「みんな、お昼におにぎり食べるかあ?」
おかんが台所から僕と友人たちに聞く。その中には三つ年下の僕の弟もいる。
「食べる!」
みんなが大声で答えると、おかんは「よっしゃ。ちょっと待ってくれよ」と言って炊飯器のふたを開け、しゃもじで熱々のご飯をボールに移し、おにぎりを作りにかかった。
みんなは『人生ゲーム』や『野球盤』なんかのボードゲームを再開する。僕もやっぱり遊びに戻るのだけれど、そうしながらもときどき、おにぎりを握るおかんを見る。
おかんは、水を張ったもう一つのボールに手を入れて濡らすと塩をつけ、ふわりとご飯を掴んでは、両の掌でくるくると回した。するとご飯は「みやっ、みやっ」という不思議な音を発しながら形が整っていき、数秒後にはきれいな俵型になった。
おかんが握ってくれるおにぎりは、決まって俵型だった。味つけは塩だけ。その質素さはおそらく、いや、間違いなくうちにお金がなかったからだ。
おかんは、僕が小学二年生のときに親父と離婚した。離婚の理由は、親父に別の女性ができたからという、ありふれたものだった。
以来、おかんは新聞配達をして僕と弟を育ててくれた。運転免許を持っていないおかんは自転車で新聞配達をした。その大変さが相当なものだったことは想像に難くない。だが、おかんの仕事も、おかんと僕たちの生活も確かに大変ではあったが、悲壮感はあまりなかった。それはおかんの性格が、基本的にファンキーだったからだ。例えば、おかんは授業参観のときなど、前の扉から入ってきては僕の友人たちに手を挙げて「おう」と声をかけながら教室の後ろに向かったりした。そんなおかんだったからだろう。休みの日には、僕の友人がボードゲーム持参で何人もうちに来た。
「できたぞ。昼飯にしよか」
おかんが声をかけると、みんなは(もちろん僕も弟も)ボードゲームをまた中断して、台所にあるテーブルに移動し、俵型に積み上げられた真っ白い俵おにぎりに手を伸ばした。
「おばちゃん、おいしいわ!」「めっちゃうまいな、これ」
口を極めて褒めてくれるみんなに、おかんは人差し指と親指で輪を作り、残り3本の指を立てたOKサインで応えた。ただ、おかんのOKサインはいつも上下が逆さまだった。それはつまり「銭や。銭」を意味するマークなのだが、おかんの性格を考えるときっと冗談だったのだろう。子供だった僕らにはちょっとわかりにくかったけれど。
とにかく、そうやっておかんはいつも笑っていてくれた。でも、僕は知っている。親父が離婚を言い渡して家を出ていった夜、おかんが台所でひとり泣いていたことを。
僕と弟をまさに身を粉にして働き育ててくれたおかんも、もう七十六歳だ。三年前から体調を崩して入院している。コロナ禍で面会もできない。おかん、早く退院してまた真っ白い俵おにぎりを握ってくれ。そしてOKサインを作って見せてくれ。上下逆さまでも構わないから。