読売新聞オンライン タイアップ特集
ニュースを紐解く
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いま、世界で、日本で何が起きているのか。
政治、経済、教養、科学など話題のニュースを上智大学の教授が独自の視点で解説します。
国枝 智樹 文学部 新聞学科 助教
ツイッターを使って政策やその成果を自画自賛し、自分に批判的なメディアはフェイク・ニュースと断じて攻撃し、時に他国の元首や要人すら罵倒してはばからない――一歩間違えれば軍事衝突をも招きかねない米・トランプ大統領の型破りな「情報発信」を、世界中が固唾を飲んで見守る状況が続いています。
時に国民の過半数を敵に回してもコアな支持者を固め、スキャンダルが浮上すると新たな外憂を持ち出して関心をそらす。就任後一年半の大統領に対する支持率を見る限りこうした行為は一定の成果を上げているといえます。しかし、世界にとって望ましくない、そして結局はトランプ氏自身にもマイナスとなるはずのこうしたやり方の背景にある、彼の真意が何なのかについて日々、議論が行われています。
これは、政府と市民とのコミュニケーションの管理、いわゆるパブリック・リレーションズ(PR)の問題です。「PR」というと宣伝や広告をイメージしがちですが、専門的にはさまざまな立場の人や組織と良好な関係を構築するために行うコミュニケーション活動やその管理のことを指します。メディア環境が複雑化するなか、PRの手法や戦略も複雑化・高度化していますが、注意しなければいけないのはその進化がどの方向に向かうのか、です。
というのも、単純化した言い方にはなりますが、政府によるPRには国民との相互理解と対話を促すという民主主義的な側面と、政府が都合のいい方向に世論を誘導するという側面があるからです。独裁政権によるPRは、プロパガンダなどと呼ばれることもありますが、後者の方向に高度化します。
アメリカ政府のPRは、基本的に前者の方向で発達してきたというのが、PR業界でも研究者の間でも共通認識でした。ツイッターのようなソーシャル・メディアの活用も、オバマ政権までは市民への情報提供や政治に対する関心を高め、議論を促すといった点で有益なものと考えられていました。時に政府にとって都合の良い情報操作が行われることがあるにしても、PRにおいて対話や相互理解を重視することについて異論はありませんでした。
ところがトランプ大統領は、そのツイッターを対話促進どころか、世論を敵・味方に分断するために使ってしまっている。彼の真意がどこにあるにせよ、アメリカ国民がこうしたPRを理性的に受け止め、正しい判断を下すことを願うしかありません。
でもこの政府によるPRの問題は、私たち日本人にとって決して他人事ではないのです。
まずは、PRに関して、日本がアメリカとは大きく異なる状況にあることを確認しておきましょう。PRにあまり関心を払ってこなかった日本に対し、アメリカはいわばPR大国だからです。以心伝心や和の精神を重んじる島国日本に対し、積極的な対話や議論を重んじる多文化社会アメリカはPRに対する関心が昔から高かったとも言えます。
実際、PRの講義や学位を提供する大学が多数存在し、PRを生業とする人が25万人以上いるアメリカに対し、日本はPRを学べる大学が極めて少なく、PR会社の存在を就職活動で初めて知る、会社の部署異動で広報部に配属されて初めてPRについて学ぶ、という人も多い。
政治の分野では、大統領選挙毎に先進的な選挙マーケティングが注目されるアメリカに対し、日本では2000年代なかばに政党がPR会社を雇って選挙に臨んだことが話題になって以降、選挙におけるコミュニケーション戦略の高度化はあまり注目されていません。PRの経験が豊富な人が任命される大統領報道官が政府の公式見解を発表するアメリカに対し、日本ではPRの経験が問われない閣僚の内閣官房長官が公式見解を発表することも象徴的です。
もちろん、これらの違いは、日米の選挙や政治、行政の制度が異なることに由来する側面もあります。しかし、専門的な教育を受け実務経験を積んだ人がPRを担うことの多いアメリカに対し、PRの専門的教育を受けておらず実務経験も少ない人がPRを担う日本、という基本的な構図は民間企業についても言えます。
