読売新聞オンライン タイアップ特集
ニュースを紐解く
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いま、世界で、日本で何が起きているのか。
政治、経済、教養、科学など話題のニュースを上智大学の教授が独自の視点で解説します。
森下哲朗 法学研究科 法曹養成専攻(法科大学院)教授
私たちの社会は無数の交渉で成り立っています。日本では、交渉というと何か難しいもの、特別なもの、と考えがちですが、そうではありません。また、交渉というと、勝ち負けが連想されることが少なくないのですが、そのように単純なものではありません。人が人との間で何らかの合意を目指して働きかけようとする場合、そこには交渉があります。外交やビジネスの世界での交渉の重要性は言うまでもありませんが、日常生活でも数多くの交渉がなされています。
従って、優れた交渉力を持つこと、良い交渉ができること、には大きな意味があります。特に、グローバル化した社会では、経験・常識・価値観などの異なる様々な国々の方々と、よりよく交渉できることが重要です。様々な違いを乗り越えてより良い合意を重ねていくことで、より良い社会を作り上げていくことに貢献できるような人材が求められているといってよいと思います。特に、多くの国々との友好的な関係を築き、交流し、貿易を行い、国際社会に貢献していこうという日本にとっては、優れた交渉力を有する人材の重要性は、他国にも増して大きいといえます。
他方、日本人は交渉が苦手と言われることがあります。共通の言語・経験・常識を持つ人間ばかりの社会、和を重んじて言葉にしなくても相手の思いを汲み取ることをよしとする文化の中で育ち、強い自己主張やときにはハッタリさえも要求される「交渉」によいイメージを持っていなかったり、日ごろから交渉することに慣れていなかったりすることが、日本人の交渉への苦手意識の原因のように思います。
しかし、交渉のスキルは学習・訓練によって磨くことができるものです。かりに国内では経験が乏しくても、世界に通用するような交渉スキルを学び、練習することによって、世界で活躍できる交渉者になることは可能です。しかし、残念ながら、日本の高等教育は、こうした交渉力の研究・教育といった分野で海外に大きく遅れをとっていると言わざるを得ません。海外では、ロースクールやMBAのコースなどでも、「交渉学・交渉論」は人気の科目で、専門の教員が複数いるような大学も少なくありません。これに対して日本では、交渉をテーマとしている研究者はいるものの、独立した学問分野として認知されるには至っておらず、大学などのカリキュラムに主要な科目として取り入れられることもありません。
前述したような日本人の特質は、交渉において弱点となりがちではありますが、反面、まじめで誠実なイメージなどはメリットともなりえます。交渉の基本や原則については海外の先進的研究を取り入れつつ、日本人の潜在力を活かす新たなスキルや方法の研究や教育が、ますます重要になってくるのではないでしょうか。
法学部や法科大学院での教育との関係でも交渉力は重要です。法律家がどれだけ法律についての知識や法律家としてのスキルを備えたとしても、それを使い、他の人に働きかけ、取引を成立させたり、紛争を予防したり、紛争を解決したりできなければ、無意味です。そして、他の人により良く働きかけるためには、交渉力が必要です。
実社会の紛争の多くは、裁判ではなく、和解や交渉で決着しています。また、交渉の技術は、予防法務の観点からも重要です。企業にとって、起こってしまった紛争を自らに有利な形で解決することは重要ですが、それよりも、そもそも紛争が起こらないようにすることが望ましいのは言うまでもありません。そのためには、契約などの段階で綿密な交渉を行い、将来の紛争の種をつぶしておくことが必要となります。実社会では、紛争解決のための対策法務より、むしろ予防法務のほうが、重要性が高いともいえるでしょう。これは、ビジネスについてのみならず、外交や日々の生活においても当てはまることです。
これまでの法学教育は、知識の獲得に重きを置いてきたと思います。しかし、交渉力のない法律家は、どれだけ知識があっても、社会に貢献できる範囲が限られるといえると思います。法学部や法科大学院で学んだことをよりよく使うためには、交渉について学ぶことも大切だと思います。
上智大学では、過去2回にわたり、ハーバード大学から専門家を招き、法科大学院生を対象とした交渉のワークショップを実施しました。そうした機会等を通じて得られた教育のノウハウは、現在でも上智大学の法科大学院や法学部での教育で活かされており、例えば、法科大学院の「ネゴシエイション・ロイヤリング」などで学生に提供されています。
