「植木~、弁当、来たよ~。」
友達の声が教室に響く。廊下に父が立っている、弁当袋を持って。
くすくす笑う者、神妙に会釈する者、そんな友達の中をくぐり抜けて弁当を受け取りに行くと、スーツ姿の父が「忘れるな。」と低い声で言い、踵を返して職員室に戻る。その背中にあっかんべえ。みんな、どっと笑う。
「そもそも、弁当忘れる植木が悪いんだよ。」
「そうだよ。父ちゃん、優しいじゃん。」
高校三年間を父と通った。父は教頭だった。市内に普通科高校は一つしかなく、選択肢はなかった。入学式の時、粛々と典礼を読む父の姿に、窮屈な高校生活を覚悟した。
廊下で会う、行事で注意される、担任が週末に飲みに来る(そして必ず“ビールを持って来い”と呼ばれる)、成績がばれる。彼氏など出来るわけがない。早く卒業したかった。
二年生の春、母が一泊で法事に出た。やった!初めて購買のパンが買える。友達に、
「今日、購買、つきあってな。」
「え?弁当は?」「母さん出かけてるんだ。」
そう話した四時限後、廊下の向こうから父が歩いて来た、弁当袋を持って。
「植木、今日も忘れたの?何やってんの。」
「いや、違う違う。そんなわけない。」
いつもよりちょっと笑顔の父が、「ん。」と差し出す弁当袋をひったくり、席に着いた。
海苔と葱入りの卵焼き、甘辛く煮た牛肉とちくわ、ほうれん草のひたし、煮豆、そして
「うわっ、たこさんウインナー、かわい!」
「え~、これ、教頭先生作?」
彩りの良いおかずの真ん中に、たこ型に切ったウインナー。これを父が作ったのか。
冷やかす友達の中で食べるには、あまりに照れくさい。こうなったらヤケだ。
「職員室で食べてくる。」
廊下をずんずん歩いて、ガラリ。
「失礼します。教頭先生、用事があります。」
奥の方から、機嫌の良い父の声がした。
「はい、なんですか、植木さん。」
先生達が笑う。こんなこと、もう慣れっこ。
「お弁当、一緒に食べましょう、教頭先生。」
父はぎょっとした。構わず、教頭の席まで行き、弁当袋を開いた。養護の先生がお茶を入れてくれた。担任が弁当を覗いて言った。
「かわいい弁当だなあ。お、たこさんは娘だけか。母の愛ですなあ。」
言われて気が付いた。卵焼きも牛肉もあるけれど、父の弁当にウインナーはなく、代わりに、奈良漬けが詰まっていた。
「購買で、パン買うって、言ったじゃん。」
「早く食べろ。仕事にならん。」
文書だらけの教頭の席で、あとは何もしゃべらず食べた。そそくさと、でも、たこさんだけは、よく噛んで食べた。
おいしかったんだよ、弁当もたこさんも。言えないまま、もう四十年になるけど。
遺影の父は、やっぱり、笑っている。