読売新聞オンライン タイアップ特集
上智大学の視点
~SDGs編~
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上智大学の視点
~SDGs編~
「SDGs」は、2015年9月に国連総会で採択された「持続可能な開発目標」の略称。2030年を達成期限とする、各国が取り組むべき17の目標とその具体的な評価基準169項目が定められている。そこで、上智大学のSDGsにかかわる取り組みを、シリーズで紹介する。
小松 太郎 総合人間学部教育学科 教授
「質の高い教育の提供をすべての人に」は、SDGsの17の項目の一つ、「ゴール4」として掲げられています。しかし同時に、各人が自立するための能力獲得を可能にし、かつ将来の持続可能な社会を担う人を育てる教育は、他のすべての目標にとっての「Enabler(達成を可能にするもの)」、すなわち土台であるともいえます。
例えば、紛争によって学校を含む社会システムが破壊されてしまった地域の子どもたち、あるいは住んでいた土地を追われた子どもたちのために、安心して学べる場を提供する取り組みは、ゴール4そのものを実現するだけでなく、彼らのこれからの生活を支えるという意味で、「貧困をなくす」(ゴール1)、「健康と福祉を促進する」(ゴール3)、そして、より長期的には「平和で公正な社会の実現」(ゴール16)にもつながります。
そうした活動の一つとして、私は現在、日本の国際支援NGOと連携する形で、中東・ヨルダンでの教育支援プロジェクトに携わっています。これは、上智大学が本学ならではの国際貢献を進めるべく2017年に立ち上げた、「人間の安全保障」の実現を目指す全学的取り組みを進める上でも意味があると考えています。
ヨルダンには現在、全人口の実に10分の1にあたる100万人余りの難民が、戦禍にまみれた隣国シリアを逃れ、移り住んでいます。言語は共通のアラビア語なので、子どもたちは既存の学校で学べるのですが、母国で学校に通えなかった時期があったり、カリキュラムが違ったりするため勉強についていけません。そこで日本のNGOは彼らのために補習授業を行うプロジェクトを進めており、私の役割は、その効果を様々な側面から検証・評価し、必要なフィードバックを行うことです。
ヨルダン政府の要望で、ヨルダン人の子どもたちにも補習授業を提供しているのですが、夏休みには両国の子を一つの教室に集めて、子どもたちの間の壁を取り除くことにもつなげています。
ただ、シリア難民の流入が始まってからすでに8年、国際社会はいわば「援助疲れ」の状態になっており、ヨルダンも決して豊かな国ではありませんから、短期的に成果が見え難い教育の分野での負担には後ろ向きになりつつあります。
こうして同プロジェクトを含む「質の高い教育の提供」は、その継続性に困難を抱えています。緊急性がありながら、成果が目に見えるのは何年も先になる----教育支援の難しさの一つがここにあります。
一方で、教育には、紛争地の子ども達が安心・安全な環境で学ぶことでトラウマを軽減し、安全に関する知識や身を守るスキルを得ることで、彼らの命と生活を保護するという即効性があるのも事実です。そして、彼らのこれからの成長の基盤を作ると同時に、紛争後の社会再建に彼らが積極的に貢献していくためにも教育を断絶することは出来ないのです。
コソボの子どもたち--教育は負の遺産を継承するか、平和な社会を構築するか
東欧・コソボは、かつてはユーゴスラビアの中の自治州でしたが、住民の大多数を占めるアルバニア人が独立を求め、統治者であったセルビア人がこれを力で抑え込もうとしたことから、1998年に武力衝突が起こりました。ユーゴスラビア軍、NATO軍が参戦する大規模な紛争に発展し、多くのアルバニア人が隣国に逃れて難民となります。1999年半ばに和平が成立、アルバニア難民の大部分が帰国しますが、今度は彼らの報復行動により、多くのセルビア人難民が生まれてしまうのです。
紛争終結後の治安回復・社会復興には国連暫定統治機構があたることとなり、私はその教育行政官として、2000年に現地に赴任しました。そしてなによりまず、ショックとともに思い知らされたのは、人間というものが、相手がだれか、何をしたかに関係なく、どの民族であるかという一点でこれほど深く憎みあえるのだということでした。
平和を持続させるためには、この憎悪や恨みを、子どもたちに引き継がせてはいけない。教育は、そうした憎悪の連鎖を断ち切ることができる一方、代々伝え続ける役割も果たしうる。教育による「負の遺産」の継承とも言えるでしょう。これもまた、「持続可能な社会」に教育が重要な役割を果たしうる、という点につながります。
