高校生の頃、バス通学をしていた私は、6時半、母親の「起きろー」という声に飛び起きて6時45分の始発のバスに乗る。起きてからバスが来るまでの15分、できるのは洗面と着替えることくらい。 玄関を出てバス停までは約10歩。バスを待つ間、ネクタイを直していると、玄関から銀色のボールが飛んでくる。ソフトボールくらいの大きさの玉を何とかキャッチすると、母がニヤニヤして立っている。あっまた、もう一球。受け取った一個を急いでカバンに入れ、飛んでくるもう一個を受け取る。「学校で食え」そう言うと母は家の中に姿を消した。母が投げてきた銀色の球は、アルミホイルに包まれたおむすび。今、コンビニに売られている、あの感じではなく、丸めた米の上に焼いた厚めのボンレスハムがでんっと置いてある。もう一個の銀の玉は、ソーセージがコメの塊に突き刺してあって、周囲はノリで巻いてあるという豪快な代物。私が高校生の頃は、コンビニが今のようにあるわけではなく、お昼ご飯は自宅から弁当を持ってくるか学校の購買でパンと牛乳を買うくらいだった。部活の朝練、その後授業があって、夕方また部活、家に帰ると20時過ぎる。育ち盛りの上に運動量もあれば、パンや牛乳で持つはずがない。高校入ってすぐの頃、銀の玉は2つだったのが、そのうち3つになった。同じクラスの恵美ちゃんは、昼休憩の時間、机に突っ伏して寝ている。昼食は食べないと話していたけれど、痩せている体を見る限り食事をまともにしてないように見える。そのことを母に話すと、次の日から銀の玉が増えた。
銀の球を、恵美ちゃんに渡す。「お母ちゃんが恵美ちゃんに渡してって。見た目は良くないけど、とりあえず腹はいっぱいになるよ」恵美ちゃんは黙って受け取り、朝一緒に教室の隅っこで食べた。
「米が炊けん」いつものように、ギリギリで飛び起きて準備をしていると母が言った。バス停で制服のネクタイを締めながら、台所にいる母親に聞こえるように叫ぶ。「いらんよ。学校で買うけん」しばらくして、いつもと同じように銀の球がビニール袋に入って飛んできた。さすがに3個は重く、道路の上に落ちた袋を慌てて拾い上げてバスに乗る。
高校生の頃のおむすびのことを最近、ふと思い出して母に聞いた。「グラグラしとったけど釜の中に手を突っ込んで握った。まだ炊けとらんし芯があるかもしれんけど、アルミホイルの中で学校に着く頃には、いい具合に炊けとったじゃろ」言われる通り、おにぎりに芯があった記憶はない。
先日コンビニに行った時に、焼いたハムをのせたおむすびを見つけた。母が作っていたおむすびと同じだけど、大きさは3倍くらいあったなぁ。腹が減らないように持たせてくれた気持ちが母親になって、よく分かる。「熱い釜の中によう手を突っ込めたね」と母に言うと「もうあんな芸当できんわ。あの頃は火でも掴みよったのに」と豪快に笑った。