老人ホームの厨房は朝6時から始まる。
ハルさんは場所を替えてもずっと調理場を選んで働いてきた。
「喋らなくて済むから」と言う。
ハルさんは中学生の時に残留孤児だった母親と日本に来た。それから約四〇年が経つ。
働き者のハルさんは昼頃仕事を終えると夕方から自宅の軒先で手作りの総菜を売る。
安くて美味しいと近所の主婦達に好評らしい。
ハルさんは新人の私を歓迎してくれて自宅に誘ってくれた。3階建ての自宅は直ぐに見つかった。ハルさん一家の努力の賜物だ。
台所で炒飯を作ってくれるハルさん。
年季のはいった中華鍋を熱し、油を入れると香ばしい匂いが部屋中に広まった。
「いい匂い!」
と鼻をクンクンする。
ハルさんは手際よく材料を炒めながら教えてくれる。
「ピーナッツ油よ」
「えっ?ピーナッツ油?!」
私は初めてピーナッツ油の存在を知る。中国ではピーナッツ油が一般的だと言う。
出来立ての炒飯を蓮華で口にする。香ばしくて甘い味がして食が進んだ。
ハルさんはそんな私に気を留めず、ちょっと真面目な顔をして聞いてきた。
「私の日本語変でしょ?みんな陰で悪口言っている……」
突然の問いかけで喉を詰まらせた。コップの水を一気に飲む。ガス台の上の鍋から湯気があがっている。
「気にすることないよ。日本はどこだって方言があるのだから同じだよ」
ハルさんは少し寂しそうな顔をしながら席を立ち、煮えたった鍋を下ろすと
「ザーー」
と、流し台の笊に湯を空ける。赤茶色のピーナッツがたっぷり茹で上がった。
サツマイモに似た匂いがする。
ピーナッツジャムは食べるが茹でたピーナッツは初めてだ。
「食べてーー」とハルさんに薦められホカホカのピーナッツを口にする。
「旨!! サツマイモに似ている!」
「子供の頃おやつとしてよく食べたよ。大人は酒のつまみ」
そう言いながらハルさんはスマホを取り出して画面を見せてくれる。
「私の幼馴染。今でも電話するよ」
中年のふっくらした体形の男女4人がピースサインをして笑っている。
ハルさんはこの人達と一緒に保育園に通い、遊び、おやつを食べて大きくなったのだろう。
ハルさんの想いは中国にあるのかもしれない。私はちょっとばかり胸が痛くなった。
「本場物はやっぱり違うね!ホクホクしているよ!」
と感心するとハルさんが吹きだした。
「これは千葉県の初物!!美味しいよ」
「えっ?そうなの!? ハルさん、日本は好き?」
「当たり前だよ。日本は美味しいよ!!」
「ハルさん、その言い方ちょっと変だわ。でも嬉しい!!」
ハルさんは今を生きている。美味しい思い出と友達を心に留めながら……。
私は次から次へとピーナッツを口に運んだ。
甘味が舌に残る。
私は言った。
「日本は美味しいよね」
ハルさんが笑った。
私も笑った。