遠足は気が重いイベントだった。原因は弁当にある。サンドイッチに骨付きウィンナーかスペアリブがいつもの定番。アメリカ人と日本人の間に生まれ、15歳で初来日した母が作る弁当は、1980年代の田舎の小学校ではとにかく目立ちすぎた。
「骨がついてる!原始人みたいな弁当だな。」一度男の子に言われた言葉が恥ずかしく、それ以来遠足の弁当は隠しながら食べていた。他の子のおにぎりや卵焼き、たこさんウィンナーが入った弁当に憧れた。
小学校4年生の遠足の日。風で弁当のふたがあおられ丸見えになってしまった。しまったと思ったと同時に隣のSちゃんがこう言った。
「ステキ!こんな綺麗な色のサンドイッチみたことがない。私のおにぎりと交換して!」
サンドイッチを食べながら美味しいを連発する彼女に、私は恐る恐る「それはヨンドイッチという名前なの。」と告げた。
母の作るサンドイッチの材料はハム、きゅうり、卵。それぞれをミキサーにかけペースト状にしたものに、バターとマヨネーズ、塩コショウで味付けする。1種類ずつパンに塗って挟むと、ピンク、黄緑、黄色の淡い3色のサンドイッチが完成する。母の幼い記憶の中のアメリカの味だという。母は4枚パンがいるからヨンドイッチと名付けていた。確かに綺麗な色のサンドイッチなのだ。味も格別で3種類を一緒に食べると絶妙なバランスが口の中に広がる。レタスにハムやチーズなどの素材をそのまま挟んだ、一般的なサンドイッチには絶対出せない味なのだ。
後日、参観日にSちゃんの母親に「娘があんな美味しいサンドイッチを食べた事がないって帰宅しました。」と直接お礼を言われ、それがとても嬉しかった母は「ぜひ、ご家族で食べてみてください。」とサンドイッチを届けた。
それからしばらくしたお彼岸の日。Sちゃんはお母さんと我が家にやってきた。大皿に沢山のおはぎを載せて…。「サンドイッチがとても美味しくて、家族で日本では食べられない味だねって話をしたんですよ。何かお礼をと考えていたのですが、うちは、お彼岸に必ずおはぎを作るのでそれがいいかなって。おはぎは日本の味ですから。」
Sちゃん家のおはぎは、あんこ、きなこ、青のりがあり、サンドイッチに劣らずきれいな色あいだった。母も私もあんこのおはぎしか食べた事がなく、そのバリエーションの豊かさに驚かされた。父からおはぎに使う小豆の赤に魔よけの意味がこめられていて、お彼岸にはご先祖様へのお供えものにする特別な意味があると教えられ、ありがたく家族で味わった。
それからおはぎとサンドイッチの交換交流が始まり、お彼岸の日にサンドイッチを作るのが我が家の風景となった。外国の味を他の家庭に届けたあの日、母の想いはまっすぐ受け入れられた。サンドイッチを素直に綺麗だと伝えてくれたSちゃん。家庭の味には家庭の味でお返ししたいという彼女のお母さんの気持ち。おはぎと同じ甘い記憶として私の中に残っている。