甘辛く味付けされた肉の、こっくりとした脂が白いご飯に染み込んで、おかずが無くてもお弁当が待ち遠しかった。
私の記憶に残る味は、父が作った牛肉のしぐれ煮だ。
それは一人暮らしをしていた二度目の冬に、実家から送られてきた荷物の中に入っていた。一見すると、茶色い肉の間に白い脂が固っていて、ちょっと気持ち悪い。
母に電話をすると、父が作ったという。
父は昔から、たまにうどんをこねたり、パンを焼いたり、料理というより実験感覚で作る人だった。ただそれは、すいとんのように短かくボソボソのうどんだったり、石鹸のように堅いパンだったりと、家族には不評だったので、今回送ってくれたしぐれ煮も、しばらくは蓋も開けずに冷蔵庫に入れっぱなしで忘れていた。
ある日寝坊した私はお弁当に困り、父が送ってくれたしぐれ煮をご飯の真ん中にガバッと入れ、ギュッと握っただけで会社に持って行った。昼休み、「今日はお弁当の楽しみ、ないなぁ」と、瓶の中で固まった白い脂を思い出しながら食べると…「おいしい!」
熱いご飯で溶けた脂が程良くご飯に絡まって、たっぷり入れた刻み生姜が肉の臭みを消している。甘辛い味付けも、ご飯がすすむ味だ。決して裕福でない我が家のこと、高級牛肉であるはずはないのに、お肉もふっくら柔らかい。父の実験は、大成功だ。
その時から私のお弁当は、父特製・牛肉のしぐれ煮おにぎりになった。アルミホイルに包んで、昼休み10分前になるとストーブの上に乗せておくという技も編み出した。
父に「すごくおいしいよ。毎日持って行ってるよ。」と電話した。普段は不愛想な娘が喜ぶのを聞いて嬉しかったのか、その後、何度か作って送ってくれたが、父が作るのに飽きたのか、私が食べるのに飽きたのか、父娘の牛肉しぐれ煮ブームは一年程で自然消滅した。
後に私は実家に戻ったが、父がしぐれ煮を作ってくれる事はなかったし、私がリクエストする事もなかった。
父の晩年、私は一度、牛肉のしぐれ煮を作ってみた。あの、毎日食べた甘辛い味を思い出しながら作ったが、父が作ってくれたような優しい甘みも味わいもなく、肉も堅くておいしくなかった。「お父さんみたいに上手に作れんかったわ。」と言っても、痴呆の出た父は送ってくれたこと事体忘れていた。それでも「よぉ炊けてるわ」と、おいしそうに食べてくれた。
あの頃は、あの牛肉のしぐれ煮は父が作って送ってくれ、いつでも食べられるものと思っていた。もう十年以上も前に亡くなってしまった父に、作り方を聞いておけば良かったと悔やんでいる。
望んでも、もう食べる事はできないが、いつか父を思い出せる味で作れたらな、と思っている。