「カバン持ってるから。早よ買っておいで」
高校から駅までの帰り道。スーパー入り口で、友達のせっちゃんは、私の背中を押した。
「買い食い禁止」の校則が頭をよぎる。忍者のように豆腐類売り場へ直行。丸いがんもどきを九個カゴへ放り込みレジへ。走って出る。
「誰も見とらんよ。今晩もがんも作れるね」
学生カバンを両手に下げた彼女が笑った。
高校一年の春、母が癌で急逝。父と中学三年生の妹と交代での炊事当番生活が始まった。
岡山と兵庫の県境に住む私の村には店がなく、学校帰りに材料調達しなくてはならない。
帰宅すると、くつろぐ暇なく晩御飯作りだ。
「わぁええ匂い。お姉ちゃんのがんも最高」
鍋の蓋を持ち上げ、帰宅した学生服のまま、妹が鼻をクンクンさせる。二人で覗くと、クツクツと丸いがんもどきが小躍りしている。
醤油と出汁、味醂、酒、砂糖の香りが立ち昇り、てきぱき働く母の割烹前掛け姿が蘇る。
「おかあちゃんの味にはなかなか届かんよ」
私が呟くと妹は、「これが大好きなんよ」、と湯気の向こうで満面の笑顔を返してくれた。
「お、がんも。明日は味染みで更に旨いぞ」
会社から帰った父は、必ず褒めてくれる。
銀杏や人参、蓮根や牛蒡、ひじきなどが入った丸いがんもどきを頬張ると、ジュワッと甘辛い煮汁が溢󠄀れる。ふわふわの食感と異なる具材の歯ごたえは、食卓の妹も父も温かな面持ちにした。母不在の辛さや部活もできず家事に追われる虚しさを忘れさせてもくれた。
そんな優しい「がんもどき」のはずだった。
「あ、買い食いしとる。先生に伝えんと!」
ある日、スーパー入り口で待つせっちゃんに駆け寄った時だった。帰宅する他の女子グループが私の白い買い物袋を指差して叫んだ。
「これは、今晩のおかずにするがんもで…」
消え入りそうな声の私に、せっちゃんが、
「あんたら、朝御飯や晩御飯、作ったことがあるんかな! 弁当だって、誰かに作ってもらようるくせに。御飯作る私らの苦労も知らず! 言いたいんなら告げ口すればええ! 」と、私の前に仁王立ちし声を張り上げたのだ。
月刊少女漫画を愛読しオフコースが大好き、普段、物静かなせっちゃんの初めて見る勇姿。
正面の女子たちは、フン!と散って行った。
「母さんの夜勤の時は、私が作ってるんよ」
看護師の母を持つのも自炊も知らなかった。
「じゃから応援したいんよ。今晩も頑張れ」
せっちゃんはカバンを渡しながら微笑んだ。
あれから、数え切れないほど、がんもどきを煮含めてきた。父と妹のために。家を出て、一人暮らしの西日の強い老朽アパートで。
そのたび、鍋の蓋を上げると、鍋底で煮汁に浸りながら並んだ丸い顔が、ニコニコと笑いかけてくれる。応援するよ、と力をくれる。
せっちゃんは、私の披露宴で和服で琴を演奏してくれた。たおやかな姿からはあの日の迫力は想像できなかった。しかし、彼女の強さと優しさで、今もがんもを愛し続けている。