「お帰りなさい。ご飯できてるよ」
玄関に入るなり、小学一年の息子が台所から飛び出してきた。保育園で使っていた黄色いスヌーピーのエプロンをつけ、お皿を持っている。皿には小さい、不揃いなおにぎりが五つ、黒ゴマの顔までついている。
「どうぞ、お母さんに作ったんやからね」
大型連休初日なのに休日出勤、息子には人生初のお留守番をさせてしまった。おまけに「昼までに帰るから」の約束を破り、帰宅は2時過ぎ。かなりピリピリ、イライラしていたのに拍子抜けして、一緒に体の力も抜けた。
「可愛いね、この顔。ゴマどこにあったん?」
「ふりかけの中にあったよ、楽しいでしょ?」
まるでおにぎりが笑っているようだ。
家を買ったばかりで、仕事も何もかも一杯一杯。いつも全然余裕がなかったのに、いきなり心が軽くなった。
「おにぎり作れたなんて、知らんかったわ」
「どうぞ、グミ入りやからおいしいよ」
グミ? あの、クチュクチュ噛むグミ? おにぎりを手に固まる私にお構いなく、息子は満面の笑顔でこう続けたのだ。
「ご飯もグミもどっちもおいしいやん。おいしい二つで、もっとおいしくなるよ」
アハハ、おいしいの二乗かぁ。世界唯一のオレンジ味おにぎりやね。じゃぁ頂きます。
「ごめんね、おかずは作れへんかった」
「ううん、そんなん要らんよ。お母さん、おにぎりだけでメッチャうれしいもん」
おかず無しでも、サワーテイストのデザート付き。これは完全に初体験の味だわ。こんな楽しい昼食をありがとう!
ところが、話はまだまだ終わらない。
おかず発見! ただし失敗作。無残に砕け散り、ゴミ袋にコッソリ放り込まれた『レンジでチンした卵』を私は見つけたのだ。
レンジの庫内に張り付いていた謎の粒々の正体が、これでようやく解明。息子はおかずを作る気満々で、生卵をレンチンしたらしい。
彼のドタバタの様子が思い浮かぶ。猛烈な爆発音に仰天し、扉を開けて血の気が引き、破裂した卵を半泣きで片付け、レンジの中を必死で掃除したはずだ。ゴミ袋に入れただけでバレないつもりじゃぁ、お母さん笑うわ。
台所で一人クスクス笑い、同時に涙がボロボロこぼれてきた。この前まで赤ちゃんだったのに、ここまでやるとは……
「卵は電子レンジ禁止」って、もっと先に言っといたらよかった。お母さんがうっかりしてたよ、ごめんね!
『おいしい二乗のおにぎり』はそれ以来登場しなかった。だが、このすぐ後に起きた阪神大震災で、長く苦しい時を過ごすことになった私にとって、この日の食事の思い出は大きな心の支えになった。息子の為に気力を奮い立たせ、踏ん張ることができたからだ。
今もスーパーでオレンジのグミを見かけると、とうに独立した息子の、あの黄色いスヌーピーエプロン姿を懐かしく思い出す。