保育所の帰りに、息子の友達数人が狭い我家にやってきた。若いお母さんも同伴だ。
「今日も、お好み焼きにするね」
「うわぁ、嬉しい!」
お母さんたちの拍手が湧く。
「だって、本当に美味しいのよ」
お世辞でも嬉しくて、私は必死で頑張る。
離婚して間もない頃のことである。私が三十三歳で息子が三歳だった。
「ボク、ター君(息子の呼び名)とかえりたい」「ボクも」「私もいきたい」
私が仕事を終えて、保育所へ迎えに行くと、沢山の友達が可愛い声で集まってくる。息子はニコニコ顔だ。その顔が嬉しくて、私は沢山の友達を連れて帰る。まるで延長保育の先生みたいに。お母さん方も喜んでくれる。
お好み焼きは簡単だし、材料費も安くつく。まして「美味しい」と言って喜んでくれるのだから、私は何より嬉しいのだ。
「お好み焼きに人参が入っているなんて、珍しいわよ」
私は、自分流なので、少し恥ずかしかった。冷蔵庫の残り物の野菜を入れただけである。小麦粉にキャベツと人参を刻んで入れる。豚肉と海老、烏賊も入れた。卵を割り入れ、長いもを摩り下ろして牛乳で溶いた。夢中だった。子供たちの弾ける笑い声を聞きながら、私はとても幸せな気持ちになっている。ありったけの野菜を刻み、フライパンでどんどん焼いていく。お母さんたちの笑い声も楽しい。
「乾杯をしよう」
お母さんたちにはビールをいれ、子供たちにはジュースをいれた。
「カンパーイ!」
グラスの触れあう音が文化住宅の狭い部屋に響く。保育所での出来事や、子供たちの近況報告で親たちの話題は尽きない。両親揃っていても、方親でも、子供の日々の心配や悩みは同じだと分かる。私は、さらに追加のお好みを焼く。子供たちは、口元にマヨネーズやソースをつけながら、ピースのポーズでふざけている。ぽろぽろこぼす子もいる。でも、楽しい一コマだ。
私の焼くお好み焼きの噂は、友人の間に広がり、沢山の人が出入りするようになった。息子を寂しがらせたくない一心であったが、私にもお母さんたちの友人が沢山出来た。
息子が小学校に入っても人気は衰えず、リクエストは、やはりお好み焼きだった。
ある日、息子は私に隠れて友達に協力してもらい、お年玉でためたお小遣いから買ってきてくれたのが、ホットプレートだった。その日は、私の誕生日であった。私は胸がいっぱいになり、思わず涙ぐんでしまった。
その後、私は何度も何度も、お好み焼をした。息子が成人してもお好み焼をした。
息子は独立して、いま台所の方隅でホットプレートが寂しそうにしているが、私は廃棄することが出来ない。私の珠玉の宝物だから。