我が家には『伝説のおはぎ』がありました。大きくて柔らかくて、どこのお店のものより美味しかったそのおはぎは、いまだ家族の誰にも再現出来ていない。これはそんな伝説のおはぎにまつわる一つのお話です。
私が小学生の時、母の仕事の都合で数年間祖母の家で暮らした時期がありました。祖母は凛とした昭和人で質素倹約の中で器用に家事をこなす人でした。当時小学三年生だった私は厳しくも優しい祖母が好きで、そしてお彼岸に作ってくれる祖母のおはぎが何よりも大好きでした。ぼってりとした大きなおはぎが祖母の手によって次々と出来上がり、いくつもの大皿を埋め尽くしていく光景を見て私は心がときめいたものでした。
さて、そんな小学生の私が秋の運動会を迎えた日の事、午前中の競技を終え、昼食の時間を迎えました。当時生徒たちはみんな教室で弁当を食べる決まりで、皆と机を並べてお弁当を広げていました。弁当は祖母が作ってくれたもので、子供用の小さめのアルミの弁当箱に詰めてくれていました。そのふたを開けた私は思わず小さな叫び声を上げたのです。
「わぁ!すごい。」
小ぶりのアルミの弁当箱には大きなあんこのおはぎときな粉のおはぎ、それに隙間にはなら漬けがぎゅうぎゅうに入っていたのです。周りのみんなは卵焼きやウインナー、ミートボールやおにぎりなど彩りよく配列されています。対して私のおはぎ弁当は黒と白になら漬け。完璧な地味色弁当でした。今考えても小学生のお弁当ではありえない色合いと思えるのですが、私はそのおはぎ弁当が嬉しくて嬉しくて、椅子から立ち上がると前の席で食べていた先生にそれを見せに行ったのです。
「先生、これ見て!おばあちゃんが作ってくれたんよ。美味しそうじゃろ?」 きっと先生は驚いたのではないでしょうか。日頃大人しく、積極的に話をする事のなかった私が、地味な色の弁当を自慢げに掲げて来たのですから。でもその先生は驚く様子もなく、
「わぁ、美味しそうじゃなぁ先生も食べてみたいわぁ。」
そんな風に一緒に喜んでくれたのです。当然それだけ堂々と喜んでいるお弁当に対して冷やかす友達もなく、それどころか「見せて」とか「おいしそう」と話しかけられ、おはぎ弁当は喜びの中、見事に完食されたのです。これは本当に些細な、けれど心に鮮明に残っている伝説のおはぎのエピソード。
あれからたくさんの時間が経ちました。今はもう祖母も亡くなり、祖母の作る美味しいおはぎは本当に伝説となってしまいましたが、このおはぎ弁当のお話は今でも時折話題に上り、家族を楽しませてくれています。そしてそんな時いつも思うのです。いつか私も、遠い時間の先にこうして笑って語り継がれる『おいしい伝説』を家族に残すことが出来るといいな、と。