また、上智大学は、学内に留まらず、大学の枠を超えて、法学教育のあるべき方向性を示すチャレンジングな取り組みを行っています。
一つは、法科大学院の学生を対象とする、大学の枠を超えた「模擬仲裁・模擬調停・予防法務ワークショップ」です。
これは、他大学の学生と競い合う3日間のプログラムで、課題となる案件につき、1、2日目は調停・仲裁の実務をロール・プレイングによって体験します。これらは「ADR(裁判外紛争解決手続き)」と呼ばれるものですが、実務における重要性にもかかわらず、日本の法学教育ではあまり重視されてきませんでした。ロール・プレイを通じて、日々の授業で学んだ知識を活かし、実社会で法律家として活躍するためには何が必要か、などを実感できます。そして3日目には、その紛争を未然に防ぐための当事者に向けたアドバイス、すなわち、予防法務を体験します。つまり、一つの問題に対策法務・予防法務の両方の観点からアプローチすることになるわけで、ここがユニークな点です。
さらにこのワークショップには、例年、20名前後の弁護士にも参加いただいており、学生は第一線の専門家と直接触れ合うことで、貴重な学びを得ることができます。このワークショップは例年大きな成果を挙げており、参加者のアンケート結果を見ても、普段の授業では得ることのできない数多くの学びを得てくれていることが分かります。
もう一つは、「大学対抗交渉コンペティション」。上智を含む国内4大学でスタートしたこの大会も昨年で16回目を迎え、海外4カ国の大学を含む28校から約300名が参加するまでに規模が大きくなっています。上智大学はこのコンペティションを後援しており、毎年、上智大学で開催されています。
コンペティションの問題は難しく、決まった答えはありません。どのように考え、どのように主張し、どのような交渉を行うか、参加者には周到な準備が求められます。準備してきたことを話すだけではダメで、交渉の相手方や審査員に応じて、話し方やアプローチなどを変える柔軟性も求められます。また、コンペティションには英語の部もあり、国を代表するような海外のエリートたちと、日本語でも難しい法律論を含む模擬交渉を英語で行います。こうした困難な挑戦に向けた準備作業が、学生たちを大きく成長させるのはもちろんのこと、当日は他大学の参加者の自分たちにはない優れた発想や、海外勢との文化の違いなども体感できます。参加者たちが得るものは、交渉力の向上だけに留まりません。
上智大学からは私のゼミの学生が参加していますが、学生たちの意識は極めて高く、優勝を目指して、本当に熱心に準備に取り組んでいます。最初はおどおどと自己紹介をしていた学生も、大会では自信あふれる姿で説得力ある交渉や弁論を行えるようになります。準備の過程では色々な苦労がありますが、それらを一つ一つ乗り越えていくことによって大きく成長するのだと思います。上智大学チームは、そうした学生達の意識の高さと努力、さらに、準備段階から積極的にサポートしてくれるOB・OGたちのおかげもあり、毎年好成績を収めています。私は、こうした学生たちを誇りに思いますし、コンペティションを通じて大きく成長した学生たちの姿、そして、コンペティションでの経験を活かして社会で活躍し、さらに成長したOB・OGたちの姿を見ることができるのは、教員にとって大きな喜びです。
ここでご紹介した2つのプログラムが、法律を武器にできるグローバル人材育成の場としてますます充実・発展していくよう、今後も力を尽くしたいと考えています。
2018年2月1日 掲出
新潟県出身。1989年3月 東京大学法学部卒業。1989年4月株式会社住友銀行に入行、1994年1月より同行総務部法務室(のち法務部)に勤務(国際法務担当)。1994年3月東京大学大学院法学政治学研究科民刑事法専攻(経済法務専修コース)修士課程修了。1999年4月に上智大学法学部助教授に着任。2007年4月より現職。
主な研究テーマは、国際取引法、金融法、交渉学。主な著作・論文に、『ケースで学ぶ 国際企業法務のエッセンス』(有斐閣、2017年)、『マテリアルズ国際取引法 第3版』(有斐閣、2014年)、「法曹養成における交渉教育−ハーバード・ロースクールでの教育を参考に−」『筑波ロー・ジャーナル』6号31頁(2009)、など。
インターカレッジ・ネゴシエーション・コンペティション運営委員。金融法学会常務理事。金融庁決済高度化官民推進会議座長。金融審議会金融制度スタディグループ委員。
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