「焼肉のタレ、かしてぇ」
「肉じゃが作り過ぎたから、持ってきた」
私が幼い頃に住んでいた、大阪の郊外にある団地は、それ自体が大きな「家族」のようだった。母が女手一つで私と姉を育てていた我が家。誰もが、裕福ではなく、助け合って生きる風景が、日常に溢れていた。
十五歳の春。私の受験生活も、団地のおっちゃん、おばちゃん達が、陰に陽に応援してくれた。期待に応えようと、私も猛勉強。
そして迎えた発表当日。私は、第一志望の高校に落ちた。その知らせは、今のインターネット並みの早さで、団地中に伝わった。伝わったハズだった。
母の明るさ。これが「不合格」を伝える電話でも大いに発揮され、陽気な母の声に、第一報を受けた、自称「歩くスピーカー」のおばちゃんが、「合格」と聞き間違えてしまったのだ。「合格」の誤報が駆け巡り、お祝いムードのおっちゃん、おばちゃん達が、我が家に押しかけてきた。
泣きじゃくる私。両手で「バツ印」を出す母。お祭り騒ぎが、あっという間に、沈黙に変わる瞬間を、私は背中で感じ取った。
沈黙を破ったのは、スピーカーおばちゃんである。彼女は、手作りの大きなスポンジケーキを持参していた。鼻をすする私の後ろで、突如、スピーカーが奇声を上げた。
「わぁー、やってもうたワ」
びっくりして振り向く私。真っ白なケーキの上に、おばちゃんのメガネが、ボトッと落ちているではないか。チョコレートで書かれていたケーキの上の文字が、無残にも潰れていた。
すると、おばちゃんは、クリームまみれのメガネをかけ、
「いやぁ、なんも見えへんわ。目ぇ悪なったんかな」「なにゆうてんの、クリームがついとるからや」。漫才のようないつもの会話が始まり、明るさを取り戻した人々の中で、私は一人、悲しみに浸っていた。すると、スピーカーおばちゃんが、ケーキを手に、近づいてきた。「ほら、アーンしたろ。残念賞や」。そう言って、大きくカットしたケーキを、私の口に放り込んだ。私は涙と一緒に、ケーキをゴクリと流し込んだ。
ふと、残りのケーキに目をやると、メガネで潰されたメッセージの残骸が見えた。
「…でとう」
やっぱり。合格祝いのケーキ。「おめでとう」の文字を見せない為に、わざとメガネを落とすという荒業。三十年以上経った今なら、優しさの固まりだったとわかる。
あの時のケーキの味を、私は覚えていない。けれども、「おいしい記憶」と言われて、真っ先に思い出したのは、あのケーキ。「美味しさ」とは「美しい心で届けられた味」ということなのだと、改めて気付く。あの時は言えなかったけど、「ありがとう」。そして、「とっても、おいしかったです」。