学哲学者のヴィトゲンシュタインに傾倒し、科学基礎論を志した時期もありました。しかし、この分野で独自性を出すのは難しいと感じ、専門課程ではより実証的なことを学べる植物学の研究を選びました。
大学院学生時代は東大紛争の時期と重なりました。大学に行っても研究活動ができなかったので、農林省植物ウイルス研究所(当時)の門戸を叩き、研究をさせてもらいました。ここで出会ったのが、植物の細胞壁を取り除いた裸の単細胞「プロトプラスト」の研究です。植物分野のバイオテクノロジーであり、世界でも先駆的な研究でした。
1枚の葉には七~八千万個の細胞がありますが、プロトプラストにすれば、バラバラに分けられます。個々のプロトプラストを培養すると、すべての単細胞は植物として再生させることができることを示しました。「分化の全能性」と呼ばれる現象の最初の実証的例示です。
1個のタバコ葉肉プロトプラストをDNAを染色する蛍光色素で染め、紫外線をあてると、ぎらぎら光り輝くのが核で、赤く光る葉緑体にもDNAがあり、ミトコンドリアにもDNAがあることが見て取れます
その後、この研究は世界に広まっていきました。私が書いた論文は、40年以上経過した今も研究者たちに引用されています。
私はこの現象の原理を更に深く解明したいと思い、植物の細胞分裂に関する研究を続けました。タバコ葉肉プロトプラストで細胞分裂を誘導できる機構の研究、植物細胞のモデル系の構築などへと研究を進めてきたのです。
私は、ある原理が解明できると、あまり執着せずに好奇心の赴くままに次の研究に向かっていく性分です。研究分野も学問の領域を超えて、歴史や文化へも広がりました。
植物学に一家言を持っていた文豪・ゲーテ、イチョウの精子を確認した平瀬作五郎、そして、明治初期に植物画を描いた加藤竹斎に関する研究などです。バイオテクノロジーは時代の先端を行く研究ですが、自分の研究がどんな意味を持つかをしっかりと見極めるうえでも、歴史を学ぶことは大切だと思っています。
長田教授が編集者として関わっているドイツシュプリンガー社の欧文専門書の他に学術書として「プロトプラストの遺伝工学」他を刊行されています
世界では今、温暖化などの環境問題が深刻化し、植物種の多様性も失われています。サステイナブルな社会の構築が急務なのです。地球が生態系を維持するうえで、植物はきわめて重要な役割を果たしています。応用植物科学科が取り組む植物医科学は実にタイムリーなテーマと言えるでしょう。
植物の病気を治すには、まず植物について理解しなければなりません。本学科の学生たちは1年生から実験や実習を重ねていきます。技術を身につけた専門家として、社会で活躍してほしいですね。 私は学生時代から分化の全能性について研究を続けてきて、現象論的にはかなり解明できたと思います。しかし、植物と動物の細胞はなぜ違うかなど、本質的な原理はまだ分かっていません。培ってきた研究の成果を若い研究者と共有しながら、その本質に迫っていきたいと考えています。
- 生命科学部応用植物科学科 長田敏行(ながたとしゆき)
生命科学部応用植物科学科教授。1945年長野県生まれ。1973年東京大学大学院理学系研究科で理学博士号を取得。東京大学教養学部基礎科学科助手、名古屋大学理学部生物学科助手、岡崎国立研究機構基礎生物学研究所助教授を経て1990年東京大学大学院理学系研究科教授。東京大学では附属植物園園長も兼任。2007年より現職。1998年フンボルト研究賞、欧州分子生物学研究機構アソシエートメンバー、2006年日本植物細胞分子学会学術賞、2013年イグノーベル賞などを受賞。著書に『プロトプラストの遺伝工学』『イチョウの自然誌と文化史』などがある。現在、公益財団法人日本メンデル協会会長、小石川植物園後援会会長。
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