「よう来たなぁ。デーコ抜いたろか」
岡山と兵庫県境の村で一人暮らしの父は、私と娘が年末帰省する度、裏の畑で出迎えた。
「太うて甘えのができとる。楽しみにせぇ」
葉が茂る大根の首を両手で握り、「エイヤッ」とかけ声をかける。八十歳近い腰がしなやかに曲がって伸びる。土の香りとともに、むっちりとした大根がズボッと登場。小学生の娘が小躍りし、「じいちゃんの煮和えが食べたい」と、毎回土まみれの父にしがみついた。
私が高校一年の冬、母が逝った。突然、父と私と中学の妹との家事分担生活が始まった。父の料理当番の日は大根と油揚げの煮和えが平鉢にてんこ盛り。食卓にデン!と鎮座した。
「調味料は醤油だけ。揚げとデーコが甘みや」
戦時中、農家の次男だった父は、病弱な母に代わり、炊事を任されていたらしい。「小学六年から作っとる、最初に覚えた料理」と自慢するデーコの煮和え。会社から帰ると、母が残した白い割烹前掛を拝んで袖を通した。
大根を半分に切り、母が愛用した羽子板型木製スライサーでおろす。白いリボン状の大根が器に雨のように落ちる。大きな手で大根を握り、真冬なのに額から汗を流しておろし続ける父。今まで見たこともない横顔だった。
「じいちゃんのお嫁さんになったら、毎日食べられるかなぁ。一生お腹一杯食べたいんよ」
コンロ前に立つ父の背中に娘が話しかける。
「嬉しいなぁ。寿命が百年は延びそうじゃ」
父は腕まくりして鍋に油を敷き大根を投入、炒め始めた。ジャージャーとリズム感の良い音が立ち上る。娘は待ちきれずに箸を持った。
「水は一滴も入れんでええ。デーコから水分が出るから。それが出汁代わりの旨味になる」
野太い声で説き、油揚げを入れ炒める。やがて鍋の水分が減り、くったりとした大根に。それを見計らい、サーッとボトルの醤油を回し入れる。ジュワーと高い音と甘辛い醤油の香りが隣室まで広がり、鍋の中が一つになる。
「アチチじゃから、フーフーして食べんせ」
ドサッと盛られた平鉢に、「じいちゃんもデーコも大好き」と娘は休まず箸を動かした。
父の煮和えは、出汁も砂糖も入れていないのに、醤油だけで抜群の旨味を引き出した。素朴な一品は父の人柄の化身なのだと知った。
娘が大学生になった冬。父は灯油缶を運ぶ際に腰を圧迫骨折、私と娘の帰省は看病の年末年始となった。父に食べたい物を尋ねると、
「裏の畑のデーコで作った煮和えが食いてぇ」
とベッドに寝たまま答える。私と娘は、見よう見まねで覚えた手順で形だけは整え、ベッド脇机へ届けた。父は一口含んだ後、神妙に、
「アァ、わしはまだ、母さんの所へ行けんな」と呟き少年のように舌を出した。すると娘が、「そうよ。じいちゃんの煮和えを一生食べたいんじゃから。私より長生きしてよ」と返すと父は、「あと百年生きるぞ」と拳を上げた。皆で大笑い、心まで一つに煮和えた気がした。