ユーザの満足感を高めるデザインアプローチ
社会学部メディア社会学科 橋爪 絢子 准教授
橋爪 絢子准教授
日常生活にあふれるさまざまな人工物
皆さんは普段、生活の中で、どのような「人工物」を、どのような目的で、どのように使っていますか?
人工物というのは、「自然物」と反対の概念で、人間がつくり出したもの全てを指し、ハードウエアやソフトウエア、アプリなどの製品も、人的サービスやウェブサービスなどのサービスも含まれます。大学も、教育というサービスを提供する、研究教育のための機関です。また、人工物を使う人のことを、「ユーザ」といいます。
例えば、皆さんが日常的に授業を受けたり、仕事をしたりする場面でも、パソコンやスマートフォン、タブレットなどの機器、そしてインターネットなどの人工物は欠かせないものになっていると思います。私たちの身の回りには、多様な人工物が満ちあふれていて、それらがないと私たちの日常生活は成り立たなくなってしまいます。
私の研究では、そうした人工物について、どのような人が、いつ、何のために、どのように利用しているのかというユーザの利用経験の実態を把握しながら、どのようにデザイン(設計)をすれば、それを使うユーザがより良い状態になるのかを考えます。
通常、私たちは、人工物を何かの目的のために使いますが、その目的が達成されるのはもちろん、それを使うことで効率が上がったり、快適に過ごせたり、うれしい、あるいは楽しいと思えたりすることでも満足感が得られます。そうした、ユーザをよりポジティブな状態に導くためのデザインについて考えたり、デザインを問い直すことで、人工物とそのユーザとの関わりがどのように変わるのかを考えたりするのが私の研究です。
人工物のデザインの2種類の方向性
人工物のデザインのアプローチには、2種類の方向性があります。シーズ指向的なアプローチとニーズ指向的なアプローチです。シーズ指向的なアプローチでは、技術開発を中心にした開発が行われます。新しい技術ができたから、それを使って何か製品やサービスを考えよう、というわけです。それとは反対に、ニーズ指向的なアプローチでは、対象の人工物を使うユーザのニーズを中心にして、ニーズを満たすためにどのようなものを開発し、それをどのようにデザインすれば良いかを考えていきます。
後者のように、人工物を使うユーザを中心に据えたデザインアプローチを、「人間中心設計(ユーザ中心設計)」といいます。人間中心設計とは、ユーザのネガティブな経験をできるだけ少なくして、ポジティブな経験をできるだけ豊かにすることを目的とした、設計への取り組み方です。
使う人を中心に考える人間中心設計
ニーズ指向的なデザインアプローチを設計プロセスに適用したのが、1999年に制定された国際標準化規格ISO13407でした。この規格が1999年に提起された当初は、人工物の品質特性の一つであるユーザビリティを高めるために、プロセスアプローチを取り入れて、より良いものづくりをしようとしていました。ユーザビリティというのは、平易な表現でいうと「使い勝手」や「使いやすさ」のことです。この規格はISO9241 -210へと改訂され、2019年7月に再度内容が見直されました。
これを日本語に訳したものが、日本の国家規格JIS Z 8530「インタラクティブシステムの人間中心設計」です。このJIS規格では、人間中心設計を、「システムの利用に焦点を当て、人間工学の知識と技法の適用によって、インタラクティブシステムをより使いやすくすることを目的とするシステムの設計と開発へのアプローチ」と定義しています。
「インタラクティブシステム」というのは、基本的にはコンピュータやマイクロコンピュータ・チップを搭載した対話型のシステムと、それに関連する事象を指していて、そこには「コンピュータを使ったシステム」という意味が込められています。ただし、実際には、人間中心設計の考え方は、インタラクティブシステムに限らず、建物や道路、食べ物など、あらゆるものに適用することが可能で、ISOやJISなどの標準化規格が規定している範囲以上に幅広く適用できる概念といえます。
ユーザ理解のための調査をデザインに生かす
皆さんは、人工物の利用に際して、次のような状況を経験したことはありませんか? 人工物の操作の仕方や使い方が分からない、操作を間違えてしまう、操作手順が複雑で煩わしい、余計なメニュー項目が出てきて目的の項目が出てこない、アイコンの意味が分からない、リニューアル前の方が分かりやすかった、ここはもっとこうだったらいいのに......など、さまざまあると思います。このような人工物の利用上の問題は、人間中心設計のアプローチによってデザインすることで、防げます。
人間中心設計に沿ったデザインでは、ユーザとその利用状況、利用の仕方、利用の経験について深く把握するための調査を、設計開発の初期の段階で実施します。人工物を使うユーザがどういう人で、どういう生活をしていて、どのような価値観を持っているのか、そしてユーザがどのような場面で、どのような目的で、どのように対象の人工物を利用するのか、などを調査によって把握し、そこから導出したユーザのニーズに基づいて、デザインを考えます。単に必要な仕様や機能を満たすだけでなく、ユーザがより大きな利便性や満足感を感じられるように、最初の段階で調査を行い、ユーザについて深く理解した上で、人工物のデザインを最適化しようとするわけです。
こうしたユーザを理解するための調査に基づいてデザインを行うと、満足感が高まるほか、利用頻度も上がるなど、ユーザの行動も変わってきます。また、人間の行動原則やユーザを深く知れば、ユーザの行動を促すようなデザインを作り込むこともできます。
しかしながら、企業の現場で、そうした調査をうまく実施できるデザイナーやエンジニアは案外少ないのです。他方で、さまざまな調査手法を学んできた、社会学や心理学などを専門とする人たちは、ユーザ中心にデザインを考えることに向いています。文系学部の卒業生も、人工物のデザインや設計の現場で活躍されることを期待しています。
(初出:広報誌『法政』2022年10月号)
- 社会学部メディア社会学科 橋爪 絢子
Hashizume Ayako
1984年生まれ。法政大学文学部卒業。早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程修了。筑波大学大学院人間総合科学研究科博士後期課程修了。博士(感性科学)。首都大学東京(現東京都立大学)システムデザイン学部助教を経て、2019年に法政大学社会学部メディア社会学科に専任講師として着任。2022年より現職。『JIS Z 8530:2021 人間工学−人とシステムとのインタラクション−インタラクティブシステムの人間中心設計』(日本規格協会、2021年)の原案作成委員会の委員長を務め、日本感性工学会より著作賞、日本人間工学会より標準化貢献賞を受賞。『現場の声から考える人間中心設計』(共立出版、2022年)で、日本感性工学会より著作奨励賞を受賞。専門はヒューマン・コンピュータ・インタラクション。
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