昨年の6月、わたしはひとり北陸から九州に向かった。ひとり旅は初めてじゃないが、車でこんな長距離を移動したのは初めてだった。目的地は屋久島だった。
昨年わたしはうつ病になった。うつになる前、わたしは体を手術した。痛みはなくなったが、神経系の後遺症が残った。医者には考えすぎるのはよくないといわれたけど、自分の体のことは自分がよくわかっているものである。これまでの当たり前が当たり前でなくなったことの絶望。この絶望は永遠なのだろうかとわたしはこの事実を受け入れられなかった。
体の不調から「もう無理かな」と仕事も辞め、実家に数年ぶりに戻った。これまでの自分では考えられないくらい無気力の毎日。仕事を探そうにも、ご飯をたべようと起き上がろうにも気力が湧かない。このとき初めてうつの心がわかった。
そして数か月たちふと、いつもなら起き上がらない体がおきた。もうわたしの心は限界だった。両親にも言えない悩みは重くのしかかっていた。どうせこのままなら死ぬまでに行きたいところへいこう。いきたいところに行ってやる。もう無茶苦茶な思いで旅立った。北陸育ちからか、暑くてきれいな場所で温かい海が見たかった。
無事屋久島に着き町を巡るとウミガメ観察会があったので参加した。わたしが参加した夜はたまたま波が高くしけていた。ウミガメに出会うには最悪のコンディションだった。心は「ここまで来たのにこんちくしょう。」の一言であった。
ウミガメの上陸を待っている間、私の隣に座っていた歳半ばのある夫婦がおにぎりとタッパーに詰めたおでんをくれた。「おなかすいたでしょ、どうぞ。」とひとり参加していたわたしにさり気なく渡してくれた。そのおにぎりは塩がよくきき、中にはとろっとした卵黄の醤油漬けが入っていた。まろやかな黄身と甘めの醤油が絶妙で、ニンニク風味がとても美味しかった。この夫婦は長野から来たらしく、おでんはネギダレにつけて食べてと言われた。このつけダレもショウガがきいていて、みじん切りネギの食感と甘辛さが合わさり無言でぺろっと平らげてしまった。ちょっと固めの卵と大根が母の作るおでんに似ていた。金もなく節約車中泊を送っていたわたしの胃袋は喜んだ。海のしけがどんどん強まり皆の絶望が高まる一方で、わたしはウミガメをみる前にそのおいしさとやさしさに体と心が大分満たされていた。
そして観察会はウミガメをみることなく終わった。今年に入って初めての珍事にスタッフ達は申し訳なさそうだった。
解散前、20人ほどの参加者で浜辺にゴロンと仰向けになって星をみた。その時隣の人の会話が聞こえた。「もしこれから上がってきたら、その子は頑張り屋さん」。もし今晩、上陸したならそのウミガメは頑張り屋さん。なぜか「あなたは頑張り屋さん。」と頭の中で勝手に変換してはそう聴こえた。わたしはこの夜の味と言葉を忘れたくないと思い、しばらくはぼちぼち生きてくと決めた。いつか上陸できる日を願って。