コソボの破壊された学校
当時のコソボは国際部隊がセルビア人居住区の警護にあたる、非常に緊張した状況。当然、アルバニア人の教育担当者、セルビア人の担当者と別々に話し合い、それぞれの問題の解決を図っていくことになります。
しかし、彼らの子どもたちの将来を思う気持ちと、そこでは教育の充実が不可欠であるという認識は共通していました。セルビア側ではこんなことを始めた、アルバニア側の悩みはこうだ、といったことをそれぞれに伝え続け、興味を持ち始めてくれたところで、なんとかお互いの接触を実現していきました。
なお、セルビア人はアルバニア語が話せず、アルバニア人は支配勢力の言葉であったセルビア語を話したがらない。それで双方の担当者は、最初は通訳を介して言葉を交わしていましたが、次第に話が熱を帯びてくると、もどかしくなってセルビア語で直接やりとりを始めました。彼らは、隔離されたそれぞれが住む社会の様子や学校の状況などについて情報交換をしていました。子どもたちのために、まず大人同士の距離を少し近づけることができたのかなと思っています。
ヨルダンでの補習授業の様子(実施団体:ワールド・ビジョン・ジャパン)
コソボとその後のボスニアでの任務を通して、私は日本人という「ブランド」の持つ意味を改めて感じました。民族・国家間の複雑な利害関係が絡み合った中で起こった紛争について、日本人はいずれの側にも与していない中立の立場であると見てくれるので、提案も受け入れられやすいのです。その意味で、日本人の国際貢献の可能性はとても大きいはずです。世界で起きている対立に軍事的な関与をしてこなかった日本だからこそ、教育などの文民分野への協力を通じて人道支援や開発援助、平和構築に貢献していくことが出来るし、そうすべきだと思います。世界の安定と発展は、SDGsの理念である「誰もとり残さない」という目標の実現にもつながりますし、究極的には日本の安全保障にも資することになります。
「持続的な発展」とは、次世代が暮らす世界を想像し、彼らへの思いをめぐらせて、自身の今の行動を決めるという考え方が根底にあります。次の世代に「負の遺産」を残さないために、我々は何が出来るか。多文化共生という観点からは、今日の日本と隣国の関係についても同じことが言えるのかもしれません。
最近ヨーロッパでは、過去の出来事について一つの解釈を正解として教えるのではなく、そこに多様な解釈が存在することを理解しその理由を分析させることこそが歴史教育の目的であるという、新しい考え方が出てきています。コソボやボスニアではこのような考え方に影響を受けた教育手法も模索されています。我々がこれらの取り組みから学べることもあるかもしれません。また、現代の若者は学校「外」でも多くの情報に触れています。彼らが接する大量かつ多様な情報を適切に読み解くための、メディア・リテラシーを養うことも重要でしょう。
そしてやはり多文化共生で大切なのは、体感することです。たとえば、子どもたちが自身とバックグランドが大きく異なる人々と日常的に接することができるような環境を、教育現場の内外でなるべく作る。できれば、自分が社会のマイノリティとなる状態を体験できる、海外留学の体験なども良いと思います。SDGsのEnablerとなるような教育を実現するために、国内・国外で私たち日本人にできることは、まだまだたくさんありそうです。
2020年2月3日 掲出
1993年上智大学比較文化学部卒業。1996年ロンドン大学経済政治大学院(LSE)修士課程修了、2012年ミネソタ大学大学院博士課程修了。博士(教育政策・行政)。国際協力機構(JICA)パキスタン事務所、ユネスコ・パリ本部プログラム担当官、国連コソボ・ミッション教育行政官、ユネスコ・ボスニアヘェルツェゴビナ事務所教育担当官、九州大学大学院准教授等を経て、2013年4月現職に着任。専門は教育学(教育政策・行政、国際教育開発)。
日本比較教育学会、国際開発学会、Comparative and International Education Society等の学会に所属。主な著書に、『途上国世界の教育と開発−公正な世界を求めて』(2016年、上智大学出版)、『教育で平和をつくる--国際教育協力のしごと』(編著)(2006年、岩波書店)等。
JICA教育専門家派遣(アフガニスタン等)、紛争復興国の教員・行政官に対する研修講師、「緊急時における教育支援ネットワーク(INEE)」研修講師、教育支援プロジェクト評価、国内外の主要学術誌の論文査読、研究・事業助成審査委員、等。
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