地理的表示とマーケティング
経営学部市場経営学科 木村 純子 教授
木村 純子教授
イタリア料理は好きですか? 美味しいイタリア料理がそのままイタリアの魅力になっているといっても過言ではないほど、南ヨーロッパの地中海沿岸の国イタリアは素晴らしい食材、多彩な伝統料理、そして豊かな食文化に恵まれています。日本にいる私たちもイタリア料理の魅力に惹きつけられています。2015年の食料品部門における対日輸入額は1300万ユーロであったのに対し、対日輸出額は約7億9900万ユーロというイタリア国立統計局のデータがその証左でしょう。
地域ごと、村ごとに異なるチーズ、生ハム、サラミ、エクストラ・バージン・オリーブオイル、ワインといった豊かな食材とユニークな伝統料理。地中海沿岸特有の気候、地勢、風土など恵まれた自然環境があれば、多様で魅力的な農産物や農産加工品が生まれるというわけではありません。自然環境を利用した伝統的製法を守る人の手と、彼ら職人たちが創りだす季節ごとの味を楽しみに待つ消費者との社会関係が形成されているから、その土地特有の産品が生まれるのです。
アメリカ的マーケティングが通用しない南ヨーロッパ
2012年から2014年まで在外研究期間を頂戴し、イタリアのヴェネチア大学(Ca'Foscari大学)の客員教授として修士課程の経営学関連の授業を担当し、さらにイタリア人大学院生10人の修士論文を指導しました。並行して自身の調査も精力的に行いました。
調査の対象はもちろん食。チーズの原料となる乳が生産されている牧場やチーズ工房、ワインの原料となるブドウが生産されている畑やワイナリーを訪ねて回りました。生産者たちにインタビューをしていると、私の質問にきょとんとした顔でどう回答すればいいのだろうと戸惑った反応を受けることがしばしばでした。なにも難しい質問ではありません。「生産量をどれくらい増やしたいですか」「どのように事業を拡大したいですか」といった内容です。ほどなくして、イタリアではビジネスの成功を生産性や規模拡大や均質化といった物差しで測ることが難しいことに気付きました。
アメリカ的マーケティングは拡大を善とする20世紀型ビジネスの枠組みですが、その考え方に従うと事業の成功のためにはコストを下げて効率を上げることが必須です。農業であれば生産性向上は農産物を品種改良(遺伝子操作)し工業化と機械化によって大量生産し、品質も均質化させることによって実現されます。一方、イタリアではどうでしょうか。パルミジャーノ・レッジャーノ・チーズは工業化はされず、今でも13世紀から守られている手法で職人が手で作っています。夏に山岳地帯に牛を連れていき放牧して搾乳し、冬に平野部に下ろして乾草を与えて搾乳した乳で作るチーズの味が同じであるはずはありません。生産者は季節ごとに変わる乳の状態を見ながらチーズを作るアルティジャーノ(職人)なのです。工業製品であれば品質のムラは欠陥品と見なされクレームの対象となるでしょうが、イタリアの消費者はこういった季節ごとの味の変化を楽しんでいます。
地理的表示
ナポリの教育農場で食育活動の調査をしていた時に「テリトーリオ」という言葉に出会いました。ワインでテロワール(フランス語)といえばブドウが育つ土壌、地勢、気候を指しますが、構成要素はそれだけではありません。伝統・文化、およびそれを創りだす人の手によって構成されています。
人は、長い歴史の中で地理的境界の範域内で地勢や風土を生かしたり手を加えたりしながら、農産物や農産加工品の生産の技術と伝統を蓄積しローカライズされた独自文化を創りだしてきました。イタリアの人たちはテリトーリオの特性があるからこそこのチーズの味になると考えています。
このような考え方を反映して作られた法律がEU(欧州連合)の原産地名称保護制度です。日本ではおなじみの緑の筒に入ったパルメザンチーズ。アメリカのクラフト社が生産しています。このチーズがEUの文脈では法律違反の製品であることをご存知でしょうか。パルミジャーノ・レッジャーノ・チーズ(パルメザンチーズはその派生語)はイタリアのパルマ、レッジョエミリア、ボローニャ、モデナ、マントヴァの五つの県で作られたチーズで、この原産地の特性がなければパルミジャーノの特性は生まれません。決められた範域の中で決められた作り方を守って検査に合格したものだけがパルミジャーノと名乗ることができるのです。
イタリアから日本に帰国するのと時期を同じくして日本でもEUに倣って地理的表示(Geographical Indication)保護制度が施行されました。略してGI(ジーアイ)と呼ばれます。イタリアでの研究実績を認められて、現在は農林水産省で学識経験者としてGI登録の検討委員を務めています。神戸ビーフや夕張メロンといった有名どころから谷田部ねぎや山内かぶらといった小さな村落で生産量もわずかな産品まで産品特性は多様ですが、GIの面白さはそこにあると考えています。イタリアではGI産品がその生産地の観光産業振興の重要な役割を担って地域経済に貢献したり、グローバル市場における差別化要因となり輸出拡大に貢献したりしていますので、日本でもGI産品を活用した地域活性化と海外での市場創出を実現させていくことが期待されています。
ほうせい茶
GI産品ではありませんが、ゼミナールの学生と共に2016年度秋学期に大分県杵築(きつき)の茶葉を用いた法政大学オリジナルブランドのお茶の製品開発に携わりました。杵築は、法政大学の創設者である金丸鉄と伊藤修の出身地です。2017年度春学期からは在学生、校友会、後援会といった法政大学関係者の皆さんに対するマーケティング戦略を立案し実践しています。
ゼミ生もGI制度やその意義について研究していますので、テリトーリオの概念を「ほうせい茶」のプロモーション活動に適用していくことを目指しています。すなわち、単にお茶の効能を謳うにとどまらず、杵築の地勢、土地に根ざす文化や伝統を理解してもらうことで、ほうせい茶を飲む人がそこで育った創設者たちの信念や情熱に想いを馳せ、自身と法政大学とのつながりを感じられるような唯一無二のお茶にしていきたいと思っています。
- 経営学部市場経営学科 木村 純子
Junko Kimura
神戸女学院大学文学部英文学科卒業、ニューヨーク州立大学大学院コミュニケーション研究科修了(MA)、神戸大学大学院博士前期課程および後期課程修了、博士(商学)。研究分野は地理的表示法(GI)、農産物マーケティング、地域活性化。2005年法政大学経営学部助教授、同准教授を経て2010年より現職。農林水産省地理的表示に関わる検討会議学識経験者。EUでは日本人GI研究者としてERASMUSプログラム、EC(欧州委員会)、およびFAO(国連食糧農業機関)等を対象としたセミナーで日本のGIを紹介している。http://kimuraseminar.qee.jp/
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