生まれ育った町は、豊かな自然と史跡に囲まれていた。
小学校のクラスメートは、しょっちゅう同じ服を着ている子もいれば、当時憧れだった飛行機での家族旅行を作文に書く子もいたりと、家庭環境は様々だった。A君は妹達の面倒をよく見る優しい男の子で、学校から2kmほどある小さな平屋建てに住んでいた。
4年生の一学期のことだった。その日は給食がなく、各自弁当を持ってくるようにとお知らせのプリントが配られていた。弁当を学校で食べるのは遠足が雨で中止になった時ぐらいだ。調理員さん達が作ってくれる温かい給食も美味しいが、母親の作る弁当もこの上なく嬉しく、いつにも増して昼食が待ち遠しかった。
2時間目が終わったあとの中間休みの時間に弁当の話になった。
「えーっ、今日弁当なの?俺持ってきてない」とA君が困ったように言った。
「プリント出ていたよ」
「お母さんに見せてないの?」
教室がざわめいた。しかし、忘れ物が多くおっちょこちょいでよく先生から叱られているA君ならあり得ることだ。それにしても昼食がないことは子供にとって一大事である。空腹のまま午後の授業を受けることは辛すぎる。
「俺、家に帰って持ってくる」
A君は慌てて教室を飛び出していった。
のんびりした時代だった。3時間目にA君の姿が見えないことを心配した担任だったが、子供達から理由を聞くとそのまま授業を進めた。3時間目が終わっても、4時間目が始まってもA君は戻ってこなかった。
班ごとに机を寄せてお昼を食べる準備をしていると、教室の後ろのドアがガラガラと開いた。皆が振り返る。A君がハーハーと息を切らせ入ってきた。
「どうしたの。遅かったね」
「弁当がなかったから、自分で作ってきた」
「えーっ」
クラスメートの視線が一斉に注がれる中、A君は長方形のふたを開けた。
グリーンのレタス、ピンク色のハム、白いご飯。
「わぁー、おいしそう」
「すごい」
歓声が上がった。
皆、唐揚げや卵焼き等、母親が手をかけて作ったお弁当だったが、A君の春色弁当はひときわ目をひいた。家で料理の手伝いすらしない私には、レタスをちぎりハムを半月に切った彼がお兄さんのように感じられた。断りなく家に帰ったA君を先生は叱りもせず、よく作ってきたねと褒めていた。「うまい、うまい!」A君はご飯を頬張った。クラスの歓声という極上のドレッシングがかかったレタスやハムが、この上なくご馳走に見えた。
中学生になったA君は部活にも入らず、教室にいないことが多かった。その後の進路はわからない。
昼食はコンビニで用意できる時代になった。季節ごとに、暖かいものや冷たいものも食べられるようになった。いろいろな弁当が並び、買い弁という言葉も一般的になってきた。どれもとても美味しそうだ。しかし、家で作る弁当には買い弁には出せない美味しさがある。
子供の弁当を作っていると、ふとA君のことを思い出すことがある。当時はただ感心するばかりだったが、母親となった今は、10歳の男の子が一生懸命作り学校に戻ってきたことを健気に思う。A君、元気かな。あの弁当は本当に最高だったよ。