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福島原発事故から6年
ドイツのエネルギー政策から何を学ぶか

木村 護郎クリストフ 外国語学部 ドイツ語学科 教授

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いま問い直すべき福島原発事故

3・11の震災とそれに伴う原発事故から6年が経過。被災地の復興を担当する今村大臣の口から、震災が「東北で、あっちの方だったから良かった」という発言が飛び出し、大臣辞任につながりました。これは単に一大臣の資質の問題ではありません。大臣の、「もっと首都圏に近かったりすると、莫大な甚大な被害があったと思う」という発言は、東京電力の原発がなぜ福島に建てられたのかという問題につながります。日本の原発を、なぜ電力が必要な大都市ではなく「田舎」に作ってきたかというと、事故が起こりうるという前提に立っているからに他なりません。本当に安全なら東京に作ってもいいはずです。でも、それは絶対にしない。したがって、福島原発事故は「想定外」ではなくて、福島のあの地域に原発を作っている時点で想定内であったと言わざるを得ません。今回の大臣の発言は、そのような考え方をいみじくも露呈しています。

一方では、次々に再稼働にお墨付きを与える原子力規制委員会、再稼働を受け入れる自治体、住民の再稼働差し止め請求を退ける司法判断など、原発再稼働のなし崩し的な加速を印象付けるニュースも増えています。「あるものは使う」という目先の経済効率重視の政策はわかりやすいのですが、事故の当事国に住む私たち日本人が、あの事故から何を学んだのか、何を学び直すべきなのか、改めて立ち止まって考える時期に来ているのではないでしょうか。その点、この問題に対するドイツ人の考え方・姿勢が、日本の今後の方向性を決める上で、多くの示唆を与えてくれると思っています。

エネルギー問題は、日独の言説・議論の比較研究の中で、移民・難民問題などと並ぶ大きなテーマの一つになっています。福島事故以降に我が国で出たエネルギー問題関連の書籍の中で、明確な脱原発政策を進めるドイツに触れていないものは皆無といっていいほどなのです。ただ、原発推進・反対いずれの立場から書かれたものを見ても、そこには偏った記述が珍しくなく、日本の読者に誤解を与えてしまっていることは否めません。まずその点を整理する必要があるでしょう。

ドイツのエネルギー政策はいかに転換されたか

福島の事故をきっかけに、ドイツは脱原発へと政策転換した。まずこれが、よくある誤解です。さかのぼれば1980年に反原発を掲げる「緑の党」が誕生、86年のチェルノブイリ原発事故を受けて、2大政党の1つ「社会民主党」が脱原発へと方向転換しました。その両党の連立によるシュレーダー政権が98年に成立し、経済界との困難な交渉を経て、2000年には脱原発の政策を打ち出しました。

それは05年から「キリスト教民主同盟」を中心とするメルケル政権に引き継がれます。ただメルケル氏は、経済重視の立場からなるべく原発の稼働期間を延ばしたいと考えていた。しかし福島の事故を受け、原発停止の時期を早めて、22年の年末に決めたのでした。

さてドイツは、脱原発と同時に化石燃料依存からの脱却もめざし、省エネを最優先で進めるとともに、再生可能エネルギーを推進するための電力の固定価格買い取り制度をはじめ、電力の生産・消費両面の革新的な施策を進めています。これにより、14年には国内の発電量に占める再生可能エネルギーの割合が、原子力はもちろん、それまで最大だった褐炭による火力発電をも上回ってはじめて第1位となりました。脱原発を支持する立場の日本の著作物では、こうしたプラス面ばかりを強調してドイツを過度に理想視しているものが少なくありません。

しかし一方では、地域や時間帯により発電量にムラがある太陽光や風力による電力を効率的に利用するための送電・蓄電の技術開発や施設整備が、急増した発電量に追いついておらず、かなりのムダが生じているという現状もあり、将来への投資も含めて電気料金が上昇していることも事実です。原発を擁護する立場からは、こうしたドイツの政策のマイナス面ばかりを取り上げて、失敗と断じるものさえ見受けられますが、むろんこれも偏った見方というべきです。

とりわけ、ドイツがフランスなどから原発由来の電力を輸入していることをもって、結局、他国の原発に依存しているではないかとする主張は、ドイツが電力について輸出超過であり、発電能力からして電力が自給可能であることから、明らかな誤りです。全体像をみないでフランスからの輸入にばかり焦点をあてるような情報は、ほとんどねつ造といっても過言ではありません。

ゴールまでの道はまだ険しく、成否は不明ながら、ドイツは試行錯誤しながら着実に前進している、このことだけは間違いありません。

日本の原発問題に欠けている倫理的な観点

ドイツがこれほど思い切った脱原発政策を決断し、実施している背景には、戦後の新しい世代が、ナチスを支持ないしその支配を許した戦前のドイツ社会への反発や疑問の中で生み出した批判精神と、それに主眼を置く教育があると私は考えています。「ジャーマン・アングスト」(ドイツ人の不安)とやゆされたりもしますが、基本にあるのは、ドイツ人に言わせれば、権威への盲従を戒める「不信の文化」です。