そして今、日本の政府によるPRは情報公開や公文書管理、説明責任などの問題を指摘されています。有名アーティストを動員した東京オリンピック関連の演出や自治体のPR動画などは高く評価されたり、炎上したりすることで時々話題になりますが、まちづくりや政策形成のための民主的な対話を促進するPRは注目されにくい実態があります。例えば、2012年に実施された中長期のエネルギー政策をめぐる「討論型世論調査」は国民的議論を促す一つの画期的な試みでした。ところがその後、同じような規模で国民的議論を促した例はありません。
日米の政府はともにPR上の問題を抱えているものの、それぞれの市民が置かれた状況は異なります。PRを専門的に学び仕事にする機会が多く、PRに関する多角的な議論や取り組みが存在するアメリカの市民に対し、そういった機会が少なく、議論や取り組みも限定的な日本の市民はPRに対して比較的、無防備な状態にいると見ることもできます。
問われるのは、日本社会として対話を重視したPRに加え、健全なジャーナリズムとメディア・リテラシーの育成を目指せるかということだと思います。PRの担い手には情報の隠蔽や操作、ステルス・マーケティングといった問題行為を否定し、双方向的で対話を重視したPRを目指していくことが求められます。しかし、すべての組織がそのような職業倫理の下で活動することは期待できません。
社会がPRの意義や課題、実態について理解を深めるためには、報道機関が政府や企業などによる問題のPR活動を告発していくことや、対話を促すPRの存在、意義を伝えていくことが有効だと考えられます。一方で、報道機関自身も広告掲載やニュース性の高さといったことを理由に政府や企業のPRを広く拡散する役割を担うことがあります。
一般市民には、政府や企業、そして報道機関がそれぞれ社会的に望ましいPRやジャーナリズムを展開しているのか批判的に捉える、時代に対応したメディア・リテラシーが求められます。しかし現在、メディア・リテラシーを教育現場に取り入れる試みは限定的にしか行われていません。記事や番組、広告の批判的読み解きといった内容よりも、ネットやSNSの利用に関する注意喚起を優先するのが実情です。
上智大学・新聞学科は、1932年に設置された日本でも最も古いジャーナリズム、マス・コミュニケーション関係の学科ですが、同時に、1951年に日本で初めてPRの講義を設けた学科でもあります。学生にはジャーナリズムとメディア・リテラシー、PRそれぞれの理論や実践について学び、情報の送り手と受け手や取材する側とされる側、といったさまざまな立場や考え方を理解する機会を提供しています。
私たちは、これからわが国も経験する、あらゆるメディアを駆使したPRの高度化が、民主主義を成熟させる方向にも、独裁的な世論操作を強化する方向にも進みうることを、トランプ政権や日本国内の先例を見て知っています。社会がより良い方向に進むために、各々がそれぞれの立場からどう情報を収集、分析、発信し、対話をすべきなのか、考えていくことが求められています。
2018年9月3日 掲出
ベルギー王国ブリュッセル生まれ。上智大学法学部国際関係法学科卒業後、同大学大学院文学研究科新聞学専攻博士前期課程および後期課程修了。博士(新聞学)。大正大学表現学部表現文化学科助教を経て2017年度より現職。専門は広報論、広報史。主な著書、論文にPublic Relations in Japan: Evolution of Communication Management in a Culture of Lifetime Employment (共編著、Routledge、近刊)、「広報の歴史観をめぐる変化と展望 ―海外主要学術誌における歴史研究の動向―」(『表現学』、2015年)、「東京の広報前史 : 戦前、戦中における自治体広報の変遷」(『広報研究』、2013年)など。日本広報学会理事。
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