読売新聞オンライン タイアップ特集
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いま、世界で、日本で何が起きているのか。
政治、経済、教養、科学など話題のニュースを上智大学の教授が独自の視点で解説します。
中里 透 経済学部 経済学科 准教授
これから年末にかけて、来年度の予算案と税制改正の議論が佳境を迎えます。その中で大きな注目を集めているのが、教育の無償化の話です。
先ごろの衆院選で、安倍総理は2019年10月に予定されている消費税の引き上げに関し、増収分の使途の変更を総選挙の「大義」として主要な公約に掲げました。財政収支の改善のために使われることになっていた財源のうち、2兆円ほどを「人づくり革命」の財源に振り替え、その多くを幼児教育の無償化など教育関連施策の財源に充てるというのがこの提案のポイントです。
もっとも、この提案、やや唐突との感は免れません。消費税の使途変更は財政健全化の道筋など様々な問題に影響を与えることになりますから、今後の対応に向けての論点を整理しておきましょう。
「無償化」というと、一見だれもが同じように得をすると思いがちですが、必ずしもそうとはかぎりません。たとえば、保育料は世帯の所得に応じて決められているので、これを一律に無償化した場合、所得の高い世帯ほど大きな恩恵を受けるという矛盾が生じてしまうことになります。
このため、政府は0~2歳児については所得制限を設けるとしていますが、3歳児以上をどうするか、まだ課題が残されています。また、無認可の保育施設をどのように取り扱うかという問題もあります。当初は無償化の対象外とされていた無認可の保育施設についても、対象となる施設や補助の上限などの制限はつきそうですが、対象とする方向で検討が進められています。
無償化をすると、そのこと自体が保育需要を誘発して、待機児童がさらに増えてしまう可能性もあります。このような点を踏まえると、無償化よりもまず、保育士さんの待遇を改善することで、保育士の資格を持ちながら別の仕事に就いている人、いわゆる潜在保育士のみなさんに保育の現場に戻ってきてもらうことなどに財源を優先的に充てるという選択肢も、検討されてしかるべきだと思います。
そもそも、財政収支の改善に充てる分の財源を減らしてしまうことに、問題はないのでしょうか。
この点について、まずこれまでの財政運営の経過を振り返ってみましょう。「安倍内閣は放漫財政」といった趣旨のことが言われることがありますが、この4年間を見渡してみると、実際には社会保障費以外の財政支出は減少傾向にあり、財政全般についても緩やかながら収支は改善の方向に進んでいます。プライマリーバランス(基礎的財政収支)の黒字化も、これまで目標とされてきた2020年度は無理としても、20年代中には実現することが見込まれています。ただ、教育の無償化などで支出が増えてしまうと、その分だけ目標達成が遠のいてしまうおそれがあります。
日本国の借金、政府長期債務の残高は1,000兆円を超えており、これはGDP(国内総生産)の1.8倍、先進国の中では最悪の水準と言われています。私たちは、納税者としてはこの借金を返済する義務を負っていて、実際、私たちが収めた税金の一部は国債の償還と利払い、つまり借金の返済に充てられています。
その一方で、現在発行されている国債の9割は、日銀や国内の民間金融機関、企業などが保有しています。金融機関が国債を購入する際の原資は家計の預貯金ですから、間接的には預金者である私たちが国債を資産として保有していることになります。
この2つをあわせると、いわば一つの家の中でお金の貸し借りが行われているような状況です。
ですから、ギリシャのように、外国からの借り入れが返済できずに破綻の危機に瀕するという心配は、日本の場合まずありません。もっとも、それでは何も問題ないかというと、そうではありません。
仮に今後も赤字が大幅に増え続けていったとすると、それを解消するために大幅な増税が必要となるか、あるいは、国の信用力が落ちて円安となり、インフレによって結果的に政府債務の実質的な負担が調整されることになるか、いずれにせよ将来のある時点で大変苦しい形で借金の返済を迫られる可能性が少なからずあります。
実際にこのような状況になるかは現時点で予測ができませんが、確実に言えるのは、赤字が生じている場合には、どこかで身の丈に合わない過剰な支出が行われているということです。まずはその点を正し、財政赤字の縮小に向けて歳出効率化の手を緩めないようにしないといけない。今回の消費税の使途変更は、この点からも軽々に決めてよい話ではないと思います。
財政健全化の観点からは、消費税率の引き上げは避けて通ることのできない課題です。ただ、引き上げの時期や引き上げ幅については慎重に見極める必要があります。というのは、デフレ脱却というもう一つの重要な政策課題があるからです。デフレのもとでは政府の債務の実質的な負担が重くなってしまいますから、財政健全化という観点からもデフレ脱却は重要ということになります。
この点の判断において重要なポイントは、景気の現状や先行きをどのように見るかということです。足元の景気の状況については、「いざなぎ超え」といった声も聞かれますが、景気拡張局面の期間の長さはともかく景気の強さ自体をみると、景気回復の足取りは極めて緩やかなものとなっています。中国経済の減速など海外の動向も含めて、2年後にわが国の経済が増税ができる経済環境になっているかどうか、慎重な見極めが必要になります。
消費税率の引き上げはもちろん重要な課題ですが、それと同時に歳出の効率化も着実に進めて行く必要があります。現在の財政の最大の課題は、高齢化の進展とともに増大していく社会保障費の抑制です。
増税、歳出抑制……いずれの方法をとっても、財政健全化には痛みが伴うことが避けられません。もちろん、その場合も多くの人が納得のいく形での負担の分かち合いが重要となります。心地よく響く「言葉」の表面的な印象にまどわされることなく、きちんと自分で情報を集め、政治や行政に対するモニタリングを強化していくことが大事なのだと思います。
2017年12月1日 掲出
1988年東京大学経済学部卒。日本開発銀行(現日本政策投資銀行)設備投資研究所、東京大学経済学部助手などを経て、2007年より現職。一橋大学国際・公共政策大学院客員准教授を兼務。専門はマクロ経済学、財政運営。
財務省財政制度等審議会、総務省地方財政審議会、内閣官房行政改革推進本部独立行政法人改革有識者懇談会などの委員を歴任。週刊東洋経済書評委員、日本財政学会理事。
最近の論文に「1996年から98年にかけての財政運営が景気・物価動向に与えた影響について」(『財政政策と社会保障』(慶應義塾大学出版会)所収)、「デフレ脱却と財政健全化」(『徹底分析アベノミクス : 成果と課題』(中央経済社)所収)、「出生率の決定要因−都道府県別データによる分析」(『日本経済研究』(日本経済研究センター)第75号、共著)など。
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