父が大学病院のベッドの上で体を起こし、小さいけれど断固とした声で
「大観楼のウナギが食べたい。」
と言うと、
「ああまた、はじまったよぉ。」
母が笑顔で節を付け歌うようにぼやく。
父は入院がひと月を過ぎた頃から、病院の食事に飽きわがままを言うようになったのだ。そのたびに母は病室から出かけて行き、せっせと父ご所望の『美味しい物』を買って来る。肝心の父は「大観楼のうなぎ」も「三太郎の天婦羅」も「高級ばらちらし」もふた口か三口も食べたら満足して、残りは全て食べ盛りだった私のお腹に入る。どれも本当に美味しくて、私の大好物リストが次々と塗り替えられた。
寂しがりの父のために、リクエストの買い物以外、母はほとんど病院に居たから、入院していた約200日間、大学病院の個室が我が家のリビングになっていた。
急速に病気が進んで、父の体力と食欲が極端に落ち始めた晩秋のある日、父は痛み止めの点滴でぼんやりしながら
「東京會館のマロンシャンテリーが食べたい。本当の栗の味がするんだよ。」
と言った。
私の知っているかつての父は仕事とお酒が大好きで毎日遅く帰ってくるビール腹の威張ったおじさんだったのに、癌を患って薬の副作用に苦しみ、すっかり痩せた父は、食べられないくせにグルメな優しいお父さんだった。「ん?東京会館?それって有楽町じゃない。」さすがに母もその日のリクエストには驚いていた。新幹線に乗ったら2時間で着くけれど、たかが栗のケーキを買うためにそこまでさせる?
母は渋々翌日、日帰りでケーキを買いに東京へ行き、せっかくだからと友人に会ってきた。その間、私が病室で父の背中をさすり、お茶を飲ませ、尿を取って計り、寝息を聞いた。すっかり小さくなった父越しの窓から、隣の棟の屋上の洗濯物と秋の高い空が見えた。丁度いい温度と湿度で病院はすぐ眠くなる。私はそのままソファの端に頭を乗せうとうとする。父の死が迫っているとわかっているからこそ、痛みのない穏やかな時間は、それだけで幸せだった。
「ママは東京楽しめたかな。」
いつの間にか目を覚ました父が呟く。ボーっとしながらそれを聞いて、父の母への気遣いに初めて気づいた。息抜きに友達に会わせるために、わざわざケーキを買いに東京まで行ってもらったのだ。
母が買ってきた「マロンシャンテリー」は本当に最高だった。生クリームとマロンクリームだけのシンプルで贅沢な都会の味で、16歳の私は心底感動して、病室で小躍りし点滴を見に来た看護婦さんに笑われた。美味しい物ぶっちぎり1位だと思った。結局、父はひとくちも口にせず、私が2個もぺろりと食べた。そして今も16歳のあの時に食べたマロンシャンテリーは、私の中の第1位にキラキラと輝いている。
父はわがままを言って困らせていたのではなく、母の外出の口実を作り、私に自分の記憶の中の美味しい物を食べさせたかったのではないか。子を産み育てるうちにそんな風に思うようになった。
あの秋の私と同じ、16歳になった娘と、新幹線に乗ってマロンシャンテリーを食べに行こう。きっと美味しくてびっくりする。