そしてもう一つ見逃せないのは、倫理的な観点です。メルケル首相は福島事故の後、原発の専門家による原子炉安全委員会とは別に、原発政策をより広い観点から検討する倫理委員会を招集しました。倫理委員会の役割は、政策の新しい方向づけをするというよりは、広く社会的に合意形成をするプロセスの一環として議論を行っていくということ、そしてその結果をまとめて示すことによって、脱原発の理由づけをはっきりさせるということであったと考えられます。

この委員会には3名のキリスト教界の代表者が含まれていました。エネルギー政策の方向性を議論する場に宗教家が登場したことについて、日本ではいぶかしく思う声も聞かれましたが、ドイツの教会では「神から与えられた自然環境に責任を持つ」という観点に基づき、原発やエネルギーに関する議論が1970年代から蓄積されていました。教会は脱原発の流れをつくったさまざまな潮流の一部をなしているのです。とりわけ、経済的利益や技術面とは異なる視点や論点を示したことで、ドイツの教会はエネルギー問題の検討に一定の役割を果たしたといえるでしょう。

振り返って日本の原発をめぐる状況を見てみると、特に公的な場では、技術的な安全性、短期的な経済性にかかわる議論ばかりが行われ、子孫にどのような環境・社会システムを残すかといった、責任倫理の観点をふまえた長期的な視点が非常に欠けているように思います。

そこには、原発事故を地震や津波と同様な「天災」ととらえて、人間の責任をあいまいにするという、日本にしばしばみられる感性が働いているのかもしれません。しかし原発のような、人間の判断に基づいて建てたものについて責任をあいまいにしてしまうと、今後の方向性を正面から検討することができません。日本の伝統の中にある自然に対する畏怖の念にはすばらしいものがあると思いますが、地震・津波で事故が起きたから今度はもっと高い堤防を作って安全対策を高めようという姿勢には、「天災」が鳴らしてくれた警鐘に謙虚に耳を傾ける姿勢が全く感じられません。

「3.11」以降、原発の停止に伴い火力発電が増えたことで、化石燃料の輸入が増え、「国富の流出」が問題になりました。その状態からの脱却が、原発再稼働の一つの論拠になっています。しかし、化石燃料の輸入増をくいとめるには、問題の発端となった原発を再稼働するよりも、まずはエネルギーを効率的に使う省エネや節電を考えることの方が先のはずです。また太陽光、風力、地熱、バイオマスなど、燃料の輸入に頼らない多様なエネルギー源を開発することをもっと真剣に考えることも不可欠でしょう。自然の力への謙虚さを取り戻すとともに日本が誇る技術力を活用すれば、エネルギー問題の新しい方向性を日本人は見出せるのではないか――私はそう考えています。

多角的な視点を持つことの重要性

多様性(ダイバーシティ)の活用は、エネルギー分野に限らず、変化の激しく複雑な現代社会に対応していくために不可欠です。私は外国語学部に所属していますが、多様化は、日本の外国語教育の課題でもあります。日本に海外から入ってくる情報は、どうしてもアメリカ、あるいは英語を通して入ってくるものが中心で、そのことが私たちの世界を見る目を偏らせる一因であるようにも思います。多様な世界を多様なままに見るためには、複数のチャンネルが必要です。

国際語としての英語の問題は、ある意味、原発の問題と似ているかもしれません。強力だからといって、つい頼りすぎてしまうのです。日本では、英語さえあれば海外では問題がない、英語さえやっておけば大丈夫とする英語に関する「安全神話」はまだ健在にみえます。日ごろ、メディアなどでは、日本人の英語力の不足が嘆かれていますが、その裏側には、国際的な情報や国際社会とのつきあいにおいて英語に過度に依存している面もあるのです。先ほど、節電にふれましたが、エネルギー問題における「節電」にヒントを得て、私は、使い過ぎを控えて節度をもって英語を使う「節英」を提唱しています。節英の一つの方策が、英語以外の外国語をも学んで、新しい視点を得るために活用することです。私が学生たちと共に、エネルギー転換を目指すドイツの試行錯誤を注視してきたのも、その一環なのです。

2017年5月1日 掲出

木村 護郎クリストフ 外国語学部 ドイツ語学科 教授

1974年愛知県名古屋市生まれ。1997年、東京外国語大学ドイツ語学科卒業。2002年、一橋大学大学院言語社会研究科博士課程修了。博士(学術)。慶應義塾大学講師、上智大学講師などを経て、2012年より現職。専門は言語社会学、ドイツ社会研究。著書に『節英のすすめ −脱英語依存こそ国際化・グローバル化対応のカギ!』(萬書房,2016年)ほか。『今こそ原発の廃止を−日本のカトリック教会の問いかけ』(カトリック中央協議会、2016年)編集委員や、エネルギー転換を進めるNPO法人のアドバイザーなども務める。

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