とうとう、彼女がアパートに来る。旅先で知り合い、その後、東京に戻ってからも何度か外では会っていた。わがボロアパートにて、料理の腕をふるってくれるという。夜になり、なにも買えないまま直行する。コンビニなど、存在も知らない時代だ。
ラーメン用のタマネギが少々。それしかない。ほかには、素麺が何束か残っていた。彼女はそれを見つけると、なんとか料理可能だという。素麺なら、自分にだって簡単にできる。めんつゆがあれば、料理のうちにも入らない。手早くできるなら、まあいいか。
トゥーナーはあるかと聞いてくる。「なに、トゥーナー?」「ツナ缶よ。」彼女は沖縄出身。トゥーナーは知らないが、サバ缶ならあった。彼女は、それでもいいと言う。サバにしろ、ツナにしろ、素麺とは確実にミスマッチと思われ、少々不安になってくる。
料理がうまいとは、彼女の自己申告。かなり怪しくなってきた。素麺がゆであがる。つゆが用意されていない。今度はフライパンを取り出した。おいおい、何が始まるんだ?
彼女は、ゆであがった素麺を炒め始めたのだ。タマネギだけでなく、サバ缶も一緒だ。なんてことを。完全に料理音痴だ。
小さなテーブルに、皿が二つ並べられた。覚悟を決めて、はい、いただきます。おっ。なんとなんと。美味。うん、これ、ほんとにうまいよ。家庭料理って感じで、いいねえ。
料理名を「ソーミンチャンプルー」と教えられた。沖縄では、きわめて一般的な家庭料理らしい。ソーミンは素麺、チャンプルーは混ぜて炒める料理のことだと説明された。
食事のうまさと料理の文化に感心してしまい、ヨコシマな思いを忘れてしまっている。日常レベルでの沖縄文化に敬意を払い、どんどん沖縄に惹かれていく。
あと一年で、彼女は沖縄に戻ると言いだした。実家は農家で、それを引き継ぐという。この先も付き合うなら、沖縄まで一緒に来てほしいと要求してきた。私は、少し酔っていたようだ。「うん、いいよ」と、簡単に請け合った。住むとも言った。サトウキビの栽培って、魅力的な響きだ。
一年後、まだ付き合っていた。そして、沖縄に住み、定着してしまった。サトウキビの作業は予想と違い、過酷と言っても大袈裟ではないほど厳しかった。軟弱な都会暮らしとは正反対の田舎の生活が始まった。
しかし、「慣れ」は強い。しばらくすれば、過酷ではなくなる。いつの間にか「普通」になってきた。畑作業が楽しみにまでなるのに、そのあと長くはかからなかった。継続は力なりと知る。田舎はいい。
あの彼女が、いまや四十年以上一緒に暮らす古女房になっている。素麺から、まさかまさかの展開だった。ソーミンチャンプルーは、いまも彼女がよく作る。トゥーナー入りだ。あのとき素麺が残っていて、絶妙の味だったからこそ、いまの私たちがあるのだと、しみじみ思うのだ。