叩いたら割れてしまいそうな程に張り詰めた緊張感。観客と選手の息が止まる。その瞬間、号砲が鳴った。割れんばかりの歓声の下、私は勢いよく飛び出し鋭い踏み切りで一台目のハードルを飛び越える!はずだった。しまった、出遅れた!なんて気付いた時にはもう遅い。大舞台に緊張してガチガチになった私は、高校2年の北信越大会を目を塞ぎたくなるような最下位で終えた。
私は高校進学と同時に地元の兵庫県を離れ、福井県の陸上強豪校でハードル走や走り幅跳び、800メートル走など計7種目の総合得点を競う7種競技に取り組んでいた。その日は、この大会で入賞すれば夢の全国大会出場というまさに大舞台だった。兵庫県に住む母は手作りした私の昼食を持って、朝4時に家を出発し車をとばして応援に駆けつけてくれた。しかし結果は1種目目のハードル走から惨敗。歯車の狂いは止まらず、2種目目の走り高跳びは自己ベストを大幅に下回る記録で出場者25人中下から3番目。これに追い討ちをかけたのが苦手な砲丸投げだった。3種目を終えた私の総合得点は見事なまでにぶっちぎりの最下位。強豪校のユニフォームを着てひた走る最下位ほど惨めで恥ずかしいものはない。残り4種目を残すも逆転の希望がない絶望的な状況の中、すがるような気持ちで観客席にいる母に会いに行った。
久しぶりに会うや否や「もう嫌や、この後の種目は棄権する!」と泣きじゃくる私に、「まあまあそう言わんと、これ食べ。」と、母は私の大好物の手作り塩むすびを差し出してくれた。情けなさと自身の不甲斐なさを感じるがやはり空腹には勝てない。眩しいほどに活躍するチームメイトの姿を眺めながら、母の隣で鼻をすすり顔をぐちゃぐちゃにして食べた塩むすびは、涙を含んで強烈にしょっぱく、塩気の強すぎるお粥状態になっていた。
泣きたいのは朝4時に車を走らせ娘の惨敗姿を見せられた自分も同じであるはずなのに、母は昼食を食べ終えまだまだ涙を流す私を「残り4種目も出来るやんか。一つでもベスト出せれば万々歳やん!」と励まし、笑顔で送り出してくれた。今考えると、母は同校の保護者の方々が集まる応援席から1人離れた場所で私を見守ってくれていた。活躍する選手達と最下位をひた走る娘。肩身の狭さを感じながら、母も一緒に戦ってくれていたのだろう。
既に陸上をやめ実家で暮らす大学3年の春、「おいしい記憶」としてなぜか真っ先に思い出すのは、高校3年時に出場できた全国大会のホテルの豪華な食事ではなく、涙で塩気の強すぎるお粥にしてしまったあの夏の日の塩むすびだ。のちに父から、母はあの塩むすびを夜中の3時から握ってくれていたと聞いた。私の苦い思い出と、しょっぱい涙と、それを包み込んでくれる母の愛情が詰まったあの塩むすびは、今も思い出すだけで鮮明に情景を呼び起こしてくれる私の大切な「おいしい記憶